一言で言うとすれば「好意をもった相手のtwitterアカウントは見ないほうが幸せである」ということ。
確かに、見つけたりつながったりすれば「相手を知ることができる」という意味では幸せになれるかもしれない。
好きな相手、もしくは恋人が他の異性と仲良くしていたら嫉妬してしまうだろうし、自分とやりとりしてくれていない(既読スルーをされるなど)時間に他の異性とはよろしくしていることを知るのは自分自身ストレスを抱える要因となってしまう。
知ってしまったことを相手に言って、それを理由に喧嘩をするのはよろしくない。
それが何もやましい関係でない異性の友人と仲良くしているのを阻害する権利は結婚しているわけでない"他人"である恋人がするのは筋違いである。
だから、知らないというのも一種の自己防衛なのである。ネットワークで知るのではなく実際にあって幸せになるのが一番幸せなのだ。
まあ、本当に浮気だったとしたら、色々と手を打つべきだけどね。
追記:twitterで人を「知る」という行為をすると、知らなくても良い人の側面を知ることがあるかもしれない。
立派に見えた人が本当は屑だったことを知る切っ掛けにもなることもあるだろう。
この例だったとしたら、知るという行為は重要かもしれないが、それを深く付き合ったであろう恋人でするのはナンセンスな気がする。
そんなことを「知る」時間があるのなら、もう少し広い世界を見るほうがよほど有意義なのである。私たちは「知る」という行動を有効に活用すべきだ。