もう(時間切れで)、元増田さんはこのエントリーに付くトラバを読まないかもしれませんが、どうしても引っかかったので。
社会ネットワークという学問では、元増田さんが関心があると思われる人間の関係性も含めていろいろと学問しているのですが、「弱い紐帯の力」というのが一つのキーワードになっています。
詳しくは検索して頂ければと思うのですが、ザなックリと言うと、自分に身近な濃い関係性よりも、薄いつながりの人から重要なものを得ることがある、という統計学的調査結果から来ている言葉です。
(事例としては、「転職先を紹介してもらう」みたいなものがあります。)
「関係が切れてもいい人・どうでもいい人同士」という表現が適切かはわかりませんが、薄いつながりでも、それをなんとなく維持しておくことには、メリットがある、ということです。
元増田さんは、
>僕は「そういう考え方もあったのか!」と驚かせてくる人に魅力を感じます。
と書かれていますが、実は、そういうものは、まさに「弱い紐帯の力」であって、そういう斬新な驚きは、自分の近くの濃い関係からは得難いのです。
ネットで出会う、という部分もまさにそうで、直接出会いにくい人の方が、自分とはバックボーンがいろいろと違う確率が高いわけですから、斬新な驚きをもたらすのは道理だと思われませんか?
>「関係が切れてもいい人・どうでもいい人」同士で関係を作ってそうだから、どんどんそのコミュニティで平均化された人間になっていそうです。
この部分についてはどちらかというと否定的で、薄いつながりの人たちの方が平均化しにくい、と言えます。
そして、新しい驚きをもたらす人とリアルに出会えるチャンスがあるとすれば、それは「弱い紐帯の力」を利用して、「知り合いの知り合いの知り合い」くらいに出会うときが確率が高いわけです。
「共感し合える関係」という意味でも、全くつながりがない人よりも、「知り合いの知り合い」くらいのつながりくらいがないと……。
(「転職先の紹介」も、ある程度の信頼感がそこにあるので成立するものと考えられます。)
また、「濃いつながり」の方ですが、ある社会ネットワークの調査によれば、「ネットワーク(≒コミュニティ)の中心部にいる人は幸福度が高く、周縁部にいる人は幸福度が低い」という結果も出ています。
つまり、元増田さんの言う、「友達」も「仲間」も、新しい発見を得たり、幸福度を高めるために、必要なのです。(統計的には、です。)
※また、これは余談ですが、「ダンバー数」というのもあって、ある「仲間」を形成する人数は150人程度が上限のようです。
「こんなつながり意味ないなぁ」という場合があるとしたら、150人を超えた集団を無理矢理一つの塊にして維持しようとしているときがそうかもしれません。
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