2009年12月29日の日記

2009-12-29

DSM-4の多軸診断を誤解してた

5軸全てが診断の手引きに載ってると思ってた・・・

手引きに載ってるのは1、2軸のみだったのね。

1軸:2軸以外の精神疾患発達障害もこちら)

2軸:パーソナリティ障害精神遅滞

3軸:一般身体疾患

   精神疾患に関連する可能性のある一般身体疾患。

   (DSMには載ってない。ICDにはあるのかな?)

4軸:心理、社会環境的問題

   精神疾患に関連しそうな出来事。

 死別、離婚学校適応仕事上の問題、経済的問題などなど

  カウンセラーとの不和なんてのも・・・

5軸:機能の全体的評価

  The Global Assessment of Functioning Scale

  GAF尺度で何点か?を記入。

  症状と、機能の2つの面で得点を出す。

てな感じね。嗚呼、不勉強

SPSSシンタックス 覚書

・各行の1列(桁)目が半角ブランクである場合は継続行記号。

・各行の1列(桁)目が半角アスタリクス“*”である場合は注釈行記号。

ひとつコマンドを終了する記号は行末の半角ピリオド“.”。

変数リスト

 1)ひとつ変数

 2)複数の変数名を半角ブランクまたは半角カンマでくくって指定したもの

 3)ファイル変数順に指定する最初の変数名 to 指定する最後の変数名 ← これで書くとスゴク便利 e.g.)

【便利なテクニック】

・Ctrl + R でシンタックスの実行

・Ctrl + A で全体を選択して、Ctrl + Rで全て実行

***全角スペースは絶対使ってはいけない!バグる!***

研究者には社会性がないといわれることへの考察

 研究者には社会性のない人が多いという話はよく聞きます。自分大学にいた4年間をみてみると、研究の深いとこまでは何してるかわかんないのですが、しっかりしている人もいたし、そうでない人もいました。それは、約束時間を守る、人と親しくする、挨拶をする、気を配る、自分が間違っていた時には謝るなんてことなど一般的なことです。中には、そういったことのできない(だけなら、まだいいですが・・・)社会性というか社会人として人としてどうなの???とう人も見たり聞いたりしました。例えば、学生を道具のように扱っている、お茶を入れてもありがとうの一言もない、研究しかしない、人と接しない、他人を侮辱する人間性を否定するようなことをを簡単に言ったり、etc.

 それって何でだったんだろう?と今日は考えてみました。

社会性のない研究者タイプ

 恐らくいろんなタイプの人がいる、社会性に関しても、ある人、ない人、出来るけどやってない人、そういった人が、どうやって出来てくるのか?ということを考えてみました。

研究者社会性が無くとも何とかなってしまう

 研究して業績があって、会議や最低限の講義をこなせばどうにかなってしまう(実力主義なこの部分は、個人的に好感がもてます)。周囲にも、社交的でなくて大丈夫な人が多いので許されちゃったり、本人も学ぶ気がない。

出来るけどやんない

 「僕って、理系なんで社会性なくって、イヤ~、人と違うからまいっちゃうなww」みたいなナルシズムがあるタイプ。(これは私がオタリーマンを読んだ時に、この種のナルシズムをプンプン感じて、作者の鼻の穴が開いてる映像が浮かびました。あ これ完全にオタリーマン感想です。)

ニワトリが先かたまごが先か?: 社会性がなかったから研究者になった?

 これが一番に思いついたこと。昔から勉強ができるタイプの友人には、3種類の人がいた。

1.知的探求心、処理能力が高く、勉強が好き(正に研究者向きの性格という感じですかね)

2.ちっちゃい頃はそんなに勉強しなくてスポーツや遊びに夢中で、塾や高校に行きだしてからポテンシャルの高さを発揮する。

3.人付き合いやスポーツは苦手。勉強でなら勝負できる、勉強面でしかやることを見出せない。また、勉強しなければいけないという思い込みが強い。

 1.と2.は持ち前の処理能力の高さが目立つ人たち。

 3.のタイプの人って結構な割合を占めていると思うんですよ。たまに、3.のタイプは、成績いいけどそんな頭良くないよねなんていわれることがあるが、私はそうは思いません。そのタイプでも、本当に頭がいい人はいます。

