近年、「問題は別の誰かがそのうち解決してくれるから知ったこっちゃない(あるいは都合よく勝手に解決する)けど、とにかく暴力はいけないから主人公たちはとりあえず暴力を排除する」
という作品が増えた気がする
「臭い物に蓋をして我が身の安全だけ確保し、問題の解決は誰かに押し付け、その方法が気に食わなければ非難する」という
ゲームの暴力性とかいってマスゴミが否定してくるから、とりあえずストーリーでも暴力を否定してみました、
そのほうが問題解決の方法で頭使ったりその他色んなコストかけなくて済むし、細かい設定とかとすり合わせるの楽だし良い物っぽく見えるしとか、そういうアレなんだろ、どうせさ……
本来はそういうのへのアンチテーゼが、ゲームやアニメの役割の一つとして求められていたのに。
まあ、だいたい、バンダイナムコ関係が先陣きってるよね、こういう大衆側に付いたっぽいことやってるの。
PS3と箱○でゲハの下劣なやり取りに一般人が共感する土壌を作ったのも、アフィカスが実行犯だけどそもそもの火種を撒いたのはバンナムだし。(後に続いてカプコンとスクエニ)
あと最近はゲームのストーリーを作る下請け会社なんてのもあって、そういうところでも、費用対効果の合理性を考えるとどうしても作るストーリーのテーマが大衆側の安易な方に行っちゃうんだよな
そういう抽象的な話は具体例を織り交ぜてくれないと分からんよ。