社会的に困窮してしまった人生は、すべて自己責任なんでしょうか。
今日話した人曰く、「自分の人生は自己責任。親とか環境がどうでも関係ない。社会で落ちこぼれたりするのは甘えてるから。」だそうです。
この人だけでなく、このような意見をお持ちの方はいらっしゃるだろうと想像がつきます。
困窮している人の中にはこれに当てはまる人もいるし、私も人生は自分で決めていくものと考えているのでわかる部分もあるのですが、でもこの考えがすべてのケースに当てはまるとは思えなくて。
人生の選択肢をいいものも悪いものも十分に知っていて、その中で選択する自由があったうえでなら、自己責任といわれても納得できます。
たとえば稼いでいて、貯金する選択肢と散財する選択肢があって、結果的に散財して食べていけなくて後悔してる人は、自業自得だとは思います。
ほかの国はあまり知らないけれど、日本の学校では勉強を教えてくれても、社会で勉強、あるいは学歴がどこで評価されるのか。稼ぐにはどんな手段があるのか。社会で困ったとき、どんな機関や制度に頼ればいいのかまでは、あんまり教えてくれないような気がします。
能力に差があるのは仕方ないとは思うけれど、別に全員進学とかじゃなくてもいい、せめて一定の、社会で生きていくための選択肢を授業で知ることができたら。
育ちや環境などの理由で、自分の希望通りの選択肢をとることはできずとも、社会で生きる選択肢を知っていることでまた人生を考えていけると思うのです。
知らなかったがゆえに、今困窮している人も多いのではないかなあ。
でもそれも、「知らなったお前が悪い」なんでしょうか。
自己責任論をよく聞くのですが、自己責任の範囲がよくわからなくなります。
国に頼るのは甘えですか。どこまで自分でやればいいのでしょうか。
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