http://anond.hatelabo.jp/20161104023628
自己責任の範囲を考えること自体がある種の思考の罠に思えるんでやめたほうがいいよ。
逆に国の責任を考えたほうがいい。そのほうがよほどすっきりわかる。この文脈において、国の責任は「最低限の健康的で文化的な生活を国民に提供する」だ。その「最低限の健康的で文化的な生活」ってどういう生活なのかについては異論が幾つもあるとは思うけれど、法的には(つまり国の側の意見としては)生活保護の水準がそれにあたっているだろう。
増田が生活保護よりもマシな生活をしているのならば、国はその責任を果たしていることになる。それより貧しい生活をしているなら悪いことは言わないので至急保護を求めるべきだ。
そして、それ以上の水準の生活というのは国民の自由だ。どれだけ望んでもいい。もちろん、望んだ生活をおくるために努力してもいいし、しなくてもいい。つまり自由だ。もちろんその努力の過程で不正行為(例えば詐欺とか労働搾取とか)があったら問題だが、そうでないかぎりどういう職業でどれくらい労働するのも、それでどれだけ報酬を得るのも、本質的には自由だ。この「自由」とセットなのが「自己責任」だ。
それから、例えば困窮した状態があったとして、その責任(というか原因)は国の責任か自己責任かのどちらかだっていうのも、嘘だし近視眼的なのでやめたほうがいい。大部分は「運が悪かった」だ。あえて言えば「誰にも責任はない」。「運が悪かった」を認めないと自分も他人も窮屈で懲罰的な態度/懲罰的な社会にしかならないよ。
社会的に困窮してしまった人生は、すべて自己責任なんでしょうか。 今日話した人曰く、「自分の人生は自己責任。親とか環境がどうでも関係ない。社会で落ちこぼれたりするのは甘え...
http://anond.hatelabo.jp/20161104023628 自己責任の範囲を考えること自体がある種の思考の罠に思えるんでやめたほうがいいよ。 逆に国の責任を考えたほうがいい。そのほうがよほどすっきりわか...
自分が影響を与えられない運まで自己責任なんて言い始めたらもう決定論での罪とは何かって議論みたいになってきますよね~ 決定論で行けばそれも含めて自己責任なんて言われちゃっ...
こういう奴に限って広報とか市区町村のホームページで情報収集することを「真面目だね」「意識高い」などと笑う 自業自得