はてなキーワード: 底なしとは
先日兄が逮捕された。
いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。
ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイクはいれつつ身の上話を聞いてほしい。
私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。
理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。
現実は他の子は家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。
それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。
そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。
余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである。
話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通は起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。
そんな状態で起業するものだから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。
そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。
よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。
この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学の制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。
高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかったからだ。
この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。
そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。
兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。
この頃の私は我が家は普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種の男性と普通の生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。
公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。
だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。
だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死に携帯で参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。
そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこからか調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通に入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったから人生終わったと思った。
そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。
学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。
それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ちで奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。
とにかく大学はバイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。
父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。
就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。
さて同僚の方達はいい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。
まず親の職業は公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。
それはそう。
それはそうなんだが。
我が家は車がなかった。
厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。
だから4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。
せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古のアウディを買った。
わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったからである。
ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。
父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤の治療が始まり、家でのサポートが必要になったため母は派遣をやめた。
いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。
そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社の金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社のお金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。
毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだから、お金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。
SNSで結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休は彼氏と家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。
私はどこで道を間違えたのだろうか。
それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?
私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通に暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。
それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。
中南米がgato大国と言われるがそんなことなくて中国がダントツでヤバい
まず数が多い
gato動画コンプリートしてやるぜ!と息巻いていた自分もその余りの数の多さに諦めてしまう
それぐらい多い
動画の内容もエグい
とにかく残忍でレパートリーが多い
四肢切断、火あぶり、1時間かけて拷問して殺したり、生皮を剥いだり、頭だけ皮剥いで電ノコで頭蓋骨削ったり、ミキサーや電気ケトルの中に入れたり、親猫の目の前で子猫をひたすら拷問したり、ひたすら電気ショックを与え続けたり、妊娠した雌猫の腹を切り裂いて胎児を取り出したり‥
カルおじの熱湯動画を笑って見ていた自分もその余りの残虐さに言葉を失ってしまった
とにかく猫を苦しめたいという執念(これは最早愛だろう)を感じる
そして殺されるのは子猫が多い
ピヨピヨ泣き親に助けを求めるようなそんな子猫だ
庇護欲をそそる見るからに無力な存在を最大限の苦痛の末に絶命させる容赦のなさ、理不尽さは筆舌に尽くしがたい
偶にではあるが、5年程前に亡くなった実家の犬が亡くなった時のことを考える。
大型犬の14才という大往生で、繊細で優しい紳士ぼくちゃんだった。
オヤツをもらう時や夜のお散歩で帰宅中の私と鉢合わせたとき等の、優しいビビりちゃんならではの、線の細い穏やかなニコニコ顔に今でも救われている。
ぼくちゃんは、私が横にマットを敷いて様子を見つつうたた寝をしている間に静かに亡くなっており、なんなら硬直も少し始まっていた。
今思うと静かに逝きたかったのか、寝ている隙を狙われた気がする。。
何にせよその瞬間、大きな何かが底なしの先へ落ち続けていく感覚になり、自分が空洞になったようだった。
今はその時の事を筒か空の容れ物で例えている。
その時の感覚を反芻するうち、何かがなくなったということは、そこにあの子がいたという何よりの証拠じゃないかと思い至った。
悲しい寂しいという気持ちも、それだけあの子が自分にとってかけがえの無い存在の証明で、それがどれだけ尊いことなのかと。
もにょもにょ考えるうち、この感情もあの子がこの世にいた確かな証だと思うと愛おしく感じ、悲しい気持ちも大切にしようと思った。
飛躍した所もあるが、自分としては綺麗に気持ちの整理ができたというか纏まってくれて、そこに思い至った時に自分でも驚いた。
今までもこれからも、この感覚を大事にして、わたしは大切なものと出会いたいし、それらの容れ物でありたい。
ちゃんと寝よ。
そもそも本気で生産性を上げたいと思ってるのは一部の特殊な人間だけだよ
はっきり言えば異常者だ
たとえばこの前孫正義の話を読んだんだけどさ
今でも経営者として世界を進歩させられない自分のふがいなさに本気で悔しくて泣くらしい
でも泣いた後、もっと最新技術に投資して世界を変えるぜ!とやる気が無限にわいてくるらしい
ヤバいよね
しかしこのレベルの人間がゴロゴロしてるのがアメリカ人とかなんだよね
日本人の大半はそのはるか手前、せいぜい年収800万ぐらいもらっちゃったらもうそこで向上心も何もなくなる
あとは惰性だ
役員レベルになる人材でもまあ年収何千万もらえばもう他はどうでもよくなる
そして身内さえよければどうでもいい
別に日本だけが特殊なわけじゃなくて、先進国って大体こんな感じじゃね?イタリアとかもさ
なんとなくもうちょっと社会をよくしようとか格差社会を変えようとか技術発展に貢献しようとか思ってたこともあったが
そこまで超人的努力してまで社会をよくしようとか一ミリも思えんわ
やろうとしてるやつは叩かれるしさ
底辺とかかわっても楽しくないし、ましてや起業して雇うとかいやだわ
あとはもうAIだな
もういきなり本題から入っちまうし、なんなら全然日記じゃねえが「弱者男性」なんて言葉二度と使うんじゃねえぞクソが。なぜならお前の品位を底なしに下げるからだ。
まあこんなことを言うとどこからともなくやってきたアホが
「ブフォwww そんなこと言ってるお主こそ弱者男性なのではwwww小生、噴飯が止まらないでゴザルwwww」
とか言ってくるんだろう。クソが!飯ちゃんと食え。
結論から言えば俺は、元々お前らが「弱者男性」として罵倒し嘲笑の的にしていたイケてない男のうちのひとりだった。筋トレにはまってからは「すげえ筋肉の人」というレッテルを手に入れて無双状態の俺なわけだが、これでも「弱者男性」の辛さや苦しさは痛いほどに分かる。
だからこそ俺が、今の時代を苦しく生きる弱者男性どもの矢面に立って、「待った」をかけようというわけだ。傾聴しろ!
「弱者」の定義は? ネットによればコミュニケーション能力がなかったり、恋愛に関して奥手だったり、あとはまあ容姿が……な人のことを指しているみたいだ。
確かに認めよう。
俺たちにはコミュニケーション能力がない。俺のこれだって大胸筋が代わりに会話してくれてるみたいなもんだ。
しかし、コミュニケーション能力がないことについて生まれる弊害については、お前らに責任が一切ないとは言わせない。
例えば、弱者男性は滑舌が悪い。しかしその滑舌を聞き取る努力をしなければ、お前たちだって損をするときがある。もちろん、俺たちだって滑舌をよくしようとする努力が必要だが、そこは相互協力あってこそってものだろう。弱者男性が勇気を出して発言しているときは、きちんと耳を傾けてあげてほしい。
恋愛に関して奥手である場合が多いという点についても、これは無論、コミュニケーション能力が皆無ゆえに誰とも恋愛をしてこなかった彼らのことだ、ちょっとやそっとの無礼は見逃してやって欲しい。恋に目覚めたてのころは、誰にだってそういう時期はあったはずだ。
もちろん、弱者男性が悪くないとは言わない。
ただ、誰にだって勘違いやすれ違いはあるだろう。それを「弱者男性がうんたら」「チー牛が勘違いしてうんたら」とか実体験みたいな漫画にしてツイッターに垂れ流して共感を集め出すのはさすがに酷くないか? なあ! 救いはないのか!?
お前らがそんなことをして弱者男性をつるし上げて礫を投げつけるから、弱者男性はもっと恋に奥手になっちまうんだ。どうせ俺なんて、とな。
自分磨きをすればいいという意見もあるかもしれない。しかし、自分磨きをしようという気概さえも、この弱者男性を集団でいたぶるムーブメントは削いでいるんだ。可哀想だとは思わないのか!?
これを見ている弱者男性がいたら、聞いて欲しい。お前らは常人が幼少期に通過する恥ずかしさやミスや手違いやすれ違いを、遅れて今、体験しているだけなんだ。恋愛や結婚を諦めちゃだめだ! 俺と筋トレしよう。君ならできるさ。
さて。
ここまでは「弱者男性」の定義と該当する男性諸氏についての小言戯言をウダウダ並べたわけだけれど、ここからはターンチェンジ、お前らの話になる。
そう。
お前らだよ。
ネットで不特定多数のイケてない男を「弱者男性」だの「チー牛」だの「新海誠が好きな元彼」だの「生魚のコスプレ」だの「V豚」だのとくくってるそ・こ・の!!!!!!!!
お前お前お前お前お前~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!
