1ヶ月程前に予約していた精神科に行ってきた。
院内は新設されたてだったようでとても綺麗だったし、待合室にいる間にコーヒーをサービスしてくれたりして、こうやって患者の緊張をほぐしてるのかな、と少し驚いた。
まず問診票の「どのような症状があるのか」という所で少しつまづいた。
私は自分の考えてることを片端から本当かどうか考えてしまうので、どう書くべきか非常に迷った。
とりあえず情緒不安定と書いておいたら案の定、具体的にどういうことか、と聞かれた。
たどたどしくも、出来るだけ、自分なりに恐らく、と整合性が取れる範囲で思いついたものを述べていった。
まぁ、ここまではよかった(これまでに問題があったのかもしれないが)。
「貴方はそれを治して何をしたいのですか」と聞かれた。
考えたこともなかった、というのは嘘で、私はもとより何もしたくなかった。
更に、私は治ることに恐怖を感じていた。
お前は何を言ってるんだ、じゃあ何故受診しているんだ、と思うだろう。
この感情はおかしい、と自分でも思うが、私が苦しくて治りたいと思うことと、それに対する怯懦とが両立することは私にとってはおかしくなかった。
ただ、それを相手が理解出来るように言葉にするにはまるで出来る気がしなかった。
しかし特に何もしたくないと言えば、何故来たのですか、と言われそうで怖かった。
わかりません、と言うしかなかった。
ここで先生に呆れられた。
「それだとこっちとしても治ったのか、治りつつあるのか判断のしようがない」
なるほどそりゃそうだと思った。
と聞かれこれまた答えに詰まって、とりあえず薬を処方して頂ければ、と言った。
私はパニック障害で心療内科に通院していてソラナックスやらジェイゾロフトやらを処方されていて(一応精神科と分けて考えていたので)、
「それならば出す薬はそんなに変わらない」
そうなのか。
もう限界だった。
なんだか更にわからなくなった。
病人には治りたい理由が必要なのだろうか。
だが事実として私は私の症状を伝えることができない。
ならばどうすればいいのだろう。
治りたいという意思が無い、というのは患者として致命的だというのはわかる。
しかしそのアンビバレンスに挟まれている状態で苦しんでいることは、どうしようもないのだろうか。
もっとも、私が何らかの精神病を患っている、ということは何も確定していないのだけれど。
いつまでもダダをこねているし、もう一生このあたまで生きていくんだろうな、とも考えている。
私のこの矛盾だらけの感情は、クオリアやらなんやらかもしれないが、結局相手が理解出来かつ許容出来なければノイズみたいなものでしかないのだろうな。
「疾病利得」ってのがあるから(詳しくはググれ)、治りたくないと思う事は別におかしいものではないよ。 そこんとこ医者もちゃんと分かってるはずなので「治りたくない気持ちがあ...