真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そして、自分が好きであるに足りうる要素は、合理的な理由なんて必要ない。
何かを好きになるとき、その対象が完璧である必要なんてないだろう?
あるいは、客観的にみた欠点がかえって好ましい要素となりうることもあるはずだ。
「自分のことが嫌い」といったとしても、そう言っている自分のことが好き、だという可能性だってあるだろう。
程度の問題であったり、それを自分がどう認識するかという違いはあるが。
もちろん、他人がどう思うかはまた別の話だ。
とはいえ他人がどう思うかで形作られた要素と、自身がどう思うかで形作られた要素に優劣なんてないし、別にどちらかだけの必要もないだろう?
ナルシズムを恥ずかしいという人もいるが、好きになる対象が自分であるか、その他であるかの違いなだけだ。
いずれにしろ、人々が語る好き嫌いなんてものは、その対象が何であれ他人にとっては犬の餌にしかならないさ。
その犬の餌で腹を満たすかなんてこと、私は知らんよ。
いや、実生活は代り映えしない。
そっちに時間をとられている。
他のものを書いてるって、なんなんですか? わたし、気になります!!