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2024-04-27

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周年で公開されたスターレイルジャズナイトすごかったな

HoYoFairチャンネルから外部アーティストによる公式コラボ的な感じのもんだが一本の動画として洒脱な作りで、予算…いや気合が違うわ

こんなことしてるゲーム(ホヨバ以外で)見たことないぞ

5組の中で2組日本からH ZETTRIO大橋トリオが参加してたのも偉いわね

いやーこんなこともあろうかといいイヤホン買っておいてよかった

低価格機も面白いけど性能的に一芸特化になるんだよね

価格からは低域中域高域どれも抜かりなく解像度や響きが一定水準あるようになる

最近は平面駆動流行ってたし骨伝導ユニットハイブリット流行兆しがあるけど

やっぱ1DD+4BAが鉄板の隙のなさだわ

それはさておき、このイベントページにあるカクテルレシピに添えられたフレーバーテキスト

https://act.hoyoverse.com/puzzle/hkrpg/pz_0cLNSIl80j/index.html

これわりかし考察勢にとって意味あるものなのでは?

公式が明確に黄泉雷電を結びつけたというだけでも価値がある

まあ、「はるか昔に滅びた星トワッテイ」だからおふざけとも言えるが

しか英文では"an ancient and long-forgotten planet named Tavyet"だから滅びたとは言ってない

それからレンがロビン本名だとしたら…いや明らかにロビン意匠に満ちたカクテルになってるが…初出情報だろう

あの公式SNS上でのホタル実装発表のフレーバーテキストで初出の設定が明かされたのと同じように

最近ますます各所に情報散りばめてきているのでは?

ほのめかしという意味では、原神のレムリアのオルガン建築意匠

夢による統合支配をフィーチャーした内容も明らかにピノコニーを意識させる作りだったし

しかたらこの先の展開をレムリア世界任務によって示唆している側面もあるのかもしれない

というか崩壊3rdも、千織実装に同じくして裁錦・裁断要素のあるセルマの深堀りイベをかぶせてきたり

セラペウムが図書館という夢の中に人々を「結合」させる様子を示してきたり

これはあれの示唆なのか?それともそっちなのか?全部が繋がっているのか?と

作品メディア境界を超えてセンス・オブ・ワンダーを感じさせに来てる感じがする

とにかく、レムリア世界任務水路演奏するシーンはめちゃくちゃよかった

美しすぎてなんか謎の部位が極まるようなへんな感動した

話を戻すとスタレの考察については

一介のナナシビトもとい名無増田にすぎん自分は体系立てて語れるほどの能力はないが

今日みつけたネタを元にググってたら、サンデー大好きっぽい人による鋭い考察をみつけたので貼っておく

https://note.com/ashino_open/n/n97d91b350e70

https://note.com/ashino_open/n/n499ddac2e1fa

こんだけ考えて楽しめる作りになってるシナリオ作り、どう考えてもアツすぎる

ただアレだな、ピノコニー考察はやっぱキリスト教神学齧ってる欧米人の方が絶対有利だな

シナリオが一段落したあと録画を見返すのが楽しみだ……

花火が言ってたこ初見では戯言に聞こえても核心ついてたセリフオンパレードなんだろうな……

2024-03-12

anond:20240312122933

これ言うの何度目か知らんけど、お前らが「AKIRA画期的だった」と言ってるとき、本当にお前らが口にするべきは「童夢」の方だからな。

サイキック的な見えない力を扱うという漫画的な演出の最も原始的な部分を完成させたのが「童夢」。

ドラゴンボールかめはめ波代表される「古典的には『気』と呼ばれていたエネルギーを、肉体を経由することなく直接発射する」という概念が圧倒的に新しかった。

そういった「不思議な力」が一見弱々しいキャラクターの元で強く発現するというジャンルを作ったのも「童夢」だ。

AKIRA」が洒脱さとビビッドさを織り交ぜたポップカルチャー的な造形において優れていたのは事実だが、そこに新しさがあったかというそうでもない。

多くの人が「AKIRA」に対して感じた新しさは、単に「童夢」をまだ通らず先に「AKIRA」を見てしまたことで発生したインプリンティングに過ぎない。

前衛的すぎた「童夢」を混ぜ物によって薄めて軟着陸させることでより社会に受け入れやすくしたのが「AKIRA」なわけであるからして、「童夢」を差し置いて「AKIRA画期的である」というのは流石におかしいわけだよ。