 ただし、3.のタイプの人の社会性を問われると、根底にある(んではないかと私は思う)劣等感嫌悪感や、思春期青年期の複雑でやや乱暴な世代の中で人付き合いを学ぶ機会を拒否してしまったりで、コミュニケーション技術を育てず、結果的に社会性がなくなってしまうのではないかと思うんです。

(3.になれないタイプ、どこかで勝負できる場所を見つけたいけど、勉強やっても無理だったって場合には、別の場所を見つけることにはなるんだろうけど・・・うーんって感じ。)

 3.の場合、他のレパートリーがないから、勉強に特化して掘り下げることが出来たんだろうし、そのレパートリーの無さが、研究能力を高め、その人を生かしているとも言えなくはないと思う。成長過程で何かしらの傷をおって、人から離れ、それでもそれが本人を生かしているとしたら、その混沌さがまた、人間らしくも思えて、昔理解できなかった大学研究職の方々とも少しは歩み寄れそうな気がしました。

彼には好きな人が居て、その人は彼の前でよく泣く人だった

http://anond.hatelabo.jp/20091016211552

 「泣く人は弱い人なんだろうか?」という、どことなく思っていた疑問に元増田エントリーがヒントをくれた気がする。

 確かに、元増田が好きだった良く泣く女性は、一人で自分の気持ちを整理して世間と戦って行けるほど強い人間ではなかったのかもしれない。それは、元増田の前で涙を見せなくなり、足が遠のき、気づいたときには他に彼女を支える存在ができていたという顛末からも想像はつく。結局、彼女を支える誰かが必要であるという側面はありそうだ。

 では、彼女は弱いのだろうか?

 

 泣くことは、痛みに触れることに似ている。

 

 もちろん色々な涙(戦略として使ったり、人の気を引いたり)があるのだろうけど、元増田の文章を読む限り、彼女は泣くことによって痛みに触れていたんだろうと思う。自分の弱さ、不甲斐なさ、厭らしさ、浅ましさなど・・・目を背けたほうが楽なことをシッカリ自分の傍らにおいて、泣きながら口に出すという行為を通じてそれらを抱きしめていたんだろう。悪臭を放ち、おぞましい姿で、幾千も棘を持ち、触れると肌を破り激痛を与える。そんなモノが人の心の中にあって、それは、触れ続けることでしか消化できない。それに触れ続けるためには、聞き手という共に痛みを感じながら、一緒にさわってくれる存在が不可欠だったんだ。

 おそらくは、その行為によって、彼女は外の世界で凛とした自分を保つことができていたんだろうと思う。そういう意味においては、元増田彼女の強さを一緒に作っていたといっても過言じゃないだろう。

 弱さとはなんだろうか?

 今の時点で僕が思う弱さとは、痛みと向き合えないことではないだろうかと思う。そうして安全な場所だけを求めて自分のいる世界をどんどん狭めることだ。守らなきゃいけないものを大切にするためには痛みが伴う。失敗することはあるけれど、痛みと向き合えることは、例え涙が流れてしまったとしても、とても勇敢な行為だと信じたい。どんな本で読んだのかは忘れたけれど、「怖いものがあるのは弱いということではない。恐れがなければ勇敢になることはできないのだから」という言葉を思い出した。

 彼女の強さの中には、元増田と共に戦った時間が、今でもきっと残っているよ。

音楽は私の手をとって、一緒に触れてくれたんだ

27歳男性、朝ipodを聞きながら出勤してふと思った。

「『音楽に支えられる』って表現は良く聞くけれど、その言葉自分を対象に考えたときに、あまりしっくり来ないなよな。」

自分はコアな音楽フリークではないし、細かな演奏の違いだとか音質の違いだとか正直言ってよくわかんない。けれども音楽は好きだし、音楽に助けられたって想いはある。それでもやっぱり・・・・・・後ろから支えられたんではないよなと言う感覚があった。自分は歌詞でCDを選ぶほうだ。好きなアーティストCDは買うってルールはあるものの、普段はジャンルや曲調は問わずにバラバラにレンタルして聴いている。

