2014-08-29

エスカレーターで前にJKが居るとき秋を思う

何の気なしに大きなスーパーエスカレーターに乗ると、前にJKが居ったわけだ。

エスカレーターは上にあがって行くわけだから目線の先にJKちゃんの脚が来ることになる。当然の成り行きである

ここで脚を見るのは下策中の下作である

エスカレーターの壁面の多くは、みなさんご存知の通り鏡張りになっておることが多く、このスーパーのそれも同様である

それがJKであるか否かを問わず、鏡があると、人ってのはふと見てしまものだ。

ここでJKちゃんのアトラクティブで健康的な脚を凝視した場合、鏡越しに彼女にそれが露見する可能性が極めて高いのである

後ろの六角精児に似た不健康そうな男が自分の脚をまじまじを見ていることに気付いたとしよう。

私はそれを想像するに堪えられない。

さて。ではどうするか。

私は腕を組み目を瞑る。

JKちゃんに「私はあなたの脚を見ておりませんぞ!」ってことを訴える。

そして思う。思うのだ。

思え。ありったけのこころでおもえ。想え

夢枕獏神々の山嶺』(集英社文庫、1997)

件のJK高校は、近隣区域だと3番目のレヴェルの高校だ。

彼女東京の6大学に行くかもしれないし地元教育大学に進学するかもしれないし、専門学校に行くかもしれない。

あるいは就職するかもしれない。

季節は秋に移ろい、受験なり試験なりを迎えることになる。

体つきから多分高校3年生と思しき彼女もいわゆる「進路」に悩み、一つの選択をして高校卒業して行くのだろう。

多分、近くの図書館勉強を終えてスーパーに立ち寄ったのだろう。

ちょうど図書館の閉館時間のすぐあとだった。

ああ。

高校時代というものは、人生の中でもかなり面白い時期だった。大学面白かったけど、高校高校面白かった。

でも当時はその面白さを客観的に考えたり、他の人生の時期と比較して評価することは出来なかった。当たり前だけどね。

JKちゃんもそうかもしれないし、あるいは私の考えとは思いもよらないことに実際はなっているかもだ。

いずれにせよこれから制服を脱ぎ、色々な世界に触れることだろう。辛いことも楽しいことも、色々あるだろう。みんなそうだ。

である青春の一つの頂きが終わりに近づく、秋である

誰もが色々な形で自分能力がどれくらいか? と考えさせられたり、あるいは、能力限界に気付き始める時期だ。恋愛でも。勉強でも。友人関係でも。

そして自分身の回り楽しい世界永遠に続かないのではないか? と思い始めるのもその時期だ。

そのことは切ない。とても切ない。そしてその切なさは大人になってもふとフラッシュバックするものだ。秋である

ああ。

目を瞑りながら、私はそんなことを思う。どのように彼女人生を歩むだろうか、と。とっても身勝手想像なんだけどね。

そしてもちろん、薄目でJKちゃんのハイソックスに包まれたふくらはぎを見るのも忘れない。大人だからね。

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