今回の災害で発生した数あるお騒がせ事件のうち2つを比較し、人々はなぜ一方を非難しもう一方を許容するのか、それぞれの事件では何が違うのかを考えてみる。
なお、とりあげる2事件の詳細は省略。また、法的見地からの検証ではないのであしからず。
最初に結論を述べると、2事件の違いは第一に検証可能性、第二に緊急性にあるっぽい。
前者の事件は、ある企業のサーバルーム内で瀕死の重傷を負ったというデマをツイートしたというもの。
これが事実であるか否かを確認するには、実際にサーバルームの様子を確認するか発言者の無事を確認するかしかないよね。
第三者による検証が困難な状況かつ、事実であるとするならば一刻を争う緊急事態なわけだ。
(冷静で合理的かつ)善良な市民であれば、重体であろう発言者の知人・同僚に状況が伝わるようRTしたり、
生命の危機を察知して救急に電話をすることだろうね。(未確認ですが、実際に救急が出動したという情報も)
後者の事件は、ありふれた(無害な)物質をあまり一般的でない別名で呼称し、それが水道から検出されたと速報したというもの。
たしかに、あたかも何らかの危険をはらんでいるかのようなツイートだった。元ネタも受け手を不安に陥れる効果を狙っているわけだからね。
でもこの件は、DHMOという単語で検索をかければジョークだってことがすぐに分かる。
ちょっと調べるというほどのものでもない。辞書を引くより簡単な手順・時間で脅威の有無を確認できるわけだ。
得体のしれない危険物がありそうなとき、それがどういった物なのか確認しようとするのはごく自然な行為だよね。
さらに、第一印象で不安感を抱いたまま正体を確認しなかったとして、
すぐさまRTしたり周囲の人に連絡しないと命が危ないことが予想されうるか否かというと、
放射性物質を連想しているならさほどの緊急性を感じないだろうね。
継続して摂取したら危険な物質なのかもって気分にはなってもおかしくないけど。
検証する手段も、時間も与えられている状況で、善良な市民ならどう行動するだろう?
こうした(愉快犯的)ツイートはスルーするか、危ないものではないというつぶやきをするだろう。
上記から、サーバ下敷きの場合ではRTや通報をすることが合理的、DHMOの場合ではひとまず真偽を確かめるという行為が合理的っぽい。
だから、前者は叩かれて後者は許されるという違いが生じたんじゃないかな。
ついでに、さらに一歩踏み込んで、DHMO検出速報事件の善悪を分ける論点を考えてみる。
DHMOが検出されたというツイートを許容する意見の代表は「調べもしないであたかもデマを糾弾するがごとき指摘は理性を欠く」。
許容しない意見の代表は「人々の不安感を徒に煽るような言動は慎むべき」。
この事件では"許容しない方"の言動に人格や正常な判断力が疑われるような点が多々あったから核心がぼやけた気がする。
DHMOがナニモノか調べなかったことが問題だという認識は本質じゃない。
「(十分な検証可能性、時間が確保されている状況で)冷静に検証することは受け手の義務であって、なにも考えずに恐慌状態に陥るのは自己責任」であるという考えと、
「多くの人々は見聞きする情報の真贋や危険度を冷静に客観的に判定することはできない。正しい情報を流布するのは送り手の責任」であるという考えの対立なんだよな。
もちろん、受け手になるなら前者、送り手になるなら後者の考えに則って万人が適切な判断をし、行動できることが望ましい。
要するに「受け手はどれだけ馬鹿か、馬鹿でいることが許されるか」っていう基準が違っためにここまで話題になったってことだろうね。
使い古されたジョークをいまだにありがたがって 知ってる俺カッコイイアピールしたい馬鹿が多かっただけだと思うの。 凄いふるい2chコピペが流行ったりするとこじゃんツィッター...