2023-11-15

他人洒脱言い回しを流用してバズってるアカウント

恥という概念を持ってないから出来るんだろうな

2023-10-24

ガールクリエイションちょっと触った感じでは悪くないな

作りの綺麗なソシャゲって感じ、UIフォント洒脱で令和水準だな

ただ一点気になるのが、テキスト普通小説では「ああ、」と書くべきところが「あぁ、」になってること

そこだけ急激にラノベ感というか、若者文化感が強くなる

いや内容もファンタジーなやつだしライトノベルではあるんだが

2023-09-12

ここがスゴイ! 寺沢武一コブラ

怖い

宇宙一スーパーマンコブラと戦える敵なので

めちゃくちゃ殺しに来るし、殺し方が多様 子供心にトラウマ一杯だった(※父親の蔵書)

また、宇宙生物SFメカ系、はたまた超越存在など、路線も多様だ!

植物型の宇宙人! 犠牲者の口から種子を埋め込み体に根をはり、操る! 根が育ちきったら死ぬ

ピラニアマシーン! 四角い殺人ルンバ! 単眼恐怖症を植え付けられた!

宇宙生物! あらゆるエネルギーを吸収し、肥大していく! 人間に取り付いてチューチューもする! 原子炉危ない!

改造人間! ゴムボディで神出鬼没! 水道からにゅるーって出てくる! 空気吸って膨らんだら浮く!

甲虫集合体人間! 弾丸みたいに1匹1匹飛んでくる! ガラス窓に KILL YOUとか虫文字まで書いて脅してくる!

生きてる雪! 凄い凍死させてくる! 女王雪がいてギャースって鳴く!

さいころ背中に入れられた刺青ドラゴンに成長して裏切ると首無くなる!…実は科学的なトリックだったと思いきや、バックにいたのはやっぱ悪魔でしたーー!!

クリスタルボウイ普通に洒脱な会話してくれるから全然マシ

2023-06-28

consensus?

洒脱とかシャバいとか正義とかってむつかしいよね

2023-06-27

anond:20230627200117

公式垢にぶら下がってる投稿見たが言うほど洒脱か…?

2022-06-26

枕草子:ver俺

春のポカポカ陽気!って感じのあったかい日よりは、三寒四温において三寒のほうに分類されるような、冬寄りの日の方が好きだ

気温で言うと15度前後くらいの日

日付で言うと、3月20日とかのあたりだ(これ冬か?)

桜が咲き始めているが、寒くて、しかしクソ寒いって感じではなく、分厚い上着はいらない

空はよく晴れている

あの辺の時期に、なんかよくわからんけどどっかで咲いている花の匂いなんかがふと漂ってくると、なんというか、胸が締め付けられるような、謎の感覚に襲われるんだよな

アレがいい

ムチャクチャ暑い日に、くたばれ!と思いながら外を歩いて、コンビニスーパー銀行なんかの、よく空調の効いた建物に立ち入った瞬間の感覚 あれですね

日常ちょっと外れたところでいくと、美術館なんかもいい

大理石なのかなんなのか知らんけど、石造りの、ツルッとした内装と、高い天井と、展示品のためにガンガン効かされた空調と、静けさですよ

美術館行くためにあまり慣れてない土地にやってきて、マジクソ暑い中をちょっと歩いたあとに、涼しさと静かさの権化みたいな空間出会うわけなので、感動もひとしおだ

でも実際、コンビニとかでも全然いい

コンビニも大概涼しいしな

いよいよ涼しくなってきた10月11月あたりの、よく晴れた日に、植物園に行くのがいい

あえて具体的に言ってしまうと、豊中都市緑化植物園に行くのがいい

ホントにいいんだよ 

豊中都市緑化植物園の温室の横にある、池のほとりに、ガーデンテーブルとガーデンチェアがある

俺が思うに、あそこは日本でも有数の最高の秋スポット

でけえ広葉樹が色づいていて、鳥が鳴いていて、ガキが広場ではしゃいでいて、池の水面は静かで、後ろには温室

なんなんだよあの空間

実は1回しか行ったことないんだけど、俺はあの空間が本当に好きだった

あれこそが秋だと思う

あと、同じく都市緑化植物園内のハーブ園もよかった

オフシーズンから、多くの花壇はからっぽで、植え込みも全然元気がない

そんなんだから人も全然いない

イタリアンパセリかなんかだけがやや元気そうにしていて、他の植物茶色くなって萎れている

でもハーブ園なんで、花壇の構造デザインなんかは全体的に洒脱な感じ

ギャップがよかった かなりよかった

とにかく、秋の晴れた日に豊中都市緑化植物園に行って、温室を見てるうちに3時くらいになっていて、なんとなく日が翳り始めたことを感じつつ、背の高い木に囲まれ遊歩道を歩く 鳥が鳴いている そういう体験をするべきなんだ