「今凄く引き込まれている」。そう感じるとき、胸は苦しくってじんわりと嫌な汗をかく。ドキドキして、まるで胸を鷲掴みにされてしまったよう。特に自分に響く曲の歌詞は、人間のずるい部分や、いやらしさ、醜さみたいなものを、死や絶望現実残酷さを、ダイレクトに力強く表現してくれるものだ。希望ばっかりを声高に叫んだり、愛だ勇気だ自由だなんていわれても、(たまにそう思うことはありますけど)なんだか引いてしまって、自分が集中して聞いているという感覚は得られない。

一歩ひいて考えてみると、私の好きな曲たちは、自分が目をそらしたいと思っているものを歌詞にしている。自分だけで考えているだけでは、「醜さ」「いやらしさ」「死」であったり、「異常性」というものを、咀嚼して消化することはとてもじゃないけどできない気がする。今は、すこし年をとって内省できることも増えたけれど、思春期から青年期前期にかけては、ただでさえ悩める年頃なんだから非常に難しかったと思う。

それでも、音楽はしっかりと私にぶつけてきてくれる。「死から目をそらすな、お前も醜さを抱えているんだ」と。私の手をとって、彼ら自身も苦しさを感じながら共に触ってくれる。一人では見つめられないものが、どんな形をしてて、どんな質感・温度なのかを、共にたしかめてくれる。そうして、「本当は、俺も恐いんだよ。」というメッセージまでくれる。そう、音楽は一緒に触れてくれていたんだ。

音楽に限らず、マンガ小説、絵画、映画にもそういう側面はある。そういったものを通して、自分の中のモヤモヤを咀嚼し、置き場所をさだめ、それらを携えながら生きてこれたんだろう。迷いや不安は現れつづけるけど、それに触れながらこれからも生きていくんだろう。

ギャグ漫画家、お笑い芸人の一部は人の感情の操作がムチャクチャ上手い

特に、流れの中で笑いを取ることが出来る人は秀逸だと思う。

たぶん、一方通行の中(「媒体的に」であったり、「ピン芸人」)で「おもしろい」って感情を誘発するのは、カナリ難しい。

意図して、「おもしろさ」を作ることができるのであれば、

「感動させる」「怒らせる」なんてたやすいことなのかも知れない。

インスピレーションを与えてくれた人:古谷実

自立どきなのです

http://anond.hatelabo.jp/20091229033756

今、時間が無いので夜にでも詳しく書きます。

とりあえず、これだけは。

母親の立場から言わせてもらうと「父親とのことは、子供が心配することない」です。お父さんはお母さんと暮らすことを選ばれているのであって、別れようと思えばいつでも別れられるのですから。

追記します。

客観的に見て、元増田さんは「母親が偉大な人間ではなく、ごくごく普通女性であること」が許せないと感じているようです。母親といえども、一人の人間です。被害妄想に陥ることもあれば、けっして元増田さんが歓迎できない面も見せるでしょう。そのことを批判的に見ることが出来るようになったということが、元増田さんの成長の証なのです。

寂しいことですが、子供が成長する、ということは、親から離れていく、ということと同義です。

元増田さんは、母親のすべてを無条件で受け入れ尊敬してきた期間を終え、一人前の大人として「母親」という一人の人間を、ありのまま観察できるようになったのです。

他人にいじめられているなどの言動は、つまり「私は被害者なのよ。同情されてしかるべきなのよ」と主張しているに過ぎません。なぜ、妄想までして、そんなことを言わなければならないのでしょうか? おそらく、お母さんは普段の生活で自分は正当に扱われていないと感じているのでしょう。精神病の病歴がお有りとのこと。「お母さんの病気が、どんな病気で、どのくらい回復しているのか。また、回復していたら再発する可能性はどのくらいあるのか」などを、お父さんに伺う時期がきたのです。

お母さんの病気にお父さんと協力して立ち向かう時がきたのです。

元増田さんが、お母さんに、何をしてあげられるのか?

そういう発想に意識を変えられると、きっと楽になると思います。

少し落ち着かれましたか?

http://anond.hatelabo.jp/20091229033756

率直に言って、かなり内容が掴みにくい叙情詩的な文章です。それ自体が心の疲れを物語っているようです。一晩眠って気持ちも少しは落ち着かれているといいのですが。

考えの手助けになるかどうかわかりませんけれど、自分が読み取ったことを整理してみます。

  • 増田は、ただいま里帰り中
  • お母様の身勝手な言動、被害妄想元増田には耐えられない。
  • 同居している身内とお母様との関係も殺伐としている。

(ここからは推測)

増田にとって、何が心を悩ませている問題なのか?