お前だ。
まず俺の経験から言わせてもらうが、お前らはひょっとするとお遊びで冗談でオモシロだと思い込んでいるのかもしれないが、そうやってイケてない奴をネタに嘲笑しているとき、イケてない奴の心は数回死んでいる。冗談ではなく。
そしてお前らはイケてない奴を殺している。
冗談ではなく。
こういう奴はマジで自覚がない。無意識。他人を傷つけているということにとことん無知で、他人を痛めつけているということに突き抜けて無自覚だ。
今のインターネッツの人々は弱者男性をいたぶることについて半ば了承的だが、これが俺には本当に理解できない。
お前たちがやっているのは弱者に対して石を投げる行為なのだ。老人を殴り、障がい者を蹴り、子供を突き落とし、病人をビンタしている。
これを聞いて「ええ~、言い過ぎでしょ笑」とか思ってるそこのお前。お前が一番危険だ。
なぜならお前は加害者側にいることに無自覚だからだ。まさしく俺が言った通り、無知で無意識で無責任なのだ。
そういう発言はお前の品位を下げている。どれだけ美人でも、どれだけ成績優秀でも、どれだけスポーツ万能でも、弱者を虐げ、嘲笑している時点でお前は「下品」なのだ。
例えば、「運動部入ってない奴はマジで危機感持ったほうがいい」って動画でバズってた唇プルプルぱっちり二重男がいたな。
俺はああいうのは良いと思う。きちんと面と向かって、問題提議をしているからだ。しかも「危機感を持て」と提案までしている。
これらについては本当に、いいことが何一つとして生まれない。
まず弱者男性(に、該当すると意識的にでも無意識的にでも感じている男)は、これらを受けて自信を失い、世間から笑われるという恐怖を覚える。そのせいで成長が怖くなる。変化が怖くなる。よって変われず、世の中に怯えて暮らす。ひょっとしたら社会に牙を剥く奴もいるかもしれない。
そしてお前。お前らはこれについて、何も得るものがない。「ストレス発散になる」? 違うな。なぜなら弱者男性へのヘイトは、お前のストレスの原因の解決にはならないからだ。
そのうえ、お前は悪口を言うことに抵抗がなくなる。人を罵倒することに躊躇することをなくし、性格は下品になっていく。ゆくゆくはクソ人間になる。一旦落ちた品位を取り戻すのは難しいぞ。何しろ自分を否定しなくちゃいけないからな。お前の目の前にはありとあらゆる罵詈雑言で無限に中傷できる「弱者男性」という弱者がいる。そいつをいじめることでまたストレスを解消するか? いいだろう。ただしお前は一番否定しなくちゃいけない自分自身を顧みることは今後一生ない。いたちごっこはすでに始まってるんだよ。
とにかくお前ら気付け、「弱者男性をいたぶること」が常態化していることの異常さを。
そして気付いたらすぐやめろ。手遅れになる前に。
通りすがりのクラシック音楽ファンです。思いつくままにいくつか。
(1) 書いてある嗜好を素直に解釈すると、ブコメにもあるとおり、モーツァルトの室内楽や協奏曲を片っ端から聴くのがよさそうです。
例えば
・弦楽四重奏 第14〜19番の「ハイドン・セット」、特に副題のつく第14番「春」、第17番「狩り」、第19番「不協和音」(最初しか不協和音じゃないので安心してください)
クラリネット五重奏以外は爽やか楽しい系の選曲を心がけました。まあモーツァルトの長調の音楽ってそんな感じですよね。私はバイオリンを弾きますが、陰キャなので、憂いを知らないかのような音楽にたまに臆してしまいます。
(2) 同様に編成が大きくなりすぎず、明るい…という方向性で思いつくのはハイドンです。
ハイドンの長調もまた、底なしのネアカで私には眩しい音楽たちです。
例えば
・弦楽四重奏 第67番「ひばり」、77番「皇帝」、78番「日の出」(皇帝はドイツ国歌で有名ですね)
(3) 時代的にはバロック〜古典派、ただしお好みにはベートーヴェン以降は入らなさそう…?なように思いましたがいかがでしょうか。省略しましたがヴィヴァルディなんかもキラキラしていてハマるかもしれません。
とはいえ、ベートーヴェン以降の作曲家達も室内楽の名曲は沢山あるので余裕が出てきたらぜひ。
完全に「好きなものを訊かれて早口で消化しきれない量を勧めるオタク」そのものですね、ごめんなさい。
自覚はあるがこんな機会滅多にないので…たくさん書いてしまいました…
ちなみに、名盤については完全に個人の好みになるので私から言えることはありません。というか、片っ端から聴き比べてあーだこーだ言うのが楽しいんだと思います。多分。
