基本的自尊心のないまま大人になること - Togetterまとめという記事を読んでいた。この記事では、基本的自尊心がない女性の話が展開されている。
要点を引用すると、基本的自尊心が欠落していたために、普通の言葉が悪口に聞こえるようになってしまうという。例えば、夫から「掃除機をかけて」と言われたことを、「なんで専業主婦なのに掃除もできないの?グータラで使えないな」と解釈してしまうそうだ。
私はこれに非常に共感した。私もこのような経験が多々存在する。例えば、私は小食であるため食事には量より質を取る派なのだが、あるとき「おいしそうなものを食べているね」と言われて、それを「下等人間が良い物を食べるな」と言われたように感じた。それ以降、食堂やイートインスペースでは冷や冷やしながら食事をしている。
話を戻して、引用元の記事に着目しよう。「掃除機をかけて」と言われた人は女性で、夫の愛情に支えられて改善しつつあるという。環境に恵まれているな、と思う。
かたや私は男性だ。泣き言を言おうものなら、ジメジメした不快な男と切って捨てられるのが関の山である。助けてくれる人はいない。昔に比べたらずいぶんと緩和されたとは言え、それぞれの性のあるべき姿というものは今なお存在するからだ。そして、「不快な男」は、周囲から疎まれ、社会的にステップアップすることができず、終わりなき負のループに陥ることになる。這い上がるきっかけがない。そして、基本的自尊心のない男は社会的に死ぬのだ。