言語とは何ぞやと、よく考えては、忘れたりする。
思いついたままに言語化。
もっと、言語よりももっと、原始的だったりアトミックだったりする観念があって、言語はそれに後付されるだけ。
意識していないけど、だれだって言語はアイデアの後に生成されるのが普通だと思う。
まれに言語だけで考えているという人がいるけどそんなのおかしい。ロボットミタイ。
言語が人の認識によく適しているのは、言語の表現能力の高さという点ではなくて、むしろ表現能力の低さにある。
受け取った情報を言語を使って不正確に認識することで、却って情報を切り捨てることができるから。
五感で得た情報をざっくり取捨選択したりするサボり魔な脳としては、言語みたいな不正確でダメダメな仕組みはうれしい。
新しい花の名前を知ったとき、今まで雑草だと思っていたものが雑草ではなく花に見えるという話がある。
今まで雑草だとカテゴライズされていたものが、タンポポという単語でカテゴライズされるから。
何をどう切り捨てられるか、何を取り込むか、脳の取捨選択は使用する言語に左右される。
というイメージがある。
野良犬は、自由に動きまわる。無意識化でないとなかなか思い通りに制御できない。
飼い犬は、あんまり勝手に動かない。だけど意識下で制御できる。
というのは言い過ぎだけど、少なくとも言語って離散的な情報だと思う。
CDは毎秒すごい勢いで16bitの情報を吐き出して、音を生成できるけど、結局の情報は離散値だ。
でもCDプレイヤーは離散値しか理解できない。Bit情報しか理解できない。
人もそんな感じがする。