日頃のセッションの前後とかにありがとう、いつも楽しいよって言うのはいい。むしろそうあるべきだろう、一緒に遊んでいるんだし感謝を伝えるのはいいことだ。
Xでハッシュタグつけて自分のこと褒めろだの好きなところ教えろだのと強請って、無数のフォロワーの前で中身のない応酬をかまして、コミュニティの中全員がそれをやるように仕向ける。
そんなことまでしないと承認欲求を保てないのか。TLを占拠するやり取りするくらいなら個別DMに籠ってくれ。そうして永遠に馴れ合うといい。
もしタイムラインのフォロワーに見せつけるためにやってるのなら、お手上げだ。
また、何の取り柄もないTRPGプレイヤーを褒められる理由が声しかないからなのか、社交辞令で褒められてるのを理解せず探索者ボイスなんてのを上げてしまう人もいる。
探索者ボイスでシナリオタイトルコール読み上げとか、素人が気取って無理に低音出そうとして事故が起きているものばっかりだ。一つ二つ聞けば自ずと怖気が立つ。
それが周りから祭り上げられたのがきっかけだったんだろうか、素人の「探索者歌ってみた」なんてものを見た日には仰天した。底辺歌い手よりも酷いものを満足げに公開して、自陣にお見せして、「解釈が」「RPが」とか言われて喜んでいやがる。
そんなの君の歌がボロボロでも送られたほうは褒めるしかないだろうが、一つしかない自陣なんだから。
ボイス、歌ってみただけじゃない。小中学生のころに書いてそうなカッコ書きの「SS」を「これがうちの子の解釈です笑駄文ですけど笑」とか言って送り付けたり。うちよそしたいばかりに自探索者だけじゃなく他人様の探索者まで巻き込んだり。先のフォロワー褒めてと似た事案だが、探索者の好きな所上げろタグ、知りたい探索者いますかタグもそうだ。
同卓したPCについてリプしなければ好きなところがないのかと角が立つし、同卓してもいないPCの長語りなんて誰も求めてない。
そういうものは一概に、探索者というもの、CoCというものを通して承認を強制するためのテロということを理解していないのか。
大方、その当人との関係性を壊したくないからおざなりに褒めてるだけだ。文面上だけでなら何とだって言える。真顔で薄っぺらい褒め台詞を書いてテンション高く絵文字で飾れば良いだけだ。
こんな表面ばかりの承認欲求にしがみつくためだけに、卓を詰めることに固執する「卓修羅」なんてものもいる。
だいたいが自分のキャパを理解してない人ばかりなので、卓には寝坊するし遅刻はするし体調は崩す。そのリスケは数か月先で、「すみません卓修羅で」と言って悪びれもしない。考えてもみろ、一般にTRPG以外の予定を優先に考えていれば「未来日程で」と言われたって半年も先の日程を確保できるはずがないだろう。自分が良くても他人の都合があることを知れ。人の時間を長期間確保するというリスクを考えろ。
しかし、卓修羅たちはその底なし沼のような承認欲求を満たすために卓日程を入れつづけ、知らないうちに自身の健康も精神状態も火の車のような状態になっていく。そこから生じる精神の不調、所謂「病み」も、手っ取り早く承認欲求が得られる卓や、インターネット上のコミュニケーションで満たそうとする。他人に自己承認テロを仕掛けていることに気付かず、しきりに嘆いては慰められ待ちをする。
うんざりだ。こういうのが普通の顔をしてのさばっているから、それが普通だと感覚を狂わせてしまう人もいる。
そこまで承認欲求に囚われてそれを求めるためだけに行動してしまうのは、もはや精神病ではないのか。自分の限られた可処分時間を卓、卓に付随するコミュニケーション、卓準備にすべて費やしてしまうなんて立派な依存症だろう。病院に行った方が良いのではないだろうか。
彼ら彼女らに日常に満たされるところがないのか、卓体験が手っ取り早く承認欲求を満たせてしまうツールだからのめり込んでしまうのか知る由もないが。
TRPGのオンセなんて所詮はインターネット上で完結する希薄な関係で、相手がどれだけ褒めようと自分の人生に責任を持ってくれるわけではないことを自覚的に、自省的に行動すべきだと思う。
アカウントを消してしまえばすぐに縁は切れる。自分のことを無条件に承認してくれるフォロワーがいるからって都合よくはけ口に使うなよ。優しいことを言ってはいても、本心では卓修羅の行動に呆れかえっているかもしれない。依存先に使われるのが耐えられなくなって、いつ消えるかだってわからないのに。
