はてなキーワード: ギターとは
あ、追加の質問ね。いいよ、答えるよ。ビッグマックの片手に頑張る!
リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽を演奏したのは、ジョアン・ジルベルトっていうギタリストなんだ。彼が1950年代後半に、リオデジャネイロのクラブや小さなバーでギターを弾きながら歌い始めたのがきっかけだったんだよ。
ジョアン・ジルベルトのスタイルは、すごく独特で、サンバのリズムをもっと静かで控えめな感じにしたものだったんだ。これが「ボサノバ」のリズムって感じになって、みんなに広まっていったの。
彼の演奏スタイルは「バチーダ」とか「スウィング」って呼ばれることもあって、ギターのストロークとリズムがすごく特徴的なんだよね。このスタイルが新鮮で、多くの若いミュージシャンたちに影響を与えたんだ。
それと、ジョアン・ジルベルトの歌い方もすごく重要だったの。彼の声は、サンバの伝統的なパワフルな歌い方とは違って、もっと柔らかくて控えめで、まるで囁いてるみたいだったんだ。このスタイルが「ボサノバ」の歌唱スタイルとして定着したんだよ。
だから、ジョアン・ジルベルトは「ボサノバの父」って呼ばれていて、彼の演奏がボサノバの始まりとされているんだ。彼の影響でアントニオ・カルロス・ジョビンとか、ヴィニシウス・ヂ・モライスとか、他の才能あるミュージシャンたちがボサノバをさらに発展させていったんだよ。
そういうわけで、リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽を演奏したのは、ジョアン・ジルベルトなんだ。じゃ、今度こそビッグマック食べるね!
あたし、ビッグマック食べる前にちょっと答えちゃうね。ボサノバのこと聞かれたんだけど、実は結構面白いんだよね。
ボサノバは1950年代の後半にブラジルで誕生したの。リオデジャネイロがその発祥の地なんだって。リオの海辺とかで聴くとすごくピッタリだと思うよ。
この音楽のスタイルは、サンバのリズムにジャズのハーモニーを取り入れて生まれたんだ。サンバってすごくリズミカルで踊りやすいけど、ボサノバはもっとリラックスした感じで、ジャズの影響でちょっとおしゃれで洗練された雰囲気になってるの。
最初にボサノバを広めたのは、アントニオ・カルロス・ジョビンっていう作曲家と、ジョアン・ジルベルトっていうギタリストなんだ。ジョビンはたくさんの有名な曲を作ってて、「イパネマの娘」なんかは特に有名だよね。ジョアン・ジルベルトは、ギターの演奏スタイルが独特で、そのリズムとメロディがボサノバの特徴を決定づけたんだ。
あと、ボサノバの歌詞って、恋愛とか自然とか、すごく日常的なテーマが多いの。だから聴いてるとすごくリラックスできるし、心地いいんだよね。歌詞もポルトガル語が多いから、なんかエキゾチックな感じがするし。
1950年代から1960年代にかけて、ボサノバはブラジルだけじゃなくて、アメリカとか世界中で人気になったの。ジャズミュージシャンたちがボサノバを取り入れて演奏したりして、どんどん広がっていったんだ。
って感じで、ボサノバはブラジルの1950年代後半にリオデジャネイロで生まれた、サンバとジャズがミックスされたリラックスした音楽ジャンルなんだよ。じゃ、ビッグマック食べるね!
元々ニコニコ動画で「ぷす(デビュー当初はじっぷす)」という名前でインターネットカラオケマン、ボカロPをやっていた。ボカロPとして作曲していた一連の楽曲は「ヘイセイシリーズ」と呼ばれ、ボカロ小説化ブームに乗って小説化、漫画化も果たしている。
その後、「ツユ」というユニットの結成を機にインターネットカラオケマンは引退。
ツユでは作詞作曲ギター担当兼プロデューサーを務め、ツユが会社化した際には社長に就任。
Youtube登録者数130万人の人気ユニットとなっており、東京リベンジャーズ2期のエンディングテーマも担当。
なお、昨年11月に「働かなくても金が入ってくる環境で女のことしか考えられねぇわ!」的なめちゃくちゃな理由でユニット活動を休止しており、今年4月に再開したばかり。
はるかぜちゃん、親関係は本人にはどうしようもないので仕方ないが、交友関係を持った人たちがハズレばかりなのが不幸。
絵本を出版したらイラストレーターの「みきぐち」が実はトレパク常連で、発売後に今までのパクリの数々の検証が一挙に公開され、絵本の絵にもパクリ発覚、販売停止へ。
ドール会社のYoutubeでの相方多屋来夢は、チャンネル初めて間もなくRADWIMPSギターとの不倫発覚、後に復帰するも一時期休業、出鼻をくじかれる。
舞台演劇をするようになったのは演出家の谷賢一に引き抜かれたのがきっかけで、彼のことを第二の父とまで呼んで慕っていたが、谷は強姦で女優に訴えられ活動停止。
