2016-08-16

子供は好きだが子連れの親が嫌い

30代前半男。先天性の内部障害があったが、完治して今は高学歴の健常者として暮らしている。

俺と同じ障害を持って生まれ、幼少期に同じ手術を受けた子の1/3は死んだ。

俺は、死んだ1/3に顔向けできる人生を送りたかったので、安直だが学歴だけはひたすら上げてきた。

旧帝大も出たし、博士号も取った。

バスに、子連れの親子が乗ってくる。子供かわいい子供には優しくしたい。

が、気がついたら、子供の親は俺と同世代か俺より年下だ。そして、十中八九子供の親は俺みたいな経験をしていない健常者だ。

自分と同じ病気で同じ手術を受けたのに無念に亡くなった子らに顔向けできる人生を送らなければ、という義務感や責任感を肩に感じたこともなく、将来自分の病状が悪化する不安なども一切抱えずに、好きに進路選択して好きに結婚した奴らだ。

子供かわいいしかし、そんな自由きままな人生を送ってきながら、俺より若くして結婚して子供を作った人間の子を、なぜ私が大切にしなければならないのかわからない。私と同じ病気で果敢にも同じ手術を受けながら死んでいった子らより、あんたらの子の方が偉いのか?ああ?

バス内で子供がなく、さわぐ、わめく。座っている私は、眉をひそめて親の方をぐっと睨みつける。30代男が睨みつければ、親は嫌な思いをするだろう。が、生きていればお前らと同じぐらいの歳になっている、私と同じ病気で同じ手術を受けて死んだ1/3の子らは、睨みつけられるよりもっと苦しい思いをして死んだはずだ。不平等じゃないか。生き残った2/3である私には、死んだ1/3の子らを代弁し、彼らの苦しみを少しでも現世に伝える義務がある。騒ぐ子の親を睨みつけることで、死んだ子らと同世代の彼らに少しは嫌な思いをしてもらい、死んだ1/3の子らと、生きている彼らの間の不平等を少しでも解消することが、私にできる死んだ子らへのはなむけだ。

から、私は今日も騒ぐ子の親を嫌そうな顔で睨みつける。それが平等であり正義から

  • つまんねー不幸自慢をどうも。 ってか君の本当の不満は、学歴やらキャリアは上げてきたけど、 自分には彼女もできないし、 結婚もできない。 だから子供を持つこともできない。 悔...

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