休みというものはいつか終わってしまうわけだから、それが今日だろうと明日だろうと日曜日だろうと、まあ、それは仕方ないのだと思う。特に自分は独身で友達もいないので、休みの予定というものがなく、ボーッとしてるか仕事しているかの差ぐらいでしかない。
いつも人生について考えている。休みになると色々と考えることが増える。学生の頃は意味もわからない小難しい本を読んでみたり、色々なものからすぐに影響を受けたり、人生に意味はないなんて達観してみたり、まあ、若いってことなのかもしれないけれど、今になってみても何かしらの結論が出たということはないわけで、その時間自体がだいたい意味がなかったりするのだろう。
毎日忙しくするということは、そういう生産性のない思索の鬱々した沼から逃れられるのだから、案外悪いことではない。
自分からアクションをしなければ何も起こらない、というのは三十数年生きてきた中で数少ない教訓である。とはいうものの、自分自身が何をしたいのかよくわからない。毎日仕事したり適当にやってれば勝手に時間は過ぎていくわけだから、自分がどうしたいという希望がなければアクションを起こしようもない。
まあ、具体的に言ってしまうならば、そろそろ家庭を築くのか、それとも適当に生き続けるのかを決める分岐点ではないかと思っている。とはいえ、それ自体自分が社会の空気的なものを勝手に読んでいっているだけなので、本当に家庭などというものを築く必要があるのか、というのはよくわからない。しかし、このまま何もせずに生きていれば、ずっと一人でこのまま死んでいくのだろう。それはすこしばかり寂しいのかもしれないな、と最近思うのだけど、実際に何かしようと言うモチベーションはどこからも湧いてこない。
婚活だとかせっせとやってる人はなにをモチベーションにしているのだろう。それなりに生きていけるのだから、今はまだあったこともない人と結婚することを目指すっていう、人生の大変革をなぜ起こそうとしているのだろう。そのアクションをすることで、まあ、幸せという漠然としたものを目指しているのだろうけど、幸せだけならば結婚という結果を求める必要はない。独身の自分がそれをいうと、何わかってないやつが勝手なこと言ってると既婚者から馬鹿にされるのが常だろう。
そういうことをウダウダと考えていると、どんどん時間が過ぎていって何もする気が起きないわけで、行動することは改めて正義であると思い知らされるわけである。