これ、SFだとよく言われるんだけど、実はそうでもない気がする。むしろ必要なのは「異変そのもののもつリアリティ」ではないかと、進撃とか見て思うんだよね。
最初(というか今も)多くの設定論者が、立体起動装置の設定についてどうなってんだとかケナしてたけど、読者はそれはそれとして「立体軌道でぐいぐい飛ぶこと」をリアルに想像できたんだと思うんだよね。まあ、あれについてはゼル伝に始まるゲームのおかげが大きいと思うけど、「非日常そのものにリアリティ」があれば結局OKなんじゃないか、とか。
そもそも巨人という「どうしようもない意味分からん存在が襲いかかってきて人類死にそうです」という世界設定だって、要するに、現代社会を生きてる人間なら充分想像できる「リアリティのある非現実」だからこそ、受け入れられた。巨人の後付け設定とか、いろいろしてるけど、物語に入り込むのにそれらはそれほど重要ではなかったんだよ。
SFの名作と呼ばれるような作品は、そういう点しっかりしてるけど(あるいは少なくとも突っ込まれない程度にはしっかりして見えるようにつくりこんでいるけど)、世間で売れる作品が全部そうかというと、そうでもないのは古今東西同じ(たとえばSWがそうであるように)。何がいいたいかっつーと、「面白い作品」を作るためには、勉強だけでなく、そういう「時代を感知して少しだけ先取りする力」とか「厨二的妄想力」とかもとても大事なので、元増田はたくさん遊びもして頑張ってくださいってことです。
面白いアニメやマンガ、小説、映画等の創作物というのは、大きなひとつの「異変」が物語を広げている。 まどかマギカにすれば、ごくごく普通の女子中学生が「魔法少女になったら」...
その異変で歪む日常にリアリティがないと受け手が冷めるので 面白い化学反応の生まれそうな異変を捻り出す発想力と 壊れる世界をリアルっぽく描写できる教養の両輪が必要なんで が...
その異変で歪む日常にリアリティがないと受け手が冷める これ、SFだとよく言われるんだけど、実はそうでもない気がする。むしろ必要なのは「異変そのもののもつリアリティ」で...
がんばれ^^ 応援してるで^o^/
創作論として「まず大きな嘘をひとつだけ放り込む」ってのはあるよね。
その大きな嘘…というか前提の周囲に、整合性のあるディテールを広げてゆけば それで舞台装置はできあがるもんね。 http://anond.hatelabo.jp/20131101113935
SFの定義論とかあるけど、その1つが 舞台装置を少し変えて現実をシミュレートすることで、現実の歪みをあぶりだす。って感じ。 SF面白いよな!
「孤独のグルメ」は?
孤独のグルメは、普通のビジネスマンがランチに関しては開拓精神と好奇心が人並みはずれて旺盛だったら…という話
後食欲 ドラマに限っていえばゴローちゃん毎回食いすぎやろw
こうかな 普通のビジネスマンがランチに限っては好奇心・開拓精神・食欲が人並みはずれて旺盛だったら何をするか?と考えた結果、普段は雑誌に載らないし、入ろうともしないような...