はてなキーワード: 映画とは
リンミンメイが1回目にアイラブユーソーと歌った後に戦艦が射撃するシーンに移り変わるんだが
マクロスが撃たれた区画内で天井から瓦礫が落下している場面でモブがクビ切れて死ぬシーンが一瞬だけ映し出されて
なんだこのギャグシーンは
やべえよこれ
くっそwwwwwwwwww
やめろよwwwwwww
仕事のうち1つを辞めたので、毎日時間ができるようになった。毎日映画を見ることだってできるな。今日から1年間で365個映画を見るサラリーマン、などというXのアカウントでも作れるな。感想を書いたり、自分の気持ちを文字にして残すことが苦手で、今まで何もしてこなかった。昔見た映画の内容などほとんど覚えていない。なんだか無駄な人生を歩んでいる気がする。明日から楽しんでみようかな。
勉強は結構好きだったから頑張ってたけど、欲しいものとか行きたい場所とかが皆無だった。
今考えると勉強以外の何かに対する興味関心がものすごく薄かったと思う。
仲がいい友達もあんまりいなかったから大抵一人で授業受けてたし、当然のように恋人もいなかった。
ただ大学院に進学したときに地方の学会発表がきっかけで旅行の楽しさに目覚めてちょっといいカメラが欲しくなって
一時期だけ日雇いバイトをしたことがあった。大学時代のバイト経験まじでこれだけ。
というか厳密にいうと学内のバイトはめっちゃしてた。TAは上限ぎりぎりまでやってたし自習室の受付?とかオープンキャンパスの手伝いとか、、
タイトルみたいな反応する人の中で学内のバイトってきっとバイト経験に入らないんだろうな、と思うからなかなか言えないけど。
その収入で自分の小遣いとか食費はギリギリ賄ってた。家賃は親に出してもらってたからそれで問題なかった。
あ、映画は好きだったから月一くらいで観に行ってたな。逆に言うとそのくらいの頻度でしか観に行く余裕がなかったんだけど、、、
でもそれでなんの問題もなかった。映画に行ったときに一緒にドトールとかベローチェに寄るのが数少ない楽しみだった。
金が無いからめちゃくちゃ図書館利用してたけどあれも楽しかったな。図書館の前にでっかいブロッコリーみたいな木が生えてて可愛かった。
図書館の選書ツアーもよく参加してて、本屋さんに行って自分が読みたい本を片っ端からかごに入れてくのが最高に楽しかったし嬉しかったな。
大学院卒業して就職した後にあたりまえなんだけど月に数十万単位でお金が振り込まれるのが衝撃だったな。
そのあとで大学院時代に使ってた銀行の残高見たら2万円くらいしかなくて笑ったのを覚えてる。よく生活できてたよな、っていう。
大学生の時に当たり前のよう異性とくっついては離れてを繰り返して、バイトも沢山して、友達と飲み会して、旅行行って、、みたいな生活を
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり)
読んだんだが
何よりもまずこれが先に来ないといけない
リンク先の文中にもあるが、曲単体で見るとイミフとも言える歌詞も
「発見」 「知りたい」 「探検」などの単語が散りばめられてる
これにコロンブスと付くと、日本人ならイメージが大航海に結び付けられるだろう
だから、MVが目指したのもそっちって事になってる
次のリンク先で「知って」やったとしか思えないと言及されてるが
ぉぃぉぃぉぃって感じだよ
歌詞に示された500万年前の人類誕生時には、すでに高度な文明があったのだぁ
ΩΩΩ<な、なんだってー!!
とかの解釈、ないわ
この温度差が分かるだろうか?
「地底の果てで聞こえる
コロンブスの高揚」
このフレーズがあるだけでも、この曲をコロンブスを肯定してる歌と解釈することはできないと思うんだけど。
地底に行ったことがないコロンブスの声が地底で聞こえるということは、ようするに地獄に落ちたってことでしょ。
それ以外に解釈できる?
