2013-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20130702153645

常に「普通」に合わせられなくても許されますか?と聞きたい。

これな。

おれが普通の代表人だなんてうそぶくつもりは一切無いんで私見なんで、そのつもりで聞いて欲しいんだが、大雑把な話「普通に合わせられなくても許されますか?」って聞かれたら、それはOKだよ。他は知らんけどおれは許すし、おれが観察したところの世間も許すよ。問題はそこじゃないんだ。

世間の言う「普通」ってのの幅は恐ろしく狭いってことなんだ。そして「障害者強者」の幅も、相当に狭い。それが問題なんだ。

こういう数値化をすると非常に怒る人がいるのはわかるんだけど、問題を単純化するためにあえてさせてくれ。そして怒らないでくれ。

100人の村があるとして、そこには優秀な人間が1人いる。この人は優秀という意味で「規格外」だから普通」ではない。

障害者も1人いる。元増田の話で言えば、公認されるレベル障害者だ。この人は普通に生きることができないという意味で「規格外」だから普通」ではない。

で、のこりの98人が普通ならばいいんだが、実際の世界でも、そして世間認識でも違う。

彼らが普通だと認識できる人間は、せいぜいが30~40人くらいだ。それですら最大派閥なんだが。この中に入るひとは、あらゆる局面普通にカウントしてもらえる安全普通人だ。社会的には非常に手厚い保護状況にある。優遇されていると言うよりも、彼らをモデル社会デザインされているから結果として便利ということで、左利き用より右利き用のハサミのほうが購入しやすいとか、そう言うレベルの話だ。

残りの50人強はなにかというと、「面倒くさい人々」なのだ

ある主の局面や人々は「普通」より優れているので良い成績を残す。別の局面や人々は「普通」より劣っているので悪い成績を残す。これらの人々は、「普通」に取っては多くの場合迷惑だ。優れた側でさえ迷惑なのだ。なぜなら「公認された優秀な人間」は規格外から、その能力は特別であって「普通」の人間はそう言うパフォーマンスを期待されないけれど、そこそこ優秀な人間は身近にいるしそう言う人と比べられると「普通」の人は困るのだ。同じ給料露骨に差を見せられるとか居心地が悪い。

普通よりちょっと劣る人も困る。公認された障害者社会保障で救済されるけれど、「普通よりちょっと劣る人」は狭いコミュニティ、例えば職場とか教室とか近所づきあいの中で救済することを期待されるし、それは普通の人々にとって負担増加以外を意味しない。

おそらく本当はそんな感じなのだ

で、この「面倒くさい人々」ってのは普段は最大派閥普通」の一派のように思われてるし、扱われてる。彼らははだから場合によって非常に流動的な扱いを受ける。普段は「普通」にカウントしてもらえてるんだが、ちょっと風向きが変わるとすぐカウントアウトされるし、されないこともある。そもそも「なにが普通でなにが普通じゃないか」を常に考えるというのは非常に多くの労力を必要とするんだ。哲学者宗教家でない人間にとってその労力はおそらく払いきれない。結局その場の利害や都合で「普通」を恣意的運用するのが普通人間なんだ。

普通」にカウントされてる「面倒くさい人々」が普通より劣ったパフォーマンスを出すとそれは怠惰として糾弾されるし、良いパフォーマンスを出すと出る杭として糾弾される。

冒頭に戻ると「合わせられない人々」は糾弾されないんだ。それは許される。

でも「わざと合わせなかった」ひとは糾弾されるしその両者を分別する方法事実上存在しない。

もう一回言うけれど、「なにが普通でなにが普通じゃないか」を常に考えるというのは非常に多くの労力を必要とする。社会全体で考えてさえ、その答えが十全に見つかったことがない。

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