依存先を多く持つのが自立だというのはよく言ったものだ。卓だけを依存先としてべたべたと自己承認を求めるやつにはロクなのがいない。
この界隈はそんな自己承認欲求モンスターが跋扈する地獄、早くおさらばするが吉だ。彼ら彼女らの都合のいい依存先で居続けるのは、大変な労力を要するのだ。
・ピアノ
一人で完結できる。とは言えジャンルによって合う合わないがもある。一人で弾いてダサくならないのはクラシックかジャズくらいだし、全くの万能という訳ではない。ボーカル曲をピアノでカバーすると同じ音を叩き続けるのがマヌケ。まあその辺は好み。本当に色々やりたかったらエレクトーンだと思う。
電子ピアノならまあ2,3万もあれば。どうせ違いは分からない。ただケチって鍵盤少ないのとか打鍵がスカスカのやつにすると後になって物足りなくなる。
ヘッドホン挿せばいつでも弾き放題、と思いきや振動が直で床に行くのでその辺は意外と気を遣う。
アップライトなら多分それなり。数十万くらい?グランドピアノはスペース的にも金額的にも富豪しか買えない。あれ引っ越す時どうすんだろ。
当然単音しか出ないので、一人でやってるとたまに虚しい。ほとんど合奏前提だと思う。ジャンルは管楽器の中でトップクラスに多い。オケ、室内楽、ジャズアンサンブル、ビッグバンド、吹奏楽、ブラスバンド。居場所はどこにでもある。
ビッグバンドやブラスバンドなら華があるけど、1st取れないとちょっと退屈かもしれない。でもビッグバンドって2ndがソロやるんだっけ。
吹奏楽でも目立つけど、そもそも他ジャンルの編曲ばっかりでおれはダサいと思ってる。
オケとかは意外と地味。というか暇そう。
肺活量はあんま関係ない気がする。そもそも管楽器で肺活量要るのって息ダダ漏れのフルートくらいだと思う。腹式呼吸がどうのとかよく言われるけど、おれは未だに理解してない。横隔膜がどこにあるのかも分かってない。
生で吹ける場所はないけど、電子ミュート着けられるからそこは便利。
ヤマハの一番安いので確か8万くらいだっけ。中古なら5万くらい?今はもうちょっと値上げしてるかもしれない。トランペット界の高級メーカーのハイエンドモデルでも100万そこらだったと思う。値段のレンジは割と狭い気がする。
Amazonとかのクソ安いやつは音の出る模型とか言われてる。言い過ぎな気もするし、強ち間違ってもいない気がする。
楽器としての最低限の要求をギリギリ満たしてるか満たしてないか微妙な所で、でもトランペットを握りしめて音を出す喜びを一刻も早く味わいたい別に買えばいいと思う。
一人で吹いてる時の虚しさがトランペットより強い気がする。
ジャンルはトランペットに比べるとやや限定的。木管の中では割と広い方かもしれない。
吹奏楽で弦の代わりをやらされてる印象が強い。エリックドルフィーのバスクラリネットはかっこいい。そもそもバスクラリネットが形からしてかっこいい。
金管は音を鳴らすのが、木管は指使いが難しい。みたいな印象があるかもしれないけど、言うほど運指は難解でもない気がする。木管だって音出すだけなら強めに咥えればいいけど、良い音を出すのは難しいし。
音は金管に比べれば控え目だけど、ミュートを使えなち分むしろこっちの方が厄介な気がする。車で吹くかカラオケ行くかになると思う。
リードは中高生には高すぎるけど、大人ならまあ別に……って感じ。プラのリードとかあるし。
これもトランペットと似たような価格帯だと思う。10〜20万を軸に割と狭く固まってる印象。グラナディラかプラかの違いは音聴いても大抵の人が分からないと思う。分かったとして、こだわりたいほどの差かどうかも分からんし。まあ気分の問題だと思う。
これもAmazonで1万ちょいのが売ってて、トランペットとほぼ同じことを思う。ただクラリネットの方が気持ちオモチャ度は高い気がする。
・ギター
一人でやっててもそれなりに楽しい。友達がいないのでバンドをやる楽しさは知らない。きっと楽しいに違いない。
一人でやる分にはYoutubeで好きな曲のタブ譜調べて弾いたり、Uフレットでコード見てヘタクソな歌声で弾き語りしてると楽しい。大体そういう楽しみ方になるのではないか。少し知識をつけて手癖で適当にジャカジャカ鳴らしても気持ち良い。
まあやった事ないから何とも言えんけど、やはりバンドで弾いてナンボではないか。ジャズギターなんかもある。
