娘の誕生日の当日。
いや、翌日ぐらいの方がいいか。敢えて何かある日を外した、なんでもない日の方が現実味がある。
移動ルートと道具をきちんと準備しておこう。
さりげなく手近に鈍器を用意しておく。
そして妻が携帯電話を置く。
それを奪ってまずヒンジを逆方向に折り、携帯を壊す。
そのまま玄関から外に出る。
娘もまだ小さい、おそらく妻は追ってこないだろう。
追ってきた場合は振り切るまで高台の方に走る。
追ってこないにしても高台へ。
どこがいいか。
遺体が見つかるにしても、人目に触れにくく、かといって遺体を回収しにくい場所であってはいけない。
少し林が茂っているところの、道路から少し入った程度の場所でいい。
辿り着いたら、そこで命を絶つ。
筒井康隆の「敵」では、濡れタオルを喉に巻くことでさほど苦しみ無く死ねる作法があると聞いた。
あれが本当なら、絞首もいいかもしれない。
それは検討しよう。
死に方を選びたい自殺者というのも身勝手ともとれるが、「死にやすい」と思えてこそ実行の決意も固まるというものだ。
話が逸れたが、茂みで命を絶つ。
この通りにやれば、あまり狂いごとに耐性のない妻や周りの人は、気が触れて命を絶ったと思ってくれるのではないだろうか。
必ず、気が触れて死んだように思わせないといけない。
少しでも思考が残っていたように思われれば、何か悩みや動機があって命を絶ったのではないかと類推されてしまう。
妻や周りの人に後悔の念を残させてはいけない。
妻も娘も愛している。だが自分は行動では示せなかった。
「あの男を愛したのは、何かの間違いだったのだ」として決着をつけさせてやるのがせめてもの最後の愛かと思う。
このような思い切りがあるのならば別れるなり別の形で愛を示すなりとそちらに思い切るべきとも思うが
愛している妻と別れるのもつらいし、愛を伝えるどころか憎悪を深めるばかりとなるのもまた、つらいのだ。
「消息が分からない」という白黒つかない状態にさせ続けるのもまた妻はつらかろう。
圧政を敷く政権を滅ぼして多数の民衆を助けるということが存在するように、
本人が望もうと望むまいと、
「ある日突然気がふれて自殺」って何か特別な自殺プロセスなのか。なんにしても残された家族は悲しいだろう