2015-09-18

鬼女

「あ、綾香さん、今日も昼からシフトぉ?」

色黒の顔を隠すかのように、全身黒の野暮ったい服を着た

中年女が、今会社に着いたばかりの綾香に声を掛けた。

すぐ傍には思いを寄せている係長がいた。

女の目には、自分とはまるで正反対の綾香が、

係長の大のお気に入りであるということは明白だった。

 

「綾香さんさぁー、これからは朝からシフトにしたらぁー?

 綾香さんが会社に来たとたん、係長が嬉しそうな顔になるしさぁー」

近くに係長がいることを知った上で聞こえよがしに厭味を言う。

中年女にできる精一杯の嫉妬アピールだ。

「そんなことないですよねっ、係長っ」

ふわっとした笑顔中年女ではなく、係長に微笑みかける綾香。

その態度がまた、中年女の嫉妬心を刺激する。

中年女が嫌味を執拗に続ける導火線になった。

 

その夜。

仕事が終わり、ある家での会話。

「いやぁ、昼のあのオバサンの言葉にはウケたよねー」

そう笑いながら、件の係長はグラスにワインを注ぐ。

「ほーんと傑作っ」

差し出されたグラスを受け取りながら、綾香は答えた。

男はあの中年女の不愉快言い回しを真似してみせる。

「『綾香さんが会社に来たとたん、係長が嬉しそうな顔になるしさぁー』って。

 まったく、何も知らないって怖いよな。

 こっちは、会社でも家でも、綾香の顔を見てるっつうんだよ」

「ほーんと。うちらが一緒に暮らしてるのも知らずに、

 あんなこと言っちゃって、孤独中年って悲惨ね」

「でも、あんな言い方されて腹が立たない?」

全然だってあなたがいつも味方してくれるんだもん」

「いや気にしてないならいいけど。…でもなんかひとこと言い返してやりたいよな」

「…じゃあ、さ。」急に真面目な顔になる綾香。

「えっ、なに?」

「ここに連れ込んでよ、あのひと」

「え?」

「だから、あの女を誘惑して、ここに連れてきて」

「で、どうするの?」

復讐よ」そう小声で言って綾香はワインを飲み干した。

復讐?」

「そう」ゆっくりと頷き、言葉を続けた。

「女はね、一度抱かれると、ますますその男を好きになってくの。

 あのオバサン、あなたが欲しくてたまんないみたいだからさ。

 で、もう後戻りできなくなった頃に、種明かしをするの。

 …どう?抱ける?」

薄茶色の黒目をいつも以上に大きくし、悪戯な笑みを浮かべる。

「うーん…女ってずいぶんと残酷なこと考えるんだな」

「その女がだーい好きなのは誰よ」

「うるさい」

黙らせる代わりにその唇を塞ぐ。

「んん…。せ、背中背中…強く噛んで」

ボートネックニットの右肩を自ら引っ張り下ろし、

その肩を男の顔の前に差し出す。

細いうなじから肩までの透き通った白い肌に、

数箇所、歯型の痕が赤々と残っていた。

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