  • 母親と同居している家族、特に父親がストレスを感じながら暮らしていること。
  • (普段は家を離れている)増田自身もご家族とのたまの再会に憂鬱になること。

どうなれば解決したことになるのか?

  • まずは、母親と同居している家族、特に父親がストレスを減じて暮らしてくれること。
  • ひいては、家族団らんの雰囲気を元増田が感じられるようになること。

では、増田はどうしたいのか?

 

ここからは自分語りです。今現在自分がどのように考えているのか、記憶に留めておきたくなったので書いてしまいます。

 母親、というよりも異性の親のうざったさについては、ある程度(日本人の?)普遍的な感覚なのかもしれないなあと漠然と感じています。書かれていない部分で本当はもっと深刻なのかもしれませんが、程度は違えど自分経験とも重なる描写があって、場面をリアル想像共感している自分がいました。学生だった頃は、例年一週間程度の予定で里帰りをしていたものの、三日目で母親の過干渉に耐えられなくなり予定を繰り上げて家を離れることの繰り返しでした(同じように予定を繰り上げて戻って来る友人も毎年必ずいたものです)。現状の自分が一番指摘されたくない点を、一番嫌らしくネガティブで恩着せがましい言い方で、気を緩めてまさにリラックスしようとしているタイミングで、ピンポイントに放り込んでくるあの間の悪さはどうすれば身に付くものなのだろうと、この話題に関してだけは、全く趣味も嗜好も合わない兄弟が意気投合してしまいます。それでも年々、僅かずつですが、同居していた頃に比べて、両親への敬意も高まっていることに気付かされます。その気持ちに加えて、年とともに少しずつ年長者や過干渉へのいなし方も習得しつつあり、以前よりは耐えられるようになってきました。それでも、最終的には親子であるという事実からは逃れられないのだろうなと薄々察している今日この頃です。親が子を憂う心理も、支持や共感を求める心理も、子は常に自分の味方であるという誤解も、子は常に親の助けを必要としているという錯覚も、親である限りきっと逃れられないものなのだろうと想像しています。それでも現実には変化は絶えないものです。心のどこかで皆それを徐々に受け入れていくものなのだろうと思っています。私は数年前に結婚をして、両親と接触する時間がぐん減ってしまいました。子が離れたことで両親の関係もまたそれまでとは違うものに変化している様子が伝わってきます。

 結婚をして少しだけわかったことがあります。それは、子供が親に対して抱く感情(あきらめの気持ちも含めて)と、母親パートナーとして選んだ父親の感じているものとはまた別物なのかもしれないということです。子供達と同様に父が母の言動を疎ましく思っているものと思い、それとなく同意を求める会話をしたことがあります。確かに、概ね同意はしてくれましたが、それだけではない秘めた気持ちがあるような釈然としない返事だったことを覚えています。自分達が結婚を決意するまで、そして二人で生活を始めてみてからも、互いの見解ややり方に食い違いがいくつも見えてきました。それでも、二人で向き合っていこうという覚悟があるかどうか、気持ちを打ち明け合う仕組みが作れるかどうか、そういったことを積み上げていくなかで得られる信頼というものがあるらしいと、おぼろげながら掴みつつあるところです。

http://anond.hatelabo.jp/20091229000432

友達に戻るには時間という距離が居る。

すぐに戻ろうとすると、時間という距離がない分、相手が距離を取る。

当分は他人同士として接すると良い。

布団のなかで考えた事

(少し混乱しています。思った事をそのまま書こうと思うので、暇を持て余した方々、厳しいツッコミ阿呆の頬にブチ込んでやって下さい。どうか喝の一撃を。)

 私は3日前、大学バイトの用事をすべて終えたので、名古屋から遠く離れた実家帰省しました。ですが、久しぶりの我が家を見ると、私が強く感じるのは懐かしさではなく、その懐かしさに付随する不安なのです。