これが映画であれば、登場人物が悪いことをしたにもかかわらず、その報いを受けなっかたら、
その作品はその悪いことを肯定しているという解釈になるかもしれないけど、
だったら、
コロンブスは地獄に落ちたという歌が主で映像が従なのであれば、
40ぐらいの男性で、ゴマすり相手には漫画の中でも見ないようなヨイショする人がいる。その時だけ喋り方が女性っぽくなる。昔の映画の女性というか。
さぁすがっ!社長のおっしゃることって、本当に的のど真ん中なんですよぉ!
あぁ…(頬に手を当ててため息)そうですねぇ、私も心からそう思いますっ!
みたいにちょっとだけ語尾が伸びたり、スタッカートになる。あと相手の目をまっすぐ見て、いかにも陶酔してますという顔になる。
見下してる相手だと傲慢な男そのものの話し方をするから(ふーん、あっそ。議論するレベルじゃないな。とか普通に言う)こんなに極端な人って存在するんだ?と不気味。
この企画の仕掛人(誰だかわからないけど)は「コロンブスの卵」をやりたかったんだと思う
これも推測だがみんながアイデアを持ち込み
それらをみんな採用して繋ぎ合わせただけの一貫性の無いMVが出来上がったんだと思う
類人猿はマジ謎だが、多分『猿の惑星』やりたいって誰か言い出したんだろう
他の媒体だと、間違ったことを書いて、あとからそれは間違ってるよって補足して書ける媒体だと思ってるけど、MVだとやっぱ腰据えて見ないから、補足性が少ない(と思ってる)からかなあと思った。
あるいは
せめてMVの中でも明示的に「こいつは間違ってるよ」って描けばよかったのだろうか。
https://lightnovel.jp/blog/archives/2024/0616.html
いやさあ、あれがないこれがないってのはキリが無いてのはよくわかるんだけど、それをいわないとこういうのって楽しめなく無いか。
特にこの記事はこの人の趣味みたいなのを色濃く出してますよって路線なので特にね。
新しいのはしらないので途中でおわっちゃうけど。
ラノベ論者ってまあ例によってキリがないからなんだろうけど直接の隣接領域であるゲームやアニメはまだ言及しても一般の小説やら映画とかにはあんまり触らない方向なんだよな。
このブロックだと時代というか朝日ソノラマというレーベルの範囲でいうと言及がそこまででもない部類だと剣の聖刻(ワースブレイド)シリーズと藤原征矢か。
TRPGブームとかだったんだけど、みんなその雰囲気わかるかな。
■1984年 なぎさボーイ・多恵子ガール /氷室冴子 /コバルト文庫
ここらへんはそれこそ「新井素子しか読んでない」だったのであんまりなにかいえることはない。
「絶句」は大好きです。
■1988年 聖エルザクルセイダーズ /松枝蔵人 /角川文庫
『宇宙皇子』とかアルスラーンとか。あとラノベ史的には最大の大物と言っても過言ではないロードス島か。
このあたり、ちょっと前から続くTRPGブームを少し頑張っていて、枠外扱いとしてドラゴンランスとかがやっぱベースになるんじゃないかなあ。
語らないのはちともったいない気がする。
リナインバースが斬新だとされたのはレイストリンがガリガリで血を吐きながら魔法を放っていたからというのはやっぱあったわけで、そこらへんは重要じゃないかなあ。
■1989年 ハイスクールオーラバスター /若木未生 /コバルト文庫
読めてない領域だなあ。
■1991年 ユミナ戦記 /吉岡平 /富士見ファンタジア文庫
野性時代とかスニーカーはまあとして、富士見ファンタジア大賞とドラゴンマガジンというサイクルを作ったという点で大きいのかなとは思った。
例のアレでサイト落ちてるけどドラゴンマガジンってまだ続いてるんだよな。すげえよ。
このブロックで言及されてないのだと「ザンヤルマの剣士」が好きだった。
この記事だと言うまでもって感じだが、やっぱ「フォーチュンクエスト」はエポックだったのでは。
ゲーム文庫って体裁だったのでブギーポップはマルチエンド構成なんだよね。
こんなやりかたあったんだ、って当時は思った。
ブギーポップのヒットから現代物が増えたってのは確かにそうなんだろう。
現代人にはわからんだろうが当時はエロゲーがサブカルの最先端で、学園ものとかが強かったのよ。
あとまああえていうまでもないけど「ジョジョ」ね。
マリみてはいまおもうとなんであんなヒットしたんだっけとおもうところはある。
フルーツバスケットとかもこのあたりだっけ。
カレカノもこのあたりか。
そういうタイミングだったのかな。
カミさんと初めてのデートは上野のピンク映画館で若松孝二と足立正生のオールナイトイベントだった
19-20の頃知り合ってすぐ付き合って、すぐ同棲して四つ足のペットなんか飼ってしまっておセッセレスが始まって、俺はずっとウッディアレンにハマってたから映画の中はセックスで溢れてるのに人生の中心にセッセがないのなんか俺間違ってんじゃまいかっつって27-28の頃出来心で外の女とタコみたいな交尾を致してやっぱ俺の人生に粘液交換のぬるぬる必要じゃん、ってなって別れて、でもペットのこととかでうやむやに復縁して、そん時にさ、じゃあカミさんが半身不随なって人生からおセッセ無くなったとしてそれでも一緒に人生を過ごしたいかって自問自答して、まぁおセッセいらないよなっつって結婚したんだよな
それ以降、俺の人生にはセックスは無いっつうスティグマを男根に刻んで結婚生活が始まった
結婚してすぐ肉親がガンステージ4っつう連絡があり、二人してオロオロして、カミさんから子供作ろうと打ち明けられた
あぁ、なんのかんのしてもニンゲンは遺伝子様の乗り物に過ぎないのね、生命の危機に揺さぶられるとこうも簡単に生の保存/伝達っつうプログラムに突き動かされるものなんだね、って俯瞰しながら腰をフリフリぬちょぬちょシタらば、あらま1発で懐妊となり、なんやかんやお子も中2病発症するまでに時間が過ぎた
