地震、津波、テロの発生「確率」、バックアップの冗長性、安全率で原発の安全性の議論。
タバコ吸っても、それよりガンリスクが低いとされる量の放射線浴びるのは嫌だと言う人がいる。
自動車に乗るのは気にならないが、飛行機に乗るのは(落ちるかもしれないから)恐いという人もいる。
確率論的には、自動車に乗るほうが死に至るリスクが高いだろう。
しかし、これは人間の行動心理であるので、こういう人を笑ってはならない。
囚人のジレンマのように、実際起きることは、こういう泥臭い人間心理で動いたりする。たとえば経済。
宝くじに当たるのは、交通事故に遭うより確率が低いといわれるが、
大勢の人は、それでも宝くじを買う。そして宝くじに当たる人はいる。
しかも交通事故に遭うこともなく、宝くじに当たり、1億円を手にする人も大勢いる。
今回、原発事故が起きる「確率」は低かったというかもしれないが、実際起きた。
今回の原発は、おそらく、起きる「確率」が低かったことが、実際に起きてしまったのだろう。
でも、「仕方がなかった」と納得はできないこの気持ちは何だろうか。
われわれは「直観」で危ないと思っていたのを、「確率」で無理やりねじ伏せていたのではなかろうか。
実際、危ない危なくないという「確率」ではなく、事実に直面した時、納得できるかが問題なのだ。
1000人にひとり、1万人にひとりでも、それが自分に起きるかどうかはコインの表裏で、
見ず知らずの1000人、1万人など知ったことではない。そんな人数は自分以外の仮想化された群衆に過ぎない。
だが、「直観」を「確率」で補正するのはナンセンスではないか。
「直観」は、われわれの知らない計算を裏で、オーバークロック的にやった結果かもしれないのだ。
「直観」をバカにしてはならない。
原発をどうするか。「事実」と「直観」で考えればよいではないか。
「確率」よ、おまえはもう要らない。
俺はこういう確率否定が嫌い
あんなこといって自分は裏でこっそり確率を適切に使って処世してるようにしかみえん。 http://anond.hatelabo.jp/20110403231841
「確率」が嫌いなわけでもないし、それなりに判断材料にしたりもするけど、ただ最近「確率」だらけで食傷気味なので。「確率」計算ばっかりやっていると、「直観」までが影響を受...
その通り、直感は大事。 俺も常々思ってるんだけど、宇宙開発なんかも危険だよね。 デブリが家に落ちてきたことすらある。 おそらくこの調子だと、雨のように降り注ぐことになる。
そして直感のままに「ピカの毒がぁ」とか言って被曝者の受け入れを拒否するんですね。 素敵です。
「直観」で「危険」と判定したとして、「危険」だから「排除」?それはどうだろうか。相手が人間だったら変わってくるのでは?
放射能は病原菌のメタファー。 病原菌は何十万年も人類と一緒に存在しているわけだから、直観に影響しないわけがない。
病原菌はE=mc2
それがわかる人間ならね