そして無能な人間は社会になんて出ずに引きこもっていたほうがいいとも思っていた。
流石に親が痺れを切らしてきたので仕事を探している振りを演出するために職業訓練を受けることにした。
これで半年か上手くやれば1年ぐらいは誤魔化せるだろうと思っていた。
そうして無気力なままで職業訓練を受けていて思ったのだが、自分は確かに失敗も多いし動作もトロい所があったけど社会で仕事を得てはいけない程に無能ではなかったと気づいた。
よくよく考えて見れば大学時代に小銭欲しさで多少のバイトはしていたし、そこでも失敗して怒られることはあったがその量も人並みの範疇から逸脱しているとまでは言えない程度だった。
そこでようやく気づいた。
俺は人から否定されたり、人に迷惑をかけたという申し訳無さで自分自身を精神的に痛めつけようとしたりするのが嫌で、自分は働くに値するほどの無能なんだと思い込んでいただけなのかも知れないと。
自分に都合がいい世界を作るという行為は自分の有能さを信じる人間にだけ起こるものだという思い込みがあったがそれは間違いだった。
やらない言い訳を探すために自分の無能さを信じたくてたまらなくなった人間もまた、自分に都合がいい、自分が救いようがないほどに無能でどうせ誰も必要としないという設定の世界を頭のなかに作り出していたのだ。
思えば世の中には自分が世界で特別不幸だと思って悲劇の主役を気取る人がいる。
それと同じことが自分に起きていたのだ。
まあ確かに自分は多少ノロい所はある。
だけど頭が全く働かないわけではないし人との会話が成立しないわけではない。
社会に自分から居場所を求めて真剣に動けばまだ真っ当な席がいくつか空いている程度の人間だった。
そこに気づくのが早くてよかった。
もっと遅れていたら取り返しがつかなかっただろう。
失敗することへの恐怖から、最初からやらない言い訳として、自分の無能を信じようと必死になってしまう事があるなんて心とはなんとも不思議なものだ。