2011-09-15

どのようにして気が触れて自殺したように見せるか

娘の誕生日の当日。

いや、翌日ぐらいの方がいいか。敢えて何かある日を外した、なんでもない日の方が現実味がある。

移動ルートと道具をきちんと準備しておこう。

まり居間から。午前中がいい。晴れていると尚良い。

さりげなく手近に鈍器を用意しておく。

そして妻が携帯電話を置く。

それを奪ってまずヒンジを逆方向に折り、携帯を壊す。

そのあと間髪入れずに自分iPhone破壊する。

連絡手段を破壊するという行為は被害が大きいし、印象に残る。

ただしか破壊目的ではない。どうせ死ぬのだし。

つの携帯破壊したら台所に走り、包丁を手に取る。

そのまま玄関から外に出る。

娘もまだ小さい、おそらく妻は追ってこないだろう。

追ってきた場合は振り切るまで高台の方に走る。

追ってこないにしても高台へ。

どこがいいか

遺体が見つかるにしても、人目に触れにくく、かといって遺体を回収しにくい場所であってはいけない。

少し林が茂っているところの、道路から少し入った程度の場所でいい。

辿り着いたら、そこで命を絶つ。

あしかし、包丁は痛いなぁ。痛みはない方がいい。

毒物も用法を間違えると長く苦しんでしまったりするらしいし。

筒井康隆の「敵」では、濡れタオルを喉に巻くことでさほど苦しみ無く死ね作法があると聞いた。

あれが本当なら、絞首もいいかもしれない。

それは検討しよう。

死に方を選びたい自殺者というのも身勝手ともとれるが、「死にやすい」と思えてこそ実行の決意も固まるというものだ。

話が逸れたが、茂みで命を絶つ。

この通りにやれば、あまり狂いごとに耐性のない妻や周りの人は、気が触れて命を絶ったと思ってくれるのではないだろうか。

必ず、気が触れて死んだように思わせないといけない。

少しでも思考が残っていたように思われれば、何か悩みや動機があって命を絶ったのではないか類推されてしまう。

妻や周りの人に後悔の念を残させてはいけない。

妻も娘も愛している。だが自分は行動では示せなかった。

「あの男を愛したのは、何かの間違いだったのだ」として決着をつけさせてやるのがせめてもの最後の愛かと思う。

このような思い切りがあるのならば別れるなり別の形で愛を示すなりとそちらに思い切るべきとも思うが

愛している妻と別れるのもつらいし、愛を伝えるどころか憎悪を深めるばかりとなるのもまた、つらいのだ。

死ぬまでいかずとも行方くらますだけでも、とも考えたが

消息が分からない」という白黒つかない状態にさせ続けるのもまた妻はつらかろう。

圧政を敷く政権を滅ぼして多数の民衆を助けるということが存在するように、

本人が望もうと望むまいと、

社会の得にならない人間自殺するという益は確実にあるのだ。

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