ガットギターならメロディから伴奏まで一人で完結出来るらしい。でもジャキジャキのロックをやるにはエレキしかない。
そうなるとバッキングとメロディラインを同時にはやれない。ルーパー繋いで自分とセッションすればそれなりに楽しめるけど。ぼっちざろっくだ。
メロディは基本単音弾きで、一人でやってると少し寂しい。一応オクターブ奏法とかもあるけど。
管楽器なら上手かろうが下手だろうが単音しか出せない。出来栄えは違っても上手い人とやってる事は同じだ。対してギターだと、上手い人は一人でなんだか重厚な音を出している。出来栄えを差し置いて真似しようにも、真似すら覚束ない。譜面通りにフレットを抑えられなかったりどう足掻いてもミュートが上手く出来なかったりする。そのフラストレーションはデカい。
かえるのうたを単音で弾いても全く楽しくない。それでも地道に練習して、スタジオでも行ってフルテンでかき鳴らせばヘタクソでも気持ち良い。あの快感は何物にも代え難い。
音作りもエレキギターの醍醐味だ。練習もしない機材厨になる恐怖を抱えつつマルチを買って、色々試してる時はギター始めてから随一の楽しさだった。
ヘッドホン繋げば家でも弾けるし、生音も電子ピアノの振動よりはマシなのではなかろうか。
3万も出せばヤマハのエントリークラスが買える。5万からだ、いや10万だという人もいるけど、どうせ違いなんて分かりゃしないと思う。
1万とかの安物も、管楽器よりオモチャ度合いは低い気がする。他の楽器より手頃な部類だと思う。弦もせいぜい数千円だし、しょっちゅう張り替える訳でもない。まあ周りの機材含めてこだわり始めたら底なしだし、ビンテージ的なのとかはまた話が違うけど。
Twitter(現X)にて摂食障害を想起させる表現の萌えイラストがプチ炎上している件についてお気持ち表明しようと思う。
自分は“拒食症”の当事者であり、“未成年を性的に消費する表現”を好むキモオタクだ。
この“表現”には非合意の性行為やいわゆるリョナ系など、かなり非道かつ加害性の強いものも含まれている。
したがって当該イラストで不快になってしまった他の摂食障害当事者よりもかなり“オタク”側に肩入れした内容になってしまうと思う。
正直なところ当該イラストに対しては非常にネガティブな印象を持っているし、うっかり引用批判ツイをRTしてインプレッション稼ぎに加担したくない!とまで思っている。
そしてそれと同じぐらい、“摂食障害(≒不謹慎・鬼畜系)萌え”そのものには肯定的である。
そもそも“摂食障害萌え”は四肢欠損萌えと同程度に不謹慎かつ後ろ暗いものである。
「達磨っ娘を優しく介護♡ついでにセックス!」のような作品の場合は作者や作品の愛好者自身がその“後ろめたさ”を自覚した上で相応の配慮を以てそれらを面白がっている。
他人の不幸や不自由さ、苦痛を“萌えジャンル”に落とし込み、あまつさえ性的に気持ち良くなっているのだから当然だ。
そういった表現に興奮してしまうオタクは自身の性癖と倫理観の板挟みとなり常に葛藤しているし、「不快になる人の目に触れないようマナーを守ってひっそり楽しもう」というスタンスを表明することで半ば強引に折り合いをつけている。
ところが、当該イラストの作者からはそういった後ろめたさや罪の意識が感じられないのだ。現在進行系で多くの人間を苦しめ命を奪っている病をズリネタにしているという自覚がないのではないか。
特殊ジャンルの愛好者としてはそのノリの軽さが倫理観の欠如に見えてしまう。
上記はいちオタクの立場で抱いた違和感だが、摂食障害の当事者が感じた憤りは「病気に対する偏見と無理解」によるものだと考えられる。
摂食障害当事者を苦しめているのは症状そのもの以上に、この偏見や無理解なのだ。
摂食障害と言うと多くの健常者は“ガリガリに痩せた拒食症の若い女性”を想像すると思われる。
しかし、当事者の多くは(その痩せこける過程を経た者も含めて)それとは真逆の過食に転じてしまっている。
念のため補足しておくと、摂食障害における「過食」とは筋トレ垢とかの言う「チートデーでラーメンの後にアイスを2個も食べちゃった♡」というレベルのものではない。
自分自身はまだ慢性的にその症状に振り回される段階に至っていない(あるいは過食をせず順当に回復している、極めてラッキーなレアケースである)ものの、「拒食より過食の方がツラいし恐ろしい」とは常に感じている。
