単に人それぞれ感想が欲しい人もいれば、感想が要らない人もいるという問題では無い。
ここ15年でかなり深刻になっている事が有る。
特に最近はpixivや同人作家に声をかけてという仕事が多いおかげで増えた。
いつもの同人乗りでツイッターにメッセージを返したりするんだが、ファンと密に接するとファンがどうなるか。
3割程度のファンが【感想→評論→批評】と作品の内容まで口出しして来るようになっていく。
担当していた作家の1人がそれでストーキングに遭い、会社で話し合った結果作家はファンレターへの個別返信はせずに印刷年賀状を送るに留める対策をしたことも。
インターネットで手軽に作家と連絡が取れるようになってしまった結果、このような事が増えてしまった。
もちろん作家との距離を測れる人間もいるのだが、半分ほどの人間は親密になったからと気安くなってしまう。
作家の趣味趣向によほど合っていればプライベートでの作品は問題無いのかも知れない。
しかし、そんな事はほとんど無く熱心なファンほど批評に転じてしまう。
特に女性の作家はそのような目に遭いやすく、精神的に追いつめられ活動をしなくなってしまう人もいる。
それと一般の作家でもよく有ることだが、
ファンが100人いて99人は好意を持っていてその内の1人が好意の感想を言うとする、その発言威力は0.5程度。
しかし100人の内、批判をする人間が1人で威力2程度の発言をする。
これがどんどん差を付けて広がって行く、好意の感想は声が小さい、批判の感想は声が大きい。
そして批評の意見も聞く事で作品の方向を変える事もあるが、大量の悪意にさらされつつその行為をするのは苦痛を伴う。
ピク支部もブログのようにカスタマイズ出来ればいいよなー
誰もがヒラコーみたいに「作家も生身の人間である」って対応できれば問題ないんだろうけど無理だわなあ。
極論で悪いけど、やめれば。 放言に正当性があるとは思わないけど先日から聞いてるとプロ意識が薄いと思う。
ベッキーへの反応でも思うわ 悪意のパワーは強すぎる 法治国家は精神的に処刑し、無法国家は肉体的に処刑する 人間は誰かを常に処刑していないと気が済まない