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2023-02-26

anond:20230226131901

自分の知ってる古今東西囲碁トラブルエピソード

・如仏の判決鎌倉時代

吐血の局(江戸時代

八百長語源となった出来事明治時代

本因坊秀哉と木谷實の封じ手事件昭和

瀬越憲作高橋重行万年コウ事件昭和

報知新聞が人気棋士を数名連れて棋正社を設立する事件昭和

・院社(日本棋院と棋正社)統一したのに関西棋院と分裂した事件昭和

原爆下の対局(昭和

ワイングラス殴打事件平成

柳時熏王立誠ダメ詰め事件平成

・王メイエンが2日制のタイトル戦でシチョウを読み違えて1日目で終了する事件平成

高尾紳路張栩が半目揺れる勝敗をどちらも読み違えていて終局後にどこかに石が落ちてないか探す事件平成

依田紀基フマキラー降板舌禍事件平成

令和

韓国天才少女AIカンニング事件

中国、楊鼎新が李軒豪にAI疑惑をかけて半年対局停止、「実は俺もそう思ってた」の柯潔は処分なし

・元タイトルホルダーの逮捕

2017-10-13

漫画家高畠エナガ氏が亡くなったらしい。

日本漫画家協会が発表した。

 

これはさすがに「誰?」と言ってもいいでしょ?

報知新聞義務的記事にしてるが、代表作とか一切書いてないし。

 

協会プレスリリースを見た時、どこぞの昭和の中堅漫画家か、新聞4コマとかニッチな分野で活躍してる漫画家なのかと思ったぜ。

20代の新進気鋭の人だと知って驚いた。

 

これから活躍できる人だったんだな。

お悔やみ申し上げます

2008-12-09

クリスマス商業主義最大の被害者を見つけました

師走に入ってはや一週間が過ぎ、いよいよクリスマスも近づいて参りましたが、非モテのみなさん怨嗟の声をあげる準備はお済みでしょうか?

インターネット世界では、「聖なる夜が性なる夜になっている」だとか「無宗教主義の日本人が異文化にかこつけてセックスセックス」だとか、毎年繰り返されるお決まりの文句が飛び交っておりますが、私はまったくの無関心でありました、つい今し方ボニーピンク姉さんの新譜を聴くまでは。

ボニーピンク姉さん(以下「ボ姉」)の新曲「CHAIN」は、クリスマスソングであります。メリークリスマスと何度も歌ってらっしゃいますので、これに至っては間違いない。「キャンドル」や「星空」だなんて小洒落たワードもちらほら聞こえて参ります。ボ姉といえば、私個人の思いこみかもしりませんが、割と硬派なイメージがありまして。商業主義ミュージックにチキチキとカッターナイフを突きつけ、自分の思うままの歌をお歌いになってきたように私は感じております。何者にも依らない孤高のシャクレミュージシャンだと。申し添えておきますが、かくいう私もボ姉のファンであります。髪の毛がオレンジだったりピンクだったり紫だったりした頃から存じ上げております。

そんなボ姉の新曲がクリスマスソングCHAIN」であるのはまだいいのですが、そのサビで「愛してると 愛してると 繰り返した」なんて甘い詞を紡いでらっしゃる。ラブ・クリスマスソングというワケです。冒頭に戻りますが、私はクリスマス商業主義テレビ雑誌によって「恋人たちの夜」と定義されていても、いささかも気にはなりませんでした。クリスマスそのものに対して無関心でした。しかし、これここに来て孤高のシャクレミュージシャンであるボ姉までもが、クリスマス商業利用キャンペーンにのっかっていらっしゃる。「すわ一大事」とばかりに私の産毛は逆立ったのです。

孤高のシャクレをなびかせるほどに、クリスマス商業主義は絶対の力を持ち始めている。そう感じた私は、私自身もまた無関係でいるわけにはいくまいという思いを強くしました。さてそうなると問題なのが立ち位置です。私は果たして怨嗟の声をあげる側なのか、あるいは無関係を保っていられる側なのか。己を知るにはまず敵を知らん、というわけでさっそくWikipedia先生クリスマスイブについてお伺いを立ててみることにいたしました。

多くの国々では、クリスマス家族で過ごす日とされている。多くの家庭では、居間にモミの木などを用いたクリスマスツリー、玄関にはクリスマスリースを飾る。クリスマス・イヴにはクリスマスケーキ、鶏、鴨、七面鳥などを家族で囲んで食べる。また子供にとってはこの夜、サンタクロースプレゼントを持って来てくれる嬉しい日となっている[2]。

なるほど、家族で過ごすのが一般的とのこと。あいにく私は独り住まいですから、この一般には当てはまりません。

日本2004年統計調査では「家庭と過ごす」という回答が約7割と最も多く、「恋人と過ごす」「友人と過ごす」等の回答はそれぞれ1割に満たなかった(NIKKEI BP NET)。

なるほど、なるほど、何はともあれ誰かと過ごすのがクリスマスというもの。とすれば独りで過ごす私は怨嗟をあげる側なのでしょうか。クリスマスイブ最大の被害者の一員となってしまうのかしらん。背筋に冷たいものを感じながら読み進めると、こんな記述が。

クリスマスイーヴ(東京)」

・・・(略)

「モシモシ、失礼なんですけれど、貴女がたはお二人だけなんですか」

「マァ、失礼な方!」

「僕たちも二人っきりで、サッキからカスンでるんでス、一緒に御飯をたべさせてくれませんかァ」

「マア図々しいワネ」

「アラ、いいわよ。そのかはり君たちお払いするのヨ」

「O・K!」

一九三一年を送らうとしているお嬢様たちは、この位チャッカリしていらっしゃるのです。

かうして楽しいクリスマス犠牲になって、くやしがりながらシメられる七面鳥の数は、東京全市で千二三百羽にのぼるのです。

・・・(略)

(出典:報知新聞 1931年12月25日

なるほど!

私は歓喜の声をあげ、膝を叩きました。なんのことはない、クリスマスに苦しめられる人などいなかったのです。いるとすれば、それは七面鳥クリスマスなどなければ、ここ日本七面鳥を食す人など滅多にいないでしょう。生きながらえたはずの命が、妙な商業主義によって奪われている。なんとも痛ましいことであります。

それに比べれば私など何の損得もございません。あらおかしい。クリスマスに苦しむ方などいなかったのですから。シャクレが何を言おうと私は向かうところ敵なしでございます。クリスマスに苦しみマスなーんて、気にするこたあないのですよ。故あって今年は一緒に過ごしませんが、佳い人ならちゃんといますしね。

 
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