ネット上では、ロリ・ショタコンとLGBTをマイノリティという大きなくくりで同等に扱う意見がみられます。
現在、LGBTは社会に受け容れられる方向に力が働く中、ロリ・ショタコンはその方向には進みまないでしょう。
両者には大きな違いがあるからです。
ロリ・ショタコンは、たとえ現状、合意の関係だとしても、被害者が発生する可能性があります。
これは被対象者(性の対象となった子供をここでは指します)が自ら望んだ対等な関係と、その時点で断定するのは難しいからです。
幼少期の願望や意志が、正当なモノか、それは大人になった方なら、幼少期時の自分を振り返ればわかることでしょう。
大人になってから後悔する可能性がある中、被対象者の判断力や人格が未熟な中、社会的な立場・幼少期の強烈な経験を築いてしまうのは相手を対等な人間としてみている場合の対応ではないのです。
加えて、被対象者の親は、やはりそういう側面を感じ取ることになり、更に被害者が一人誕生するわけです。
次に、ロリ・ショタコンになってしまう、なろうとするプロセスにも問題があります。
自身の異性としての魅力の欠如をカバーし努力する方向ではなく、そのままの自分でも(力づくでも)可能性を感じることで劣等感を慰めている者がいます。
全てのロリコンがそうではありませんが、このような精神的に未熟な側面が感じとられてしまう場合、社会から忌み嫌われるのは当然だといえるでしょう。
被害者が存在するかしないかは、性的なマイノリティかどうかには関係しない。どちらも性的な問題を抱え、社会から差別されている点では同じ。 被害者が生まれてしまうから、社会的...