メンバーが優秀な場合と、ド素人集団の場合とで、求められるリーダー像は違う。
順調な環境で更に成果を拡大する時に必要なリーダー像と、劣悪で勝機の無い状況で求められるリーダー像も違う。
状況が最低最悪の場合、ただメンバーの前で自信ありそうな顔をして座っている事が最重要の役割である事もある。
グイグイ引っ張るのが得意なリーダーもいれば、調整型のリーダーもいるだろう。
のような呼称は、真実かどうかはともかくとして、状況毎に必要とされるリーダー像が異なる事を表している。
とはいえ、どんな状況だろうと共通して求められる役割というものはあるのであり、
例えば、常に顔を見せる、声を聞かせる、判断し、決断し、下令する、といった事柄はどんなリーダーであれ不可欠な仕事である。
そして、不可欠な仕事の一つに、「図を描く」という物がある。
これらが無いと、部下たちは組織が何を目指しているか分からない。
組織が何を目指しているかが分からない場合、部下は自発的な行動ができない。
何かに気づく・思い付くという事があっても、それが組織の目的に合っているのか、あるいは目標達成に寄与するものなのか、危機を及ぼすものなのかの判断ができないからだ。
今どこにいる、どこへ向かう、そのために何が必要、というのを明示して初めて、部下は自発性を持つことができる。
組織の目的がはっきりしないのに自発性を発揮したなら、それは単なる暴発や独断専行の類だ。
その行動が組織の方針に合っているかどうかを決めるのは、リーダーが描いた図の中のどこに位置づけられるか次第となる。
で、何を言いたいのかというと、外出自粛も非常事態宣言も別にどうでもいいんで、それがどんな図の中に位置づけられてるのかをはっきりしてもらいたい。
それっていつまでだ。1週間か、1か月か、1年か、10年か。
終息への図を描いてくれないと、それすら分からん。
1週間だったら、問答無用で家に引き籠る。
1か月だったら、「3か月は続けられないけど1か月なら耐えられる」やり方で外出を週一回にでもしてみせよう。
1年なら、「3年は続けられないけど1年なら続けられる」やり方で仕事をするだけだ。
リーダーが図を描いていない場合、上記のような事が、個々人の判断になる。
1か月で終わると判断してる人なら、無理して引き籠るだろう。
ただし、この人たちは1か月経って状況が改善しなかったら、一転して無理したツケを払う事になる。店を閉めたまま1か月後に再開する準備したりしてたら、特にそうだ。
1年続くと判断してる人は、外出を週一回になんかしない。続けられるわけがないからだ。
これらの人は3か月経っても破綻しないが、代わりにコロナの罹患率を上げるだろう。その結果、本来1か月で終わらせられるはずだった終息は更に延びる可能性がある。
1か月で終わると読んでる人と、1年続くと読んでる人は、とるべき行動が変わる。そして、お互いに相手の行動が自殺行為の社会悪にも見えるだろう。
もちろん、描いた図が実現不可能となる事はある。
それでも、その図があれば、読みが外れた時に修正する事ができる。負けに不思議の負けなし。外れたならば外れた理由が必ずあるからだ。
それは何か読み違いがあったとしても、「読み違いがあった事」を、その理由を、検証できない事を意味する。
それではいつまでも間違え続ける。
だから、リーダーの席に座ってるなら、図を描け。見通しと目標を掲げろ。
それができないなら、できる奴に席を譲れ。