俺自身、どうやら物理的なセッセにあんまり興味がないのだと思う
生(性ではない)の慟哭として肉親のリアルな死に際したその日に初めてデリヘルで女を買ったけれども、その後出張時に数回続けたりもしたけれどなんかちゃうなぁっつっていつしか買わなくなった
思い込み半分以上、押せばイタせそうな女子が継ぎ目なく周りに複数いるけれど、どうやら俺はおセッセに精神的なモノを求めているので、カミさんとの人生を投げ捨ててでもイタしたいとはならず、好意を性的に投げかけられると全力で身をそらす、でも潤いや張りも欲しいので完全に関係は絶たないってムーブをしばらくずっと続けてる
なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。
想定されるのは以下3パターンだが
色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負のメディアでアンチ・ポリコレを攻めに行く意味がない。
一般的なマスコミの批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光氏 https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田の考察など猿人の文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。
そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブなトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。
しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知で表現したかった何かがあるとは思えなかった。
そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人のビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。
しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベルの知識では気が付かない火薬がさらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaでちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか。
そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である。
可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。
少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。
例えばこれがアメリカの黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉をアフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分のフィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思と覚悟が必要と思われる。
結論、最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思と覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。
小説家や映画監督が意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位で分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。
この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画はプロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値と意味があったと思う。
「コロンブス」にそれはあったか。炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。
であれば、コロンブスは大航海時代の英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ。好意的な解釈をして、コロンブスや現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。
結局アーティストとMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現したかったの?
植民地主義への批判だろって増田が散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。
よし!便乗だ!!!
J-pop act Mrs. Green Apple removes ‘Columbus’ video after viewer backlash
www.れっぢt.com/r/japan/comments/1dfe0m7/jpop_act_mrs_green_apple_removes_columbus_video/
誰もこれが悪い考えだと思わなかったのですか? 本当に? チーム全員? J-POP スターが自分の家の外に何があるのか知らないのは受け入れられますが、監督、俳優、ダンサーは? 冗談でしょう...
