承認欲求といえばマズローの5段階欲求でお馴染みの人間の欲求のやつです。
そんでアドラー心理学では承認欲求を満たしてはいけない的な論調があるんですけど、これ割と合ってると思います。
ただ勘違いされやすいよな〜って気もする。例えば承認欲求を持たないくせにお前なにWeb上に文章投稿してんだよ、チラシの裏にでも書いとけ、承認欲求あるんだろ!みたいな反論されそうだけど、承認欲求はある!そして承認されたいので行動する!ここまでは良いと思うんだよね。問題はこの世ではたいてい承認されないことのほうが多いということですよ。
ここでアドラー心理学が提案してたのが、承認されなくても良い、承認されないことを受け入れる。ってことで、それがまぁ昔から自己啓発系の文書で繰り返し言われてる「他人の目を気にするな」とかの考えであり、例の本のタイトルに使われた「嫌われる勇気」って考え方に派生したのかな〜って感じです。
そんで、もし承認欲求のために動くのが最善で承認欲求が満たされることこそ目的であるとして活動するとどうなるでしょう。前述のように承認されないことのほうがほとんどなので、試行回数を増やせば増やすほど、承認されないという体験を積み重ねます。
Web上に溢れてる、僕のお気持ちを無視するな、俺の正義を否定するな!といって大暴れしているモンスター共の正体はこれです。承認欲求に従い自分で自分をコントロールできずに欲望のまま突き進んだものの末路です。こうなってしまってはもう誰にも承認されることはありませんし、承認されないことでフラストレーションをためて大暴れする、嫌われ拒絶される。拒絶されたことを受け入れられずフラストレーションをためて大暴れする。といったループに陥ります。
アンコントローラブルな状態で手放しで承認欲求の赴くままに行動すると自然に良い結果を生み出す。みたいな社会の認識がある感じするんだけど、多分それは間違っていて、食欲とか性欲なんかと同じように本能の赴くままに貪るのではなく適度にコントロールしたほうがいいのかと思う。
当たり前のことっちゃ当たり前のことなんだけど、承認こそ重要!承認されてこそ人間であり、承認されない人間はカス!社会に存在する価値無し!みたいな論調はやりすぎだし、そういう常識を真に受けてしまった人たちが不幸を量産してるよな〜って気がする。しらんけど。
みっともないとか、恥ずかしいとか、その歳なのにまだ〜とか、相手に失礼とか、立場をわきまえてとか、そういう言葉が出てくる文脈はだいたい、他人の頭の中にある常識なので、そういうもの相手にいちいち「承認」されるために頑張ると、マジで地獄だよなぁって感じです。
そういうの克服するためにセルフエスティームとかの考え方も使えたりするのかな。