2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816015443

元増田だ。

とりあえず、私はメガネをかけていないので眼鏡豚ではない。

さて、私が仮に君の言うように思っていたとして、君は、私が彼らを睨みつけることが倫理的に正しいかどうかについて全く答えていない。

私がどう思っているかなどはどうでも良い。私が内心どのように思っているかにかかわらず、私の事情行為だけから、私が彼らを睨みつけることに倫理的正当性があるのかは定まるはずだ。

さぁ、君は健常者の1人として答える義務がある。私の行為倫理的正当性否定するならば、君は、健常者の親と、生きていれば同年齢だったはずの死んだ子らのどちらがより高い価値を持つのか、定めなくてはならない。

私を批判するならば、君は、死んだ子には価値がないと判断したということだ。だから、君は人でなしだ。

私を批判しないのならば、私には彼らを睨みつける権利があることを君は認めたことになる。私は、睨みつけられた側がどう思うかなど構わん。ただ、彼らが出来るだけ嫌な思いをするように睨みつけるだけだ。

さあ決めろ。君はどっちを選ぶ?あなたには健常者として、死んだ子とバスに乗ってきた親とどちらに価値があるのか決める義務がある。

それが、健常者に生まれあなた義務だ。あなたは健常者に生まれたから、我々が手術を受けて生きるか死ぬあなた意見で決めるんだ。そして、その結果に責任を持つのあなた義務だ。

さぁ決めろ。我々に生きる価値があるかさぁ決めろ。

記事への反応 -
  • 30代前半男。先天性の内部障害があったが、完治して今は高学歴の健常者として暮らしている。 俺と同じ障害を持って生まれ、幼少期に同じ手術を受けた子の1/3は死んだ。 俺は、死んだ1...

    • つまんねー不幸自慢をどうも。 ってか君の本当の不満は、学歴やらキャリアは上げてきたけど、 自分には彼女もできないし、 結婚もできない。 だから子供を持つこともできない。 悔...

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