「好きだけどセクハラ部分がイヤだ」
については、「成人済みならばご自身の中で解消すべき問題」である。
作者が魅力的なキャラクター作りをする上で、男性も女性にセクハラされ、女性も男性にセクハラされ、大人が子供にセクハラされ、子供が大人にセクハラされるシーンを描く。
これらは「世の中にいそうな」「リアルな」キャラクターを書くのであれば避けられない。
(浮世離れしたキャラを描く「宝石の国」という性別のない漫画ではもちろんセクハラがないが、それでさえも、もしかしたらルッキズム、容姿差別では?というような部分を読み取ってしまう人はいるだろう。)
「読者だから」という理由で「金を出しながらリクエストを言う」のはよいが、○○という表現をまるごとしないでくれというのはかなり表現の手足をもぐことになる。
たとえば、ドラゴンボール1巻でゴクウという野生児キャラがすっぽんぽんになって水に飛び込むシーンは性器がかかれている。
これが児童ポルノにあたるためパンツをはかせている国も現状では存在する。
気にし始めるときりがない。
完成した作品の完成度をさげることになるので、読者が作品側をいじろうとするのではなく
「これはフィクションであり、リアルでイキイキしたキャラを自分なら楽しめるが
子供とか嫌悪のほうが大きい人にはみせないようにしよう」という読者の分別こそが必要。
「みんなが読んでいるから」「だれにもセクハラにならないから」という権威を借りてしか「好きなものは好き」が言えないだけの弱い人だと思う。
マイナス点があったら勧められないけど勧めたいという態度がもうおかしい。
たとえば検討の上でやはりだれかに見せづらいなとおもったら、「○○という作品いいよ、私はすき。でも、ちょっとセクハラっぽいシーンがあってあなたならもしかしたらいやがるかとおもうので無理には勧めない」と表明するという結論もあるだろう。
見ただけで毛嫌いされそうなら作品や作者の保護のためにも、ぜひ「そのだれか」がフィクションのセクハラを気にしない程度に成長する日まで見せないでおいてほしい。その毛嫌いしそうな人が元増田本人なら「元増田本人にもぜひ見せないでくれ」これが「嫌なら読むな」の真意。
逆にいうと読んで好きになっても気になるならしっかり「なぜそうなのか」の論理を組み立てられるまで作者にも編集部にもだれにもいわないでおいてくれ。
低年齢層にでも勧められる作品なんてアンパンマンとかたくさんあるだろう。
「コンテンツを用いたセクハラができないのはこまる」というような発言と同じくらいわがままで、コンテンツメーカーにとっての迷惑だ。