例えば「貴方は人からどのような人間だと思われてると考えますか?人からこう言われた、ではなくあくまで客観的に自分から見てでお願いします」このような質問が来たことがある。
この時は「気配りができる人間(笑)に見られてると思う」と最初に述べ、自身の経験を絡めて話した。が、話していて自分はそんな他人に貢献出来たか分からない、と罪悪感にかられた。
面接のこのような質問が苦手だ。何故なら「他人から自分がどう見られているか」なんて結局自分じゃ分からないからだ。例えば「俺は容姿端麗な人間だ」と自負してる人間がいる。本気で自分をそう思い込んでいる。しかし実際他人の目からは醜くしか映らない顔である…。結局その人がどんな人間か?なんていうのはほぼ9割他人の評価で決まるのである。
「制作期間10年の超大作漫画!絶対面白い!」と作者が言ったところで、読者が「つまらん」と評価すればそれはもうつまらない漫画なのである。10週打ち切りである。逆に作者が「クソ」と思っていても読者にはウケる…なんてこともあるから自分と他人の評価は本当に一致するとは限らないのだ。
だからこの質問は苦手だ。どれだけ経験に則って客観的に自分のことを話しても、常に「嘘かもしれない」と思わされる。面接では真実を盛って、脚色して話すのが普通になってきている。しかしこの質問に答える時が1番嘘を話しているように思えて苦手なのだ。
「貴方は他人に好かれると思いますか?」この質問をグループ面接にいた人みんなに投げかけていた面接官もいた…がこれも同様の理由で苦手だ。「他人が自分をどう思うか」なんてそれこそ他人が100パーセント決めることだ。努力をしたところでそれが実るかは全て他人に委ねられる。「バイトで〇〇して名前覚えてもらったからいける」みたいなことを返したが、話してる最中「本当に好かれてるか、これからも好かれるか分かんないけど」と思っていた。
面接官は自分を客観視出来ているかとか目の前の本人と話してる内容に剥離がないかとか見ているのだと思うが…他人が自分を決める以上、やはりこのような「他人からどう見られてるか」という確かな正解が自分でも分からない質問は凄く答えづらい。
それって結局自分次第じゃない? 面接が苦手と自分に心の壁を作らず、自分をさらけ出していかないと。 大切なのは自分は自分。もっと自分の人生を生きようよ?
まあ自己認識との乖離があるかどうかも大事だが、そもそも社会的にどう振舞うべきかを意識して生きているかどうかを確認する質問ではあるんだよな、本来。ペルソナっつーか。
「客観的に自分から見て」 ってなんやねん。他人からこう言われる、でいいじゃん。 自分を自分から切り離して客観的に見ると…なんて突き詰めると精神病になっちゃいそうだわ。