また、これも多くの人が誤解していることだが、自身に厳しい食事制限や過活動を課している段階の「拒食症」の人間の多くも食欲を失っているわけではなく、むしろ常に底なしの食欲に苦しんでいる場合がほとんどだ。
拒食症の症状の1つに「満腹/空腹が分からない」が挙げられるが、この表現は適切ではなく、正しくは「常に飢餓状態で、食を強く意識している状態がデフォルト」である。
1年365日24時間食べたくて食べたくて仕方ないのに、肥満恐怖など何らかの理由から、常につきまとうその異常な食欲を理性や“マイルール”で無理やり抑えつけ、“体型、ないしは正しい食生活をキープ”しているのだ。
(摂食障害のきっかけがストレスや消化器系疾患による食思不振であるケースもあるが、それに関してはここでは割愛)
ゆえに、摂食障害の当事者は「神経性無食欲症」という呼称に極めて強い違和感と不快感を持っているし「拒食症になったら食欲がなくなって痩せられるんでしょ?アタシも拒食になりた〜い♪」という言説にも過敏に反応してしまう。
「食欲を失えるなら他に何もいらない」と本気で思っているし、そのために健康や人生そのものを犠牲にしているのが我々だ。
食欲を抑制するために糖尿病治療薬などを服用する者、「食欲に負けて」食べてしまったらここでは到底書けない手段で帳消しにしようとする者。
そんな当事者らにとって「拒食=食思不振で意図せず嘔吐したり痩せる病気」という誤解を助長する表現は看過し難いものである。
さらに、作者が女性である点も当事者の気持ちを逆撫でしたと思われる。
個人的には、健全な家庭に育ち愛する夫との間に子供をもうけた腐女子が“経済的・文化的な貧困から春を鬻いだ結果望まぬ妊娠をしトイレで1人出産して逮捕される受け(未成年)”を「カワイソウな受けちゃんがスーパー攻め様に見初められ最終的にラブハメに至るシンデレラストーリー♡ハピエン!」と宣い軽いノリで出してきた、ぐらいのグロテスクさを感じる。
自身の属性が性的なコンテンツとして消費されることへの単純な嫌悪感は当然に存在しているものの、その程度のことならば引用で叩くほどではないし、むしろ本人に直接クレームをつけている方こそ非常識だ。
また、特殊性癖や萌え表現が不当に攻撃されることもあってはならないことだ。
それでも、どうしても、オタクと摂食障害双方の当事者として、この文章を公開せずにはいられなかった。
【追記】
女アピールしたところで「だからなんだってんだよ」としか言いようがないけど。
「嫌なら見るな」は本来、「不愉快な表現の排除を正当化すると自身のズリネタも対象となりかねないので、自分を守るためにもお互いに干渉しないようにしましょう」という主旨のオタク同士を想定したマナーなんですよね。
騒動の発端となった引用ツイの女性(少女?)は「不快にならないよう配慮」されるべき「一般人」側なんじゃないかと思う。
かつては無条件に配慮される側であった非オタクも、「自分が気に入らないからといって他人の表現を排除する権利はありません」という意識を持つべき時代になったとは思うけど。
作品をインターネットで発表する以上、他人にそれを伝えることが前提になっているのだから「私は他人のお気持ちにも配慮しています」という建前と言うかポーズは大切だと思うし、今回炎上した人はその点が欠けているように感じた。
また、マイノリティを題材とする作品に対し、差別や偏見を助長する描写や対象への理解の浅さを突っ込まれるのは当然のことだ。
これが摂食障害でなく特定の人種や職業などを想起させる表現ならもっとそのセンシティブさが理解しやすいと思う。
他にも実際に起きた事件や災害、戦争など「浅い理解で軽率にネタにするべきでない、取り扱いに相応の注意を要する題材」はたくさんあるけど、摂食障害もそれに該当すると思う。
「受けちゃんのハピエンを引き立てるスパイス」として軽いノリで無邪気に消費することに慮りのなさを感じざるを得ないと言うか、最低限配慮してます弁えてますアピールを要すると言うか…
さらに、「対象への愛のないズリネタ扱い」がそもそも同人界隈で死ぬほど嫌われる態度だし、当該作品には摂食障害当事者の視点よりもむしろオタクの立場からの違和感が強い。
「自身の属性が性的に消費されることへの嫌悪感」についてぴんと来なくても「自分が受けポジションにされるのが嫌」と言い換えたらすんなり伝わる人多そう。
「性的客体化」はどんな形であれ対象の心情や名誉、尊厳を傷つける最低の加害行為だという自覚と罪悪感を持った上で同人活動をやろうね!
