何かがすごく気持ちわるい。
言の葉の庭を映画館で見なくてよかったと思うぐらいだ、これが本編の前にあったら、もしかしたら映画館をでてたかもしれない。
表面的なところでいえば、冒頭の、
『つり革を まるで命づなみたいに強くにぎって あーちゃんは立っている/だれかの自慢めいた近況をチェックする気にもなれず かといって窓ガラスに映った~』
がSAN値を削る。なぜ削るのかと内省すると、小説ふうな語りだからなんじゃないかと思う。変に気取った感じが黒歴史的なものを彷彿とさせる。
朗読を意識しているのであれば、聞いていて心地よいように言葉を選んでよいと思うのだ。ストレスなく、それでいて情感のある文章。表情や手草で伝えきれないものを口調で伝えて、言葉にするものは本当に限られると思うのだ。
これでいえば、そこで状況を説明することに意味がない。
主人公が疲れているのも、つり革にぶらさがるようにしているのも、隣のサラリーマンのように誰かのツイッターなのかブログなのかをチェックする余裕がないのも見れば分かる。見れば分かることを言葉にするぐらいなら、見ても分からないことを言葉にすればいいのに、と。
もしくは、見てもぱっと分からないぐらいに映像の抽象度をあげてもいいんじゃないか、と。
要は情報過多で、ただでさえ胸やけしそうなぐらいきつい日常系が余計に脂っこくなっている。
言の葉の庭にも同じようなところがあったと思うから、なんていうか悪い病気にかかっているのだろう・・・か。
物語的には朗読するような形式は必須だし、冒頭から語ることに意味があるとなればいろいろと根本から瓦解しているような気もするが、映像で説明されることをあえて言葉でたたみかけるから吐き気がするわけだから、そうじゃなく、主人公のことをちょっとだけ語ってあげればよかったんじゃないか、と思う。社会人になって何年目のことなのか、季節は? 時代は? そういうところで、よかったのに。
最初の最初の実写部分が落ちつくのは無駄に語らないせいだろう。6分30秒のあとに同じ実写をみたときの安堵感といったらない。