 私がただいま、と言うと、みんなは私を歓迎してくれます。疲れたでしょう。お風呂に入りなさい。

 大学はどう?バイトはどう?どうってなんだよ。具体的にどう聞けばいいのかわからないのよ。じゃあ僕も答えようがないじゃないかw。 家族のお決まりのやりとりです。みんなが普通の時は楽しいです。ですが、ふとした思いがけない事でスイッチは入ってしまうのです。私や父、祖父の気にも留めない言動や冗談。誰と誰が話しているか。その場所はどこか。親戚からかかってくる電話、その内容。例をあげれば全く数えきれません。

 そんな、少なくとも、私にとっては非常に些細な事なのです。母はその些細な事柄にかかる埃を指ですくい取るように、それを息で吹いて顔にかけるように、家族に対し、自分がけなされている、仲間はずれにしている、いじめられていると主張するのです。

 そしてついに昨日、再びそれは起こってしまったのです。祖父や私はそんなことないよともいうのですが、母は人の意見を聞く事を知りません。だらだらと不毛な主張を続けるのですが、ついには父が怒り、普段は優しいはずの声を荒げ自分の部屋へと帰ってしまいます。結局父と楽しく飲むはずだったお酒はやけ酒へとその性質を変えていました。少し眠り、今は懐かしき我が部屋でこの文章を書いています。実に情けないものです。

 

 中学生頃の私は、度々起こる母の主張を、単なる被害妄想だと断定し、片づけてしまう事には抵抗を感じておりました。私に学校いじめられた経験があったから、人の心は簡単に傷つき、他の人がそれに気付くのは極めて難しいという事を知っていたからだと思います。母といえども母は私ではない。ましてや私が偉大なる母になれるわけなどないのです。母が精神病院患者であり、入退院を一時期繰り返していた事など、そこにおいては関係がないという大前提を置くことにしたのです。それが正しい事だと信じたかったのです。

 しかし、母の考え方を洞察する癖がついて数年、母にはその主張に至るまでの過程として、嫌になるほど自分勝手思考回路がはっきりとある事に気付いてしまいました。その仕組みを説明することは、あまり意味がなく、この文章がチラシの裏に書けない長さになるのを防ぐため書きません。

 ともかくこれに気付いてから、私は母を心の中で嫌悪するようになりました。彼女の主張にことごとく懐疑の心を感じるようになりました。今日も急に泣きだしたので、嫌々ながら部屋に行き背中をさすってなだめたのですが、私の中で母への文句が溢れんばかりになっているのが客観的にわかります。上にも書いたとおり、私は酒を飲み、眠りました。

 目が覚めると、慣れない布団もあってか、意識が冴えていたので、今後の事を考えていました。不憫に思うのは、父です。父を私はとても尊敬しています。真面目で、優しく、頼りがいがあり、時に厳しく・・・私の語彙のなさを恨みます。どんなに父が偉大であるか書こうとすると、その分、つらくなるので、やめます。

 ですが、母だって書いたとおりの文句を除けば、偉大なのです。彼女の喜びは私の喜びなのだと感じるほどに母は私を愛してくれています。いや、母も本当は家族を愛したいはずなのです。彼女は臆病です。人を愛し、人に愛されたいが故に、人の行動や態度、言動に懐疑的になってしまっているのかもしれません。

 もう良く分からなくなってしまいました。ここまで読んで下さった方には、文章から私の未熟さにもうお気づきでしょう。感謝とともに見苦しさをお詫びします。

 今の私には、私がこれからどうしたいのかすらはっきりと見えていません。また寝てからもう一度読んでみて、また考えることとします。なにかできる事はないか、考えます。

http://anond.hatelabo.jp/20091229005409

どういうコピペだか知らないけど。「東京に来て、夢敗れて、地元に帰った」ってストーリー、聞くたびに疑問なのだ。

東京じゃないと叶わない夢って何なんだ?「東京会社就職する」とか「東京劇団に入る」とか、とにかく「東京の○○」っぽいけど、「東京の」は必要なの?「○○」だけじゃだめなの?なんで?

