(少し混乱しています。思った事をそのまま書こうと思うので、暇を持て余した方々、厳しいツッコミを阿呆の頬にブチ込んでやって下さい。どうか喝の一撃を。)
私は3日前、大学とバイトの用事をすべて終えたので、名古屋から遠く離れた実家に帰省しました。ですが、久しぶりの我が家を見ると、私が強く感じるのは懐かしさではなく、その懐かしさに付随する不安なのです。
私がただいま、と言うと、みんなは私を歓迎してくれます。疲れたでしょう。お風呂に入りなさい。
大学はどう?バイトはどう?どうってなんだよ。具体的にどう聞けばいいのかわからないのよ。じゃあ僕も答えようがないじゃないかw。 家族のお決まりのやりとりです。みんなが普通の時は楽しいです。ですが、ふとした思いがけない事でスイッチは入ってしまうのです。私や父、祖父の気にも留めない言動や冗談。誰と誰が話しているか。その場所はどこか。親戚からかかってくる電話、その内容。例をあげれば全く数えきれません。
そんな、少なくとも、私にとっては非常に些細な事なのです。母はその些細な事柄にかかる埃を指ですくい取るように、それを息で吹いて顔にかけるように、家族に対し、自分がけなされている、仲間はずれにしている、いじめられていると主張するのです。
そしてついに昨日、再びそれは起こってしまったのです。祖父や私はそんなことないよともいうのですが、母は人の意見を聞く事を知りません。だらだらと不毛な主張を続けるのですが、ついには父が怒り、普段は優しいはずの声を荒げ自分の部屋へと帰ってしまいます。結局父と楽しく飲むはずだったお酒はやけ酒へとその性質を変えていました。少し眠り、今は懐かしき我が部屋でこの文章を書いています。実に情けないものです。
中学生頃の私は、度々起こる母の主張を、単なる被害妄想だと断定し、片づけてしまう事には抵抗を感じておりました。私に学校でいじめられた経験があったから、人の心は簡単に傷つき、他の人がそれに気付くのは極めて難しいという事を知っていたからだと思います。母といえども母は私ではない。ましてや私が偉大なる母になれるわけなどないのです。母が精神病院の患者であり、入退院を一時期繰り返していた事など、そこにおいては関係がないという大前提を置くことにしたのです。それが正しい事だと信じたかったのです。
しかし、母の考え方を洞察する癖がついて数年、母にはその主張に至るまでの過程として、嫌になるほど自分勝手な思考回路がはっきりとある事に気付いてしまいました。その仕組みを説明することは、あまり意味がなく、この文章がチラシの裏に書けない長さになるのを防ぐため書きません。
ともかくこれに気付いてから、私は母を心の中で嫌悪するようになりました。彼女の主張にことごとく懐疑の心を感じるようになりました。今日も急に泣きだしたので、嫌々ながら部屋に行き背中をさすってなだめたのですが、私の中で母への文句が溢れんばかりになっているのが客観的にわかります。上にも書いたとおり、私は酒を飲み、眠りました。
目が覚めると、慣れない布団もあってか、意識が冴えていたので、今後の事を考えていました。不憫に思うのは、父です。父を私はとても尊敬しています。真面目で、優しく、頼りがいがあり、時に厳しく・・・私の語彙のなさを恨みます。どんなに父が偉大であるか書こうとすると、その分、つらくなるので、やめます。
ですが、母だって書いたとおりの文句を除けば、偉大なのです。彼女の喜びは私の喜びなのだと感じるほどに母は私を愛してくれています。いや、母も本当は家族を愛したいはずなのです。彼女は臆病です。人を愛し、人に愛されたいが故に、人の行動や態度、言動に懐疑的になってしまっているのかもしれません。
もう良く分からなくなってしまいました。ここまで読んで下さった方には、文章から私の未熟さにもうお気づきでしょう。感謝とともに見苦しさをお詫びします。
今の私には、私がこれからどうしたいのかすらはっきりと見えていません。また寝てからもう一度読んでみて、また考えることとします。なにかできる事はないか、考えます。
http://anond.hatelabo.jp/20091229033756 率直に言って、かなり内容が掴みにくい叙情詩的な文章です。それ自体が心の疲れを物語っているようです。一晩眠って気持ちも少しは落ち着かれていると...
http://anond.hatelabo.jp/20091229033756 今、時間が無いので夜にでも詳しく書きます。 とりあえず、これだけは。 母親の立場から言わせてもらうと「父親とのことは、子供が心配することない」...