「日常的にセクハラしているのを見ていたが止められなかった」「彼女は稽古のたびに胸をさわられていた」と共演者たちが懺悔をする中で、同じ稽古に出ていたはるかぜちゃんは沈黙を続ける。
16歳ぐらいだった時には村本大輔らと親しかったが、深夜から朝の5時まで続く飲み会に出席させられた。
炎上したら、オウム真理教の娘松本麗華が同席していたことにこじつけて「オウム関係者には死ねというのか」とすりかえてたが、未成年を家に帰さないで一晩中酒盛りの場に留めた件が一番批判された部分。
その後。
娘に私が覚えていることを話して、「お父さんはうるさいと思っているわけではないので気にしないように」と娘に伝えた。
そしたら娘が「それはお母さんが悪い。お父さんにギターをプレゼントしようよ!」と提案してきたので、
いくら何でも娘が言い出した「厚意」を旦那が否定することはないだろうし、自然にギター弾くように戻ってくれるよね……と考えて、
娘と一緒に買いに行って、娘とお揃い色違いのエレキギターをプレゼントした。
旦那は家出した。買いに行ってプレゼントした日の夜から3晩帰ってきていない。
私は「娘にこんな思いをさせるなんて酷い父親だ、帰ってこなくてもしったことか」という気持ちだが、娘の気持ちを考えると帰ってきてもらわないといけない。
どうしたものだろう。
「進学校の人間っていじめがあってももみ消すんだろうな」みたいなことを無邪気にいって
周りの人間も「わかるわ。絶対もみ消ししてる。しらんけど」みたいなノリで盛り上がっていた。
誤解がひどいので訂正したい。
実際に私が通っていたN高校ではいじめではないが問題を起こした行為は厳重に処分されていた。
私の同学年でも、生徒Mが他校の生徒とつるんで他校生徒に恐喝のような行為を行っているのが発覚したことがあった。
その際、事態を知った学校は即座に警察に通報し、Mは保護者呼び出しの上即停学になった。
結局Mはその後復学せずに退学した。数年後の同窓会でインディーズバンドのギターボーカルをやっているらしいという話は聞いた。
さらにそのことを、柔道部顧問の生活指導担当の先生が1クラスずつ回って生徒に対して隠さずに話していた。
問題行動を起こした人間は、即座に隔離し、問題行動をおこさなくなるまで学校で責任を持って監督するから安心して勉学に励むようにと通達していた。
そして「こういう問題に限らずいじめなどの問題があったら学校が厳重に対処するので、自分たちで解決しようとせずまず私に相談しに来るように」と言っていた。
あまり茶化せるような状態ではないのだけれど、せめて私は茶化すぐらいの気持ちでいないと、娘が心配。
旦那は大学時代バンドやってたけどきちんと公務員就職して(完全に氷河期当時だったからものすごい努力をしたのはわかる)、結婚してからも週末にバンドをやっていたけど、子供ができた時にバンドを辞めた。
それからも一人でギターは弾いていたんだけど、娘が赤ん坊の時に寝ている傍で子守唄を弾き語りしていたので、私がキレてしまい、ギターを全部捨てさせた。(私は今で言う所のガルガル期だったので、当時のことはあまり覚えていない)
娘がこの春に名前は違うけど実質的な軽音部に入って、貯金に加えて少しお小遣いを前借りしてエレキギターを買いたいというので、夫は了承してお金を出し、娘は喜んで連休前半に買ってきた。
その後娘は一生懸命練習しているんだけど、それと同時に旦那が酷い顔になっていった。
夜に娘が練習し始めると、これまで夜の散歩の習慣なんてなかったのに、明らかに変な顔をして家から出ていく。
今思うと旦那は当時本当に子守唄の音量で弾き語りしていたんだろうし、それなのに私が強制的にギターそのものを辞めさせたものだから、ずっと我慢していたんだろうけど、
そうだとしても、娘が好きなことやっているのにそんな酷い態を度取るのも、親としてどうかとは思う。
娘も旦那がおかしいことにどうやら気づいたらしく、「私がうるさいから機嫌悪いの?」と旦那に訊いていて、そうではないと旦那は答えたけど、それ以上何も伝えなかった。
このまま旦那の行動がおかしいと、娘の方が負担に感じてしまいそうで、それは何としても避けたい。
旦那は趣味も持ってないので、私だけが趣味で習い事やっているのもずっと悪い気がしていた。そういう意味でもやってほしい。
でも「あなたも再開してみたら?」を言ってしまったら、旦那のメンタルがさらに不味いことになりそうな予感もあり、躊躇している。
そんなに無理してネガティブなトラバつけることないよ。馬鹿だな。
日々の手垢がこびりついてる時点で到底衛生的とは言えない状態なのをリセットできた、って話であって、また汚れたらまたキレイにするんだよ。馬鹿だな。