2021-08-02

リアルタイムARライブを見て感じた違和感

7/31都内某所にて、にじさんじARライブ Light up tunes Day1のライブビューイングで参加してきた。

にじさんじライブバーチャル存在ライブはそこそこの数参加・視聴してきたけど、今回の感想ちょっと複雑だった。

社内の技術革新があったらしく、ライブ名ではなく # リアルタイムARライブ を全面に押し出し有料配信にも関わらず全編スクショOKという、今までとは違う形でライブスタートした。その時点でなんか変わったことしてんなと思ってはいた。

真ん中に正方形ステージがあり、全方面からカメラ演者を撮る形だったんだけど、今回の演出がすごくこう、映像作品的だったんだよな。

ライブではないっていうか、なんだろう、ライブしているMVを見てる感覚が強くて、なんでこれをライブビューイングで見てるんだろ?って途中から首を傾げていた。

リアルタイム歌詞が出る部分の演出も含めて、MV要素が強すぎて、私がライブに求めている生感だとか、ステージこちら側の対話っていうか、そういうのが感じられなかった。

こんな言い方はよくないかもしれないけど、今まで見たオンラインライブで1番微妙だった。

もちろん、生バンドの迫力の音楽応援してる彼らの生き生きとした姿を見ることで、チケット代はお釣りが来るほど楽しませてもらった。音関係でもうチケット代は回収している。

今、コロナ渦で大きくエンタメ全体の形がかわっていっているのは感じているし、もしかしたら私が時代遅れなのかもしれない。

けど、なんだろう、彼らが彼らの中で完結させているものを見せられている、という感覚が強かった。彼ら、というのは演者、奏者だけではなく、もっと、関わっている内々の関係者の中。内輪ノリ飲み会を見ている気分。スタジオ練習をしているインディーズバンドを見ている気分。そんな感じ。

気持ち的に1番近いのは音楽番組だったかもしれない。

ライブビューイングという形が余計そうさせたのかもしれない。

完全に素人だけど人一倍ライブは好きだから大小様々見てきた。その中で、1番ライブっぽさがなかった。

多分だけど、見ている自分たちがその場のどこにいるのかが分からなくなってしまったのが原因だと思う。

例えばドームコンサートでのセンターステージを想定していたとして、センターステージがどこであろうと、私たち客はある一定位置からそれを見ている。

その感覚が薄かった。360度様々な角度から映すカメラの、一体どこが自分視点なのかわからなくなった。

疎外感。私たちはその場にいないという、当たり前の事実さらに突きつけるような演出

私がオンライン・無観客ライブに求めていたのは、私がそこにいるような夢を見ることだったのだ。

せめて、どこか一部の壁面(例えばドラムさんの後ろとか)をVJにするなどしてくれたら、それだけでもじゃあ客席は反対側、と脳が勝手に処理できた気がする。

演者の1人が、(視聴者)に近づけた気がする、と言っていたけど、私は遠ざかったような気がしてしまって、さらバーチャル現実世界の境目を深くされたような気がしてならなかった。

これからもこの形でライブをしていくなら、自分も、この演出を手放しで歓迎できるようにならなければいけない。古いものに縋り付いているだけでは老いる一方である。変わらなければならない。

思ったより長文になってしまった。推敲もしていないけど、もうこのまま投げてしまおう。まとめる。

AR技術も、選曲バンドも素晴らしかった。いいライブだった。私が、そこにいない事実を除けば。

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