「なんで死んだらダメなんですか?」
こう言う問いを投げかけると返ってくる答えは往々にして決まっている
「誰かが悲しむから」 など
宗教ならば、「神から貰った命を人間の判断で断つことは許されない」とでも答えるだろう
たとえどんな反論が出ようとも、完全な答えは出ないだろうし
そしてこういう問いを投げかける人は「病んでいる人」として扱われる
私は別に死のうとも思ってないし、死んではいけない理由を追求しようとしているわけでもない
という考えを持てば楽に生きられるということだ
必死に受験勉強して大学に行って少しでも良い企業に入ろうとするのも
結局は「安定した生活を送るため」であり、突き詰めればそれは「生きるため」であり
そのレールに乗ることがいかに重要かを幼いころから叩き込まれる
一方、そんな世の中に生きづらさを感じたり、どうしてもレールに乗れなかったりした人には「弱者」の烙印が押され
レールに自分を無理やり押し込むか、堕ちていくかの二択を迫られる
堕ちていくのはみんな嫌だから、結局はレールに自分を押し込んで
苦痛を訴え、目標を見失いながらも、ただ「生きていく」ために生きていくのである
「生きていく」ために自分を殺しながら生きていく
それは本末転倒ではないだろうか
そうするとこんな考えが浮かぶ
「辛い辛いと言いながら生きるより死んでしまったほうがマシではないか」
しかし「死んではいけない」というよく分からない呪いがかかっているせいで、大抵の人は自殺するまでには至らない
しかしそこで先程の
という考えを持ったらどうなるか
まず、自分が生きる最低ラインを自分で決めてしまうことで、それを基準として考えられるようになる
「こうなったら死んでやる」
誰も死にたくはないので、どうすれば死なないか考えるようになる
そうすると自分の人生に何が必要で何が無駄なのか分かった気になる
もし私が人生で失敗して、その時に本当に死ねるとは思わない。多分普通に生きているだろう
自殺していった人たちの苦しみは、それ以上の、形容できないほどのものだろうから
ただその考えを持つだけで、自分がこの人生の中で本当に何がやりたいのかを
探す気力が湧いてくるのである
お前も森博嗣のすべFからのシリーズものを読め
死を意識したらキビキビ生きれるようになったってよく聞く話だから悪くないと思ってる