なんかずっとモヤモヤしてたんだけどさ、いや大江アナが帰ってくる件じゃなくてよ?
大量の募金集めてまあまあ中抜して、それでいて絶対額として多量のお金を子供たちの為に使う。
いいじゃん、そう思ってた。
でも、まあ、色いろあるんだろ-な-と思ってブコメとか読んでたんだけどよ、
↓の読んで我が意を得たり、と。
無報酬で働けとは思わないが、募金する人より中抜きする人が優雅な暮らしをしているのは違和感。貧乏になれというわけではない。あの人達は身銭切ってるの? 2013/11/14
いや、同意じゃないよ。
俺はこれとは真逆の発想だったと気がつかされた。
アグネスが優雅極まりない生活をして、みんなが「なんだよ募金活動って旨みあんじゃん」と思うことは、とても良いことだと思う。
で、ガキは大人よりも簡単に死ぬ。
じゃあ、そのガキは、施す側の国連の職員が、自分たちと同じように飢えて貧乏になってほしいと思ってるかって言うと、こりゃ違う。
食い物がほしい、生き残りたい。
清貧の牧師が現地で行う布教活動は尊いし、ナニモノにも代えがたい人間の崇高な部分だと思う。
ただ、アグネスが優雅暮らしをしながら行ってるPRが億の金を生むなら、
施される側のガキにとっちゃ、ソッチのほうがありがたいだろう。
間違いなく身銭を切り身を粉にして奉仕しているのは牧師の方だろうが、結果はどうだろう。
なんだかんだで、その「姿勢」を問われる事が多い。
結果が出てなくても、崇高でありさえすれば良いとか。
それってやっぱ違うと思うんだよね。
「ああ、あんな優雅な生活しながら募金活動しても良いんだ」って金持ちが思うとか、
「美味いこと金を集めたら俺も美味しい汁が吸えるかも」って集金のプロが思うとか、
「なんだよ俺のほうがもっと確実にできるって」と義憤に燃える無私の人が思うとか、
そういう結果が、絶対的な資金量に繋がるんじゃないかな。
目的は手段を正当化しないって言うには、今まさに死んでるガキが多すぎる。
しない善よりする偽善。
オマエの善より、アグネスの偽善のほうが子供に金がまわるなら、
ソッチのほうが俺は「正しい」と思う。