フランスで風刺画家たちが殺された。
フランスでは人々がデモを起こして、テロに対して抗議運動を起こしている。
欧米の人々は、まず怒りの声を上げた。
「言論の自由はテロに屈しない」
と叫んでいる。
とか
こういうコメントを読むたびに虫唾が走る。
私達が絶対に守らなければならない普遍的価値観があり、それを暴力で踏みにじる奴らがいる。
やられた奴らにも過失があったかもしれない。
でもね、それを問うのはたとえば裁判の場所であったり、あとあとの検証作業でいいんじゃないの?
まずすることは、絶対に私達が守らなければならない価値観を壊した人々へ怒りの声をあげることだ。
それによって傷ついた人々に寄り添うことだ。
たとえ相手に過失があっても、それを絶対に、今、言ってはいけないんだよ。
それが被害者に寄り添う、ということだ。
苦しんでいるフランスの心に寄り添うことが、日本人の私達にとっても必要だ。
ところが、まるで冷静な自分を誇るかのように、
「いやいや、やっぱり批判にも限度があるよ。欧米の奴らの特権意識が生んだ悲劇だね」
としたり顔でコメントするゲスなやつ。
こいつらは、レイプされた女性をセカンドレイプする奴らだ。
「お前にも悪いところがあった」
こんなセリフをどうしても言いたいならば、時間がたってから、言え。
現に今傷ついたばかりの女性には、絶対に言っていい言葉ではない。
それも分からない奴らが人間の顔をしてコメントしていることにウンザリする。
人でなしなんだから、人でなしの顔をしたらどうだ。
先にイスラム原理主義側の普遍的価値観がレイプされたんじゃないの?