http://synodos.livedoor.biz/archives/1739790.html
まず第一に、(ポジショントークは差し置いても)「御用学者」の定義が狭すぎる。
本来「御用学者」ってのは、「特定の利害関係に密接に関わる研究者」なんて極端なものではない。
官僚が実質主導する意思決定過程に体よくビルトインされた学者を指す。
もともとは、厚生省が水俣病問題をつぶすために、意見の似た専門家たちを呼び寄せたのが発端らしいが(http://bit.ly/eP3wvq)
ここで重要なのは利益誘導なんてされなくとも、たとえ本人にその気すらなくても、結果的に「御用学者」とされていることはありうるということだ。
例えば法案の成立について考えてみよう。経済学でも環境学でも都市工学に関連する分野でも何でもいい。
ある分野を研究してきた学者のもとに、役人がやってきて「ぜひ先生のお知恵をお借りしたい」と、「審議会」の参加を呼びかけられるとする。
誘われた学者は、これまでの自分の研究が国のためになると考え、意気揚々で霞が関に向かい、意見を述べるだろう。
最終的には、官僚たちが”取りまとめた”法制度案にOKサインを出した。それだけでも見方によっては「御用」なのである。
なぜだ!
御用だなんていわれる覚えはねえし、そんな言い草は「専門家の発言意欲を奪いかねない!」
公共支出でも減税でも、自分が監督官庁として担当する分野を”活性化”(役人が好んで使う言葉だ)したいと企画する。
しかし、関連法案を通すには、自分たちの考えが専門家の意見でサポートされる必要がある。
そこで役人たちは本屋やインターネットなどを探しまわって、「こいつなんてよさそうじゃね」と、おぼしき学者に白羽の矢を立てて、「審議会」の委員などを依頼するのである。
ここで重要なのは、まず始めに企画が先にあって、それに合うように学者はコーディネートされる、ということだ。
官僚が用意した土俵の上で活動しているに過ぎないことは紛れもない事実ではないか。
翻って、すべての人間が無条件に同意する政策などありえない。
だから、その先生の学問分野では”常識”とされる知識に基づいた政策にも反対する人もいるだろう。
そういう”反対派”は、その法案推進に加担した学者たちをこう訝るのである。
「御用学者」と。
そうやって決め付けた見方をする人はナイーブだろうか。
いや、むしろ逆だと思う。
「御用学者批判」に憤る学者達に共通する点は、政治的な事に対するナイーブさである。
上の記事の例で言えば、「産学官」のプロジェクトに加わるということは、それですら何かしらの政治的ポジションに立つことを意味する。
独立行政法人に所属する学者は、天下り団体の撲滅を目指す人たちの反対運動にさらされ、「御用学者」として批判されるのである。
客観的な議論を心がけてきた学者先生には、なんでこんな人達に絡まれなければならないのか上手く理解できないに違いない。
しかし「御用学者」の定義は幅広く、学者がひとたび政治に足を踏み入れたのならば、反対派のポジションを取る人からしばしばされる類の呼び方だ。
政治的力学の世界とはまあそんなものであり、少なくともそういう風に見られる外部が存在する、ということは理解しておいた方がいいと思う。
みんな陰謀論みたいなのが大好きだよね。 でも今騒がれている御用学者ってそういうことじゃないよね。 原発御用学者リスト見たけど、政府の対応を批判している人も入っているんだ...