どうなった状態をもって「夢破れた」と判断したんだ?「夢が叶うまで頑張ってれば、夢は叶うよw」なんてトートロジーかますつもりは無いけど、少しでも科学的な、せめてきちんとした統計学的な手法でもって「これ以上はもうダメだ」と判断したんであって欲しい -- どうやるのかは知らないけどね。うけけ。そうでなければ、ただ単に飽きただけじゃね?「夢破れた」なんて格好つけずに「飽きちゃったw」と書いて欲しい。

で、なんで地元に帰っちゃった? 失意のズンドコだから頭冷やすんだとか、地元でゆっくりして体勢たてなおすんだとか、いや地元でも意外にいろいろやれるんじゃねーかと悟ったとかなら話はわかるけど、そうじゃ無いっぽいもんなあ。地方には、21世紀だっつのに、「都落ち」ってのをやらなければならないっつー暗黙のルールがあるとか?

関東からほとんど出たことの無い俺には、まだまだ地方というゾーンが謎なのだ。

余談ながら、俺が普段クネクネしてる掲示板では、地元(と、たまに東京)で頑張ってる奴がいる。応援してる。

最近ずっと不細工を不細工という理由で嫌うのは差別じゃないかなと考えてたら

テッドチャンの「顔の美醜について」がまさにその問題でびっくりしたなあ

そこで「もし美醜を無くす機械発明したら?」に踏み込むのがSFなんだよね

http://anond.hatelabo.jp/20091228183914

父親ならまだしも、母親が女であった時代があるということほど吐き気を催す想像もないし。

これはわかるなあ

親離れとかあんま関係ないと思う

だから母親再婚したりするとかなりきつい、その前後のことが否応なく想像されるから

俺は男だけど、女の子だと自分母親とお互いの彼氏についての話で盛り上がるとかいう話を聞くが、どうなんだろ。とても考えられない。

さっき風呂で考えたこと。

呑んで、風呂入りながら呑んで、考えたこと。

とりあえず、現在時間でこういうことは考えたよとログを残したく、でも、素性が割れてしまいたくないので、

たいしたことではないけれど、匿名ダイアリーで書かせていただきたく。

話は2点。

一点目は、恋愛について。

仕事の関係で、10人くらいで飲み会があった。内女性は2人(どちらもアラフォー?)。一人は面識あり、その人と雑談で、「車の助手席に誰も座ってないんですよ」「私が座ろうか?」「(この流れなら次の展開は…)お願いしますww」「(笑)」となって、後に「お願いされちゃったよ(そんな選択肢ないだろう)(笑)」ってもう一人に言っていた。

まぁ、確かにちょっと無いなぁとは思ってたけど、この話の前とか、募集してるような話し方の気がしたから半分冗談、半分本気(姉さん女房希望)で言ったんだけどなぁ。まぁ、無いとは思っていたのでいいのですが、雑談を本気と捕らえてはいけないと実感した次第です。(逆に、雑談としてならもっと積極性を出したほうがいいのか>俺)

二点目は、人間関係について。

確認は出来ていないが、実姉に子供が出来たっぽい(30日に会うのでそこで断定できる)。

で、その子供自分にとってどんな位置にいるかと考えた。

自分から近い(心を開いている?)位置に家族がいる(父、母、姉)。父と姉は軸は違うが、同じくらいの距離にいる。母は父と姉の中間くらいかな。それより距離の少し遠い所、(位置としては父の反対側に?)義兄が最近登場した。その外側にサークル、高校、大学、小学、中学の知り合いが方向不明で居る。子供は義兄と姉の中間あたりに居るのかなと考えた後、知り合いの位置について思いをめぐらせた。

知り合いって殆ど所属でグルーピングして配置しているなぁと。高校の知合はどんなに大学の知合よりでも高校の知合の領域を出ないなぁと思ったんだ。たとえば、知合の中で会計を任せられる人を考えた時、一位は○○で、二位以下は○○と同じ所属の奴ら、他の所属の人はランク外という感じ。

それはやはり自分の中で、各個人を見ていないということも含まれていると思った。

http://anond.hatelabo.jp/20091229004604

相手のキャラによるな。女って時として女の武器を誤解している時があるからな。君の女友達も女の武器としてエロサンタの格好したんじゃないと思うし。(が、男から見たら十分そう見えるという・・・)

ま、一つだけ言えるのは、男と女に友情なんて存在しない。

http://anond.hatelabo.jp/20091229003945

やっぱりコミュニケーション能力ですよね。プライベートでならこんな夜中にグチグチ言ってるだけですむ?けど、仕事ではいい加減きちんと意志を伝えないと、と思いました。営業じゃないけど。

