自分と同じ部署に、癌を患い、今は管理職を降りた人が座っていた。以前を知る人によると、縦にも横にも大きいちょっと威圧感のある人で、気軽に話しかけられる雰囲気ではなかったということだが、自分が知り合った時は既に痩せていた。典型的仕事人間で、抗がん剤を飲みながらも、仕事に対するモチベーションは部署の誰より高いくらいだったかもしれない。でも、治療の経過は、良くなかったようだ。薬を何回か変えていた。
その人は、何しろ管理職もやった大ベテランなので、くぐった修羅場も拭いたケツも数知れない。よく仕事の相談に乗ってもらい、アドバイスのお陰で完遂できた案件もたくさんあった。
その人に言われた言葉。「健康は何にも代えがたいもんだ。会社では、あんたの代わりはいくらでもいる。だけど、あんたの家族にとって、夫であり父であるあんたは、あんた一人だ。体を大事にしろ。あんたが倒れたら、家族はどうなる。仕事のことはどうにでもなる。それが組織ってものだ。俺は常々部下にはそう言ってたんだ」
そうか、そうだよな。会社にとっての自分は「わたしが死んでも代わりはいるもの」っていう存在に過ぎないが、家族にとっては、違う。そういう風に言ってくれる人が会社にいることが心強かった。
その人が体調を崩して入院し、お見舞いに行った。随分痩せてしまって、話すのも辛そうだった。でも、訊かれたのは仕事のことだった。病院のベッドの上で。
あの時自分に言ってくれたことを、今度はご自身に言ってください、家族にとってのあなたは、あなた一人じゃないですか、仕事のことはどうにでもなりますから。と言いたかったけど、言えなかった。典型的仕事人間。その意地とプライドを否定することになるんじゃないかと。部下にはああ言いながら、自分はそうできない不器用さ。病気の進行状況を考えると、仕事を辞めて家族との時間を取る選択肢もあったけど、仕事を選んだ。「仕事を辞めた自分」を想像できなかったのかもしれない。
帰り際、深々と頭を下げていた奥さんの姿が印象的だった。