2015-06-12

十数年目の自分を褒める

あれは私が社会人になって2年目の事だ。

ある一人の相談者様に、福祉関係のいくつかのプランについて説明していたら、「そんな冷たい言い方があるか」と怒られた。

私としては、未熟なりに相談者様の状況を加味して一番良いと思う方法お勧めしつつ、他の選択肢もあることを示したつもりだった。

当時考えられる限り精一杯の親切な説明だったのだが、「押しつけがましい」等ならともかく冷たいと言われて、どうしていいかわからなかった。

結局その相談者様は上司に引き継いだような気がするが、そのあたりは記憶曖昧だ。

何が悪くてどこをどう直せばよいのか、周りの人に聞いてみたりもしたが、何しろ会話というのは流れやちょっとした言葉の違いも大切である

相談者様と一対一だったその会話を、他の人に対して正確に再現するのも難しく、これという答えは分からなかった。

そのまま十数年が過ぎ、私は折に触れてそのことを思い出しては、「何が悪かったのだろう」と考えつつも答えが出せないまま、新人から中堅になった。

 

そして、今日

仕事とは全く関係なく、友人のLINEでの愚痴に何と返答しようか考えていて、不意に、あの時何が悪かったか分かったような気がした。

私は、「○○という選択肢が、不利益もあるけれどあなたにとって一番良いと思う。でもあなたがもし××は失っても良いというのなら、△△の選択肢でも良い」

という言い方をしたのだ。私としては、相手の価値観が私の予想と違っても、それに合った対応方法を考えます、という意思表示のつもりだった。

だが、××を失うなど論外と考える人ならば(実際そうだろうと私も思ったからこそ、その選択肢は後回しのオプションとしたのだが)、上記の言い方は

「どうしても痛い目に遭いたいっていうんなら止めませんけど?」という突き放しに聞こえるだろう。

なるほどそうだったのか、と、実に十数年ぶりに霧が晴れた気持ちになった。

 

あの時の相談者様が、本当にそれで怒っていたのかは、今となっては確認のしようがない。

だが、私はあの時からずっと、自分は人の心が分からないクズなのだと思い続けてきた。

たった一度の出来事をそんな風に引きずって、得る物などないと分かっていてもだ。

今こうして、まがりなりにも自力で一つの答えにたどり着いて、もしかしたらクズからクズに毛が生えたくらいの物になれているのかもしれない、と思えた。

何よりそれが嬉しい。

よしよし、極めてゆっくりだが成長はしているんだ。偉いぞ、私。

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