現世において得べかりし栄誉のすべてを獲得した作家が、それでも創作を続ける理由って何なんだろうねー。相変わらず出す作品出す作品のクオリティー文句ないもんなー。
と思っていたのは数年前までのことで。
映画化もされた大作の、話の大筋はさすがと感心するも、けっこう重要な登場人物の描写があきらかなステレオタイプなことに「えー?」と不満に感じたのが、いま思えば皮切りでした。
さらに、どちらかというとファンの中でも玄人層に受けて続いているシリーズ作品の、文庫最新刊におけるプロットの「雑な畳み方」。少なくとも〇年前のこの作家なら読者を納得させるだけの材料とともに提示していたストーリーが、作家のなかの結論ありきで進めてしまったものだから、愛読者がこぞって「それはどうなの?」と疑問を呈する始末。
そして、上記2件に比べるとキズは小さいとはいえ、また別のシリーズ作品の連作中にも気になるところが。即ち、誰もが悪役とみなす登場人物ではあっても、その「杜撰な始末」。物語世界の神としての作家の目が細部にまで行き届いていたころなら、もうちょっとなんかあった。
作品世界に集中するための気力が昔のようには湧いてこない、ということなんだと個人的には思っていて、それは執筆分量を調整することで対応可能だろう、まだこの人ならではの物語に接することは可能だろう、そう信じているのですが-25年、作品に接し続けてきた者として告白せざるをえない気が。
せんせい、老いましたなあ。