コミュ力のある友人と、年や性別がバラバラのコミュニティで数時間過ごした。
コミュ障なので、新しく知り合った人とは型どおりのコミュニケーションしか取れない。
つまり、出身地とか、天気とか、その場にあるものについて当たり障り無い会話。そっから苦し紛れに話題を広げる。
自分のすることといえば、わたし青森に親戚がいて、からはじまり、誰も興味がないであろう青森の天気とかりんご事情とかを、話す。
相手が、さほど興味が無いであろう青森のりんごの話題などを振ってくるからどんどんつまらない会話が続く。会話義務を協力的にすすめているのだ。
そうやって、外国語の教科書のような会話が続く。ちっとも楽しくないし、ものすごく疲れる。
そうこうしてると、義務的会話に体力がつきて、つい突飛な話題を振ってしまう。
こんな所で書き込んでるギーク気質だから、面白い話といえばギークなネタしかない。
ネットだと普通だけど、ふつーの人には「へえ、そう」でスルーされそうなネタとテンションしか持ち合わせていない。
りんごの話でいえば、ギネスにのってるりんごの皮むきの長さってどれくらいだと思いますか?とか、りんごの面白い切り方のうんちくの話題を振ってしまう。
私ははじめて見た時にあれほど興奮したのだから、きっと彼らも……盛り上がれる、そう思って。
だが、これで決定的に会話ははずまなくなる。外国語の教科書的会話の時のほうが、あきらかに盛り上がっていた。見せかけだが笑顔もあった。
でも、だがこうなってはもう、止められない。おかしい、おかしい、なんでこの人は変てこなギネスの記録にこんなに興味が無いのかと思いながら、増田さんは若いのに物知りね、と言われて、理由をつけて会話は強制終了する。
ああまたやってしまった。私はもう一度この人達にあったら、あのよくわからない話をする人だと思われて、腫れ物のように扱われ、やがて孤立するのだろう。また。
教科書会話で押し通した方が、まだ二度目以降のコミュニケーションはスムーズに行く。少なくとも危険人物ではないと思われるからだろう。
だがそれで押し切ると、話題は尽きて何も話さないだんまりな人になって、やっぱり腫れ物扱いされて孤立する。そんなのばかりだ。
コミュ力のある友人の方を見れば、50代のおばさま二人と20代のフリーターとオタク系専門学校生と、差し入れのりんごについて楽しそうに盛り上がっていた。