しかしやはり自分の身分で10万のテレビってのはやはり分不相応な気がして来た。ボーナスは出たけど賃貸更新もあるし、って本当にグチグチごめんなさい。小町で書くべきかもね。

また年末調整の時期がきたようおおうううう

あなたとの続柄って 父か子かどっちなんだよおおおお

ググっても半々なんだけど

誰か確信持った答えがある人は教えてください

40歳で死のうと思っている

専攻を頑張っていたけど才能がないとわかった二十歳頃。

仕事も大した成果を残せず、趣味に没頭する三十代。

家庭を作る能力もなく何も出来るとこがないから奨学金を返済し終わった40歳で死のうと決めた。

就職して働いていれば何かしら励みになることがあるかもしれないという甘い考えもあった。

数十社面接落ちなんとか内定もらって就職後、うつ発病。

なんとかやってきたが休職復職を重ね仕事も居場所もなくなり退職

声の大きい人に仕事も注目も集まるのはどこでも変わらないと分かった。

気がつけば29歳になっていた。

このまま生きていくというには何もない。

プログラムもかけないし資格も持っていない(とれなかった)、

新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。

友人とも恥ずかしくて疎遠だ。家庭を作るなんて夢のまた夢。

再就職面接でも「うつじゃないですよね?うつならどこもはいれませんよ」と。

一方、奨学金はなんとか返済できた。

死ぬ準備はできている。

なんで死ねないんだろう。

みじめな人間安楽死させてくれればいいのに

コミュニケーション能力がない人間は職もないとじわじわ選択を迫るのならいっそのこと殺してほしい。

I'm Big in Twitter!

ってやつかね?

ttp://twitter.com/YukariWatanabe/status/7124467400

ttp://twitter.com/YukariWatanabe/status/7124720930

夢叶えた君に、夢破れたちっぽけな僕から。

今日YouTubeとんねるず番組を見ていたら「AI」という女の子が「Story」と言う歌を歌っていた。

小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。

才能が有るって素晴らしいな。

自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。

子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?

10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。

学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。

この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、

暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。

別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。

自分は、10年間ここでは異邦人だ。

東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。

夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。

彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。

自分女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。

彼はとても優しくて、いい人でした。

夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。

でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。

彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。

渋谷の教室によく、裸婦デッサンに連れて行ってくれました。

魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。

強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。

彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。

今は陶芸転向して故郷で窯をひらいているそうです。

今年、東京個展を開きますと、年賀状に書いてありました。

夢叶ってよかったね。本当によかった。お二人でいつまでも幸せにね。静岡の片隅から今も応援してます。



AIさんに感動してちょっと感傷的になっちゃたな。

はるか昔の事とか思い出してしまいました。

異性の友達が

最近俺が元気ないからと

俺がミニスカサンタガールいいないいなと言っていたのを思い出したのか

異性の友達がクリスマスミニスカサンタガールになってくれた

俺が元気になったのを見て喜んでくれてた

だからこそ思うのだが、本当に俺達はただの友達なんだろうか

友達だけど、もっと大事に存在にしたい、なりたいと思った

相手はそれを望んでくれているだろうか

友達だからこそ、できている関係・繋がりなのか

それ以上に進んでいいものなのか、その判断が難しい

ビビンパ羊頭狗肉食べ物」…日本がまた妄言

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=124437

ストリートファイター4」の韓国ステージが「韓国らしくない!」と韓国人ゲーマーたちから非難の声

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1367045.html

「スト4の韓国ステージ韓国らしくない」…韓国がまた妄言

韓国料理ビビンパ羊頭狗肉だと日本人記者から非難の声

このように見出しを入れ替えてしまっても違和感がないくらい、上の二つの記事はどちらも低レベル釣り記事である。

しかし、ネトウヨの反応は対照的だ。

ビビンパの記事には「批評は素直に受け入れろ」「『日本』じゃなくて『産経』だ」。

スト4の記事には「韓国人は文句ばっかりだな」「韓国キャラを出すのが悪いんだよ」。

こうやって日本人韓国人同士で煽りあい、蔑みあっているのだろう。

ばかみてー。

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