結論→“取り扱いに注意を要する題材を、対象への理解や思い入れもないくせに安易なエロネタ化・感動ポルノ化し、さらにその加害性も認識していないと思われる態度”が気に入らなかったので長文お気持ち表明をしました
すこしその「嬉しさ」って言い方、なんだか「よろこび」がほしいから「よろこび組にはいろう?」みたいな底なしの闇がひそんでそうな感じがする
一方で、表面だけ見て批判してくれるなよとも思うのよね
それに伴う社会の価値観の転換とハイティーン〜就活の時期がかち合ってしまったんだよな
氷河期世代の親って団塊世代でバブル初期の上昇気流の影響モロに受けてるからさ
俺らはその価値観の中で育ったわけ
「男は受験勉強死ぬ気で頑張れ、そして大企業に入れれば終身雇用で一生安泰」
「そのうちお嫁さん貰って家事育児はやってもらって、より一層仕事に注力してお金を稼ぎましょう」
簡単に言うと「上手にレールに乗れよ、脇道にそれるなよ」って強く言われて育ったのが俺たちの多数派
それで社会に出る直前まで育ってきたのに、
社会が急に「レールに頼るな、自分の頭で考えて自分の足で歩け」
って言い出すわけ
道はぬかるんでて水たまりだと思ったら底なし沼だったりするんだけど、俺たちはその見分け方を習ってない
一度足を踏み外して沈んだら一生沼の底でもがかなきゃいけなくて、そうなったらそれは自己責任だという
誤解を恐れずに言うと、俺たちは心の準備ができてなかったわけ
「ウソだろ…」ってポカーンとしたままトコロテン方式で背中を押されて沼地に放り出されたわけ
でも大多数が幼少期からの教育の呪縛を逃れて現実を見られるようになったのは、
俺らの学生時代なんてmixiが一般公開するかどうかって時期だからな
人生設計を考えるなら上の世代を参考にするしかなかったのだが、それが突然何の参考にもならなくなったわけ
だからやっぱり嫌いだわ
沼の底を覗き込んで虫けらが勝手にもがいてるみたいに嘲笑ったり
お前らみたいなやつらのことは
ということに最近気づいた
当たり前やんと思う人もいると思うが聞いてくれ
高校までずっとガリ勉で、心機一転大学では体育会の部活に入ってみたんですが
第一印象はみんな明るいなーと思っていて
その明るさは多分将来の不安とか考えられないし刹那主義で快楽主義なんだろうと思ってたのだが
アイツらの奥底に根付いているのは底なしのネガティブ思考だということに最近気づいた
みんなで居る時は普通に楽しく明るくしているんだが
仲良くなるとびっくりするくらい露骨に将来の不安をこぼしたりするし
ものすごいネガティブな言葉がめちゃくちゃひょいひょい出てくる時がある
本当に、いつものキャラからは考えられんくらい自然にそういう言葉が出てくる
体育会の陽キャと呼ばれる人達は、恐らく元々の性格のルーツは超ネガティブなんですよ
ネガティブな思考にほとんど脳が侵されているからこそ一つきらりと光るポジティブな言葉をすぐ目に入るし覚えておける。
そして逆に、ネット上でネガティブ思考を垂れ流している奴らほど実は根はポジティブなのではないかと思う
かつてポジティブに世界は素晴らしいと信じている人ほどネガティブ思考に陥りやすいし、