2013-03-03

言語(1人用)の忘備録

言語とは何ぞやと、よく考えては、忘れたりする。

思いついたままに言語化。

たまに「人は言葉を使わずに思考できるか?」という人がいるけど

しろ言語を使って考えることってそもそも無理だと思う。

もっと言語よりももっと原始的だったりアトミックだったりする観念があって、言語はそれに後付されるだけ。

意識していないけど、だれだって言語アイデアの後に生成されるのが普通だと思う。

まれに言語だけで考えているという人がいるけどそんなのおかしい。ロボットミタイ。

人は五感から受け取った情報を100パーセント認識することはできない

言語が人の認識によく適しているのは、言語表現能力の高さという点ではなくて、むしろ表現能力の低さにある。

受け取った情報言語を使って不正確に認識することで、却って情報を切り捨てることができるから

五感で得た情報をざっくり取捨選択したりするサボり魔な脳としては、言語みたいな不正確でダメダメな仕組みはうれしい。

言葉が人の考え方を左右するのは

新しい花の名前を知ったとき、今まで雑草だと思っていたものが雑草ではなく花に見えるという話がある。

今まで雑草だとカテゴライズされていたものが、タンポポという単語カテゴライズされるから

カテゴライズ。これも結局は情報の切り捨て。

何をどう切り捨てられるか、何を取り込むか、脳の取捨選択は使用する言語に左右される。

とか言っても、言語化しとかないとなかなか覚えられないし、何も認識できない

言語概念を縛り付ける鎖のようなもの

というイメージがある。

野良犬は、自由に動きまわる。無意識化でないとなかなか思い通りに制御できない。

飼い犬は、あんまり勝手に動かない。だけど意識下で制御できる。

言葉非可逆圧縮ツール

というのは言い過ぎだけど、少なくとも言語って離散的な情報だと思う。

CDは毎秒すごい勢いで16bit情報を吐き出して、音を生成できるけど、結局の情報は離散値だ。

でもCDプレイヤーは離散値しか理解できない。Bit情報しか理解できない。

人もそんな感じがする。

五感で得た情報言語化すると、人は意識化でその情報制御やすくなる。

ただし言語化できる範囲でしか概念として定着せず、離散値になってる。

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