驚くべき点は、これはコカコーラとのコラボレーションだったということだ。コカコーラが何か言うだろうと予想していたのに...
つい最近まで日本の歌手がブラックフェイスを使用していたことを考えると、おそらくそうではないでしょう。基本的に、どちらの人種/民族も日本人でもアジア人でもない人種間の人種差別については、ほとんどの日本人があまりニュアンスや理解を持ち合わせていないものです。これは言い訳ではなく、むしろそれがなぜ今でも起こるのかを説明するものです。
このようなことは、ほとんどの日本人が国際的ではないか、自国の植民地時代の歴史や世界規範について教育を受けていないために、頻繁に起こります。人々は、YouTube がグローバルなプラットフォームであることを忘れています。まったく驚くことではありません。
正直驚きませんでした。
また、比較的有名なバンド MY FIRST STORY のリードシンガー Hiro (別名 ONE OK ROCK Taka の弟) が、X に「最近は何でも怒りを呼ぶ」と中指の絵文字を添えて投稿したのも印象が悪い。おそらくこの一連の出来事を指しているのだろう。幸いにも、この発言に対して大多数の人が否定的な反応を示しているが... うん、もう彼らの音楽を聴くことはないだろう...
日本のユーザーから、この曲の名前を「ペリー」に変更すべきだというジョークを聞いた(笑)
正直に言うと、このビデオのコンセプトは理解できません。バンドのメンバーは(服装から判断すると)数百年前から、20 世紀半ばの島の家に運ばれ、猿たちがテレビを見てだらしない生活を送っているというのです。このビデオの意図する意味は何でしょうか?そして、反対した人々はその意味をどう捉えたのでしょうか?
情報が容易に入手できる現代において、無知は一部の日本人がこのような行為をすることの言い訳にはならない。
もしかしたら今や人々は、日本が日本人以外のすべての人に対して人種差別的な国であり、彼らの行為を非難されるべきだと気づくかもしれない。
日本は島の外の社会の進歩にまだ気づいていない。バンドの国際的なキャリアは、人間の愚かさのせいで突然、そして時期尚早に終わった。
「ミセス・グリーン・アップルは海外で音楽を披露することに興味を示している」この人たちはバカだ。日本でバービー映画の宣伝をしようとして、バーベンハイマーのミームを先頭にしているようなものだ。彼らは自分たちが参入しようとしている世界の文化や歴史をまったく理解しておらず、基本的に自分たちの無知を世界にさらけ出した。
まあ、人種差別は健在だ。ビデオの日本人のコメントを読むだけでも、
日本人と黒人のハーフである私にとって、このような状況は、日本では肌の色が濃い人に対して多くの人が未だにどんな見方をしているのかを思い知らされる。私はそこまで肌が黒いわけではないが、日本にいる間は目立っており、路上やバスで年配の人たちから意地悪な視線を浴びたことは言うまでもない。
こうしたケースは私にとって本当に奇妙です。過去に何も悪いことをしたことのない人やグループが、突然、世間一般の常識からすると二度考えさせられるような大きな失態を犯すことがあるようです。これについて怒ったり気分を害したりするというよりは、無知のレベルがあまりにも高いことに驚かされます。
日本社会に人種に対する無知があるのは事実だが、平均的な日本人の観点から見ても、その無知は異常である。反発があったのはむしろ嬉しい。過激なファン以外には誰も擁護していない
酸っぱい葡萄はカッコ悪いような気がするので、正しく諦めるようにしてる。
例えばタワーマンションに憧れてるとインターネットでは滅茶苦茶バカにされるけど、おれは普通にいいなって思ってる。
地盤の安定性がさァ!災害時のインフラがさァ!毎日の移動がさァ!エレベーターの奪い合いがさァ!あんなとこに住むのは情弱な成金でさァ!
