2023-10-25

推しの死

30年以上好きな人だった。

まれは桜の季節には少し早いが名に桜が華やかな人だ

名前漫画キャラクターみたいに美しい纏まりがある

外見は各界の二次元キャラクターモデルとされ

ステージの上で散られたも同然の亡くなり方。

内面は美しいだけとは言わないが人並み以下の醜聞

それを覆うくらいにバンドマンという職業にしては美談の方が目立つ

(のは、ファンの欲目であるとしても)

きっとTwitterなどでは追託の文で溢れ返ってるだろう

消えるには若すぎたと悔やむ。

受け入れれず後追いするほど若くはないなぁ

なんて思う自分死ぬには老け過ぎたのだろう。

どうしても気力は殺がれるし何か吐き出し口は欲しかった

こういう時にこそ同じ思いをしてる人達と会話を…という気持ちにもなれず途方に暮れている。

30年と少し前、幼少期に近所に住んでいた年上のお姉さんの家で見たMVが切っ掛けだった。

少ない小遣い、手伝いのお駄賃お年玉言葉通り注ぎ込み年に1.2回ライブにお姉さん同伴で行けた。

少し育ち新聞配達や親とバイト先の責任者を説得しなんとかバイトをさせて貰い

少しライブに行ける頻度も上がり高校生にもなると通信制だったので時間自由に使える金額も増え

短いツアーを全部回る事が出来たり得難い経験をさせて貰った。

社会人になり数度諦める事はあれど、自分の中で「どうしても…!」というライブには行けたと思っているし

転換期的な(と、いうのも相応しくないバンドではあるので違和感のある言葉ではある)ソロや外部活動

思う存分楽しめた筈だ。後悔が有るか無いかで言えば推せる時に推せたと思うのできっと少ない方だろう。

それでも、これから。というのを期待していないファンは居ないと思うので勿論悔やむ心は強い。

そして改めて文章で打ち込んでみると、なるほど推しという概念言葉というのは便利なものだなと思った。

職場等でもどうしても出てくる体調不良等を伝える煩わしさも「推しが亡くなりまして」と一言でなんとかなるのだ。

「あ~…」と言う相手の返事も、ありがたい事に察して頂いたり面倒だから触らないでおこうとしてくれたりだ。

しかしまあ、今世で自分が同じ熱量で好きになれる活動し続けてくれる人は現れないだろうし

これから人生が全て余生なのかもしれないなぁ…

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