今月末に引っ越すため、身の回りの物を片付けている。
そしてむかしに交換した手紙たちを捨てた。
日頃みたりしないくせに、片付けのときに発掘してはなかなか捨てられず、大学進学で越したときはなんだかんだ丸々持ってきてしまったのだ。
ミニマリストじゃないけど、これからは身軽にシンプルな生き方を目指そう!なんて。
でも凝ったカードやオルゴールつきの手紙はかわいくて手放すのが苦しい。
中身を見ると、小3の時の担任の先生からの手紙は「○ちゃんは私の大切な宝物です。ずっとずっと大好きだよ。」
小中と通っていたピアノ教室の娘さん夫婦からの年賀状は「○ちゃんみたいな子どもができますように。」
もうしばらく連絡をとっていない同級生からのポストカードはお手製でキャンディのかたちをしていて「お誕生日おめでとう!」とあった。
なんだか、今までじぶんひとりで大きくなった気がしていたけど、周りの人にとても良くしてもらっていたのだと気づかされた。
人の顔をすぐ忘れてしまう薄情者だけど先生の顔は記憶に残っている。当時はなぜかあんまりすきじゃなかった気がする。
理由はぜんぜんおもいだせないけど。今思えばいい先生だなぁ。「宝物」とか「ずっとずっと大好き」なんてなかなか書けない。
わたしは「永遠」とか「ずっと」とか無いものと考えてしまってそういう表現はしないから余計にそう感じた。
先生の連絡先は知らないしわたしも遠くに越してしまったからもう会う機会はないかもしれない。
ピアノ教室の娘さん、きれいでやさしい方だった。友だちは病弱な子でよく心配したな。絵が上手で手先が器用でよく刺激を受けた。
3、4年前に会ったときは元気そうだったけど、どうしてるだろうか。
わたしの周りにはわたしのことをよく見て褒めてくれる人がたくさんいる。
これまで、苦しいことや理不尽なこと、いやな思いをすることももちろんあったけど、やさしい人たちとの思い出がその上にふわりと覆いかぶさってくれている。わたしが周りの人たちにやさしく出来てるか全然自信ないけど、やさしくされてきた自信はある。
手紙ぐらいかさばらないですし、捨てなくて正解だったと思います。 一見、もう要らなくなったものも、心が必要としているということは、よくあることです。
私も先の引越しでいろいろ捨てた 引越しのときいろいろ煮詰めてて、あろうことかiPod touchの初期化までしてしまった いつか初期化しようとは思っていたが、別にそのタイミングでする...