今日、Twitterに関する利用で友達(以下、A)と大げんかをした。
私がツイートしていたとある内容が、暗にAを責めているのではないか、と言ったことだった。
私としては「誰」を特定してツイートしたわけではないが、Aからすれば「自分を名指ししているような内容」に感じた、と後で知った。
そのほとんどが、飲酒運転や万引きなどの犯罪行為をツイートしたのが原因だ。
その背景に、TwitterをmixiやFBと同じように考え、自分のツイートはフォロワーの友達にしか伝わっていないと誤解している点がある。
誰かが言ったように、身内で呟いているつもりでも、外には筒抜け。鍵のない身内でのツイートは、逆マジックミラー号のような感じなのだ。
私はこのような騒ぎから、Twitterの世界は【自分対見知らぬフォロワー】という固定観念を勝手に作っていた。
しかし、それが逆に仇となった。
私が誰と特定したツイートでなくても、Aは「私のことを言ったんじゃないのか」と疑心暗鬼に陥ったらしい。
一度「このようなこと(疑心暗鬼に陥り、非常に不快な思いをしたこと)があった」という話をAからされたにもかかわらず、私はその場の話としてすっかり忘れてしまっていた。
そのため、そのようなツイートがが繰り返し重なり、Aは私を避けるようになり、私は友達の輪に入れなくなっていった。
なんとなくそのような態度に気づいていた私は、暗にAを指すような内容(友達の輪に入れてくれなくなった様な内容)をツイートしてしまった。(やっぱり学習していなかった……。)
すると、さすがにAも我慢ならなかったのか「何故このようなツイートを行ったのか、これは私のことなのか」というメールを送って来た。
(色々と割愛するが)結局電話で、自分の心ないツイートでAを傷つけたことを詫び、私の気持ちとAの気持ちをそれぞれ洗いざらい話しあった。
(その内容が、今書いてきたようなことである。)
Aとは仲直りをすることができたが、私は【Twitterの使い方をわかっているフリをしていた】だけなんだな、と改めてAに気付かされた。
先に述べたように、私のTwitterに関する考えは【自分対見知らぬフォロワー】だった。
私のことが嫌なら、勝手にブロックしたらいい。そう思っていたが、私のフォロワーの中には何人もの友達がいる。
友達をブロックするのには勇気がいるし、そう簡単にできるものでもない。もしもブロック一つで人間関係が壊れたら……。バカみたいだがそう思うこともあった。
そんな考えから、今回の喧嘩は起こってしまった。(のかもしれない)
顔を見合わせて話すことのできないTwitterだからこそ起こってしまった喧嘩。
私は遠くのフォロワーばかりを見ていて、近くにいるフォロワーを全く見ていなかった。
嫌ならブロックしろ、というのは結局遠くのフォロワーにしか通じない言葉なのかもしれない。
この出来事を通して、改めてTwitterの使い方について考えさせられた。
本当痛い目見たわ……。
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