とか、まとめサイトばっか見てた中高生の頃は確かそやって受け売りで「見下して」た気がする。
でもそういう僻みはやめて、素直に憧れるようにしてる。
まあ確かにデメリットはあるのだろうけど、そもそも定性的な要素を比べてるんだから判断も各々の基準次第な訳で。窓からの眺望だったり、エントランスを出れば都市部をお散歩出来るような環境だったり、あるいは社会的ステータスだったり。そういう所に不便さを越える魅力を見出すなら、それは疑いようもなく本人の中で合理的な選択肢なんだし。
住むために金を増やすために何らかのアクションを取る事は出来るだろうけど、それは面倒臭い。
面倒臭いのは確実だろうし、各ステップが成功する保証もないだろうから。住んでみたくはあるけど、そこまでして住みたくはない。それならまあ金をかけず安アパートにでも住んで、ギター弾いて映画観て、散歩なんかして過ごしてればいいかなって思う。
そうやって正しく諦めるようにしてる。
なんか小馬鹿にするようなスタンスでこういう言葉使ってたけど、おれ成金ですらないし。なれるならなりたいよね、成金。
じゃあどんだけ持ってればって話だけど、自分基準で欲しいもん好きなだけ買えてそれなりに余裕もあればまあ金持ちでしょって思う。
そこでもっと金持ってる人を引き合いに出して相対化した所でなんの意味もない。まあ他人に対してそれをやれば嫉妬の念は薄まるか。
「見栄っ張り」とか消費社会に踊らされてるだけ、とかもね。
まあ本当に本人も引き際を見失いつつ強迫感に突き動かされた競い合いで消耗してるならアレかもしれんけど。
ちょろっとブランドもん買っていい気分になれるなら別にいいんじゃんねって思う。どうせ身につけるならかっこいい方がいいに決まってる。人生にはやりたい事やる以外に楽しみなんかないんだし。面倒臭さと欲望を適度に競わせながら、まあぼちぼちやっていく。意味ないとか言い出せば何もかも意味はない。
ただこうやって怠惰に抗う事なく「正しく」諦めるのをやりすぎてると、生きる事への意欲やハングリーさが少しずつ失われているような気がしなくもない。ちょっとくらいは僻みもあった方がスパイスになるのかもしれない。
久々にミッドナイトインパリ観たけど、やっぱ同じようなテーマのオトナ帝国よりも好きだなって思った。
共に懐古厨がテーマではあるんだけど、オトナ帝国の方は未来には志向しつつその原動力を割と保守的な社会規範や美徳に置いてる気がする。
「大人としての責任」とか、子供が入り込めない懐古に逃げ込んでないで一緒に家族の絆を育んでいきましょうよ、とか。
(舞台装置としての)社会文化的な懐古と内面の懐古を混ぜつつ、その殻からの打破を子供をダシにしつつ描いてる。
そこはクレしん映画そのものがまあそういうもんというか、それが良さというか持ち味なんだと思う。おれはあまり好きではありません。チャコもいなければ計画性も実行力もなく、野原家と会う事もないケンなので。
ミッドナイトインパリの方はと言えば、懐古厨の夢が叶い古き良き時代を満喫して、さらには気の合うガールフレンドも出来たと思ってたけど、彼女もまた更なる過去に憧れていたっていう。
自分が思い焦がれた過去だって、その時代の人にとっては退屈な現代かもしれない。そして現代だって未来の人にとっては素敵な過去かもしれない。
普遍的な満たされなさがあって、それを追っかけ続ける虚しさもままならねえなあ。今を生きていくしかねえかなあ。っていう。
懐古というテーマに対して純度が高いアンサーのような気がする。
映画が「売れるものしか売らない」商法で大当たりしたから「アーティストを減らして売れるやつだけにする」計画なのかもしれないね
これからどうやって消されていくか気になるわ
フレディは生前,パーティなどで使用していたらしく,彼の生涯を書いた伝記にも記載があります.映画上では,ミュンヘンの自宅をメアリーが訪れた際,テーブルにコカインの粉らしきものがあり,セリフでも薬物で麻痺させないと…みたいなことがいわれていました.