問題があるとするなら、11月って秋扱いでいいのか?というところだ

冬になったらシティーに繰り出したい

ティーに繰り出すっつっても大した目的はなくて、見たいのは、落ち葉

街路樹から落ちた葉っぱが木枯らしに吹かれて、ウェーブ状になってカラカラいいながら灰色街路の上を渡っているのを見ると、言いようのない満足感があるんだよな

道っていうか、空間が広ければ広いほどいい

公園とか広場とか、そういう場所がいい

地面は石畳がいい

アレがいいですよ

あと、冬特有の、陰鬱な、真っ白い曇り空な

絶対雨降んないけど、絶対晴れもしないなって感じの、無害な分厚い雲の日

嫌いじゃないんだよなあ!

あいう空模様の日に、隣町くらいの遠さのところにある、どうでもいい公園に行って、あまり快適ではないベンチに座って、初めて寄ったよくわからんスーパーで買った、うまくもまずくもないおにぎりなんかを食うと、マジでまらない

何がたまらないのかは不明

2022-01-01

葉書でドナルド・エヴァンズに』が何でかわからんけどおもろい

今日本屋に行って、平出隆の『猫の客』を買おうとしたら売り切れだった

日本であまり知られていないような気がするのに、世界22か国で翻訳されているという不思議小説

数年前に読んだけど、手放してしまったので、もう一度買って文体とかを見たいなと思ったの

一軒家に住む夫婦のもとにどこからか猫が毎日訪ねてくるという「飼ってない猫についての小説」だった気がする

夫婦が住む一軒家は住宅街にあって、その猫が塀を沿って、路地から訪ねてくるルート幾何学的に説明していたのを覚えている

小説地の文風景描写位置関係説明するときって大体のことをぼかして書くことが多いけど、『猫の客』は路地の形状を数学の図形問題説明文みたいに理路整然と詳しく書いてたと思う

「円の中心Oから2㎝離れたところにある点P」とまではいかないけど、誰の頭にも順序だてて考えれば同じ配置図になるように設計された文だった

昔、『猫の客』を読んだ時はその文章のくだりは想像するのが面倒で適当に読み飛ばしたんだけど、今読んだら頭に路地を浮かべることができるもんなんかねえと気になって年末で余裕があるときに試したかったんだ

だけど、売ってなかったから仕方なしに同じ平出隆著の『葉書でドナルド・エヴァンズに』を買って帰った

夭折したドナルドエヴァンズという芸術家あてに著者がはがきサイズに収まる日記を送り続けるという変わった創りの本だった

既に亡くなっている会ったこともない芸術家宛の一方的書簡まとめみたいな感じ

僕はドナルドエヴァンズなんて知らんし、こういう洒落めいた文って大体つまらんもんって期待してなかったんだけど、今半分くらい読んで、かなり楽しめてしまっている

ドナルドエヴァンズは架空の国の気候政治想像しながら切手水彩画で描いて作品にしてた人なんだって

著者は実際にドナルドエヴァンズの母国たるアメリカを旅しながら、生前しかった人を訪ねて話を聞いたり、著者自身ドナルドエヴァンズへの思いをしたためたりしているわけよ

こうやって説明する文を僕なんかが書いても面白くなさそうなのに、読んでるとなんでかわからんけどおもろい

小出しにされるドナルドエヴァンズという人物肖像人生旅行記としての楽しさ、短文の読みやすさ、ドナルドエヴァンズをめぐる人々を追うドキュメンタリーみたいな進行がうまく絡み合ってよくまとまっていて、ページをめくる手が進んでしま

こういう頭のよさそうな人がやっているおしゃれな文を褒めたくないけど、面白いし、どんどんドナルドエヴァンズが好きになっていくんよ

少年時代切手収集共通趣味だった親友切手が誰かにまれしまって、ドナルドエヴァンズが親友のために切手を盗まれた記念の切手作成してプレゼントしたエピソードとか最高かよって思っちまった

皮肉めいた冗談みたいなプレゼントを気軽に送って笑いあう関係を書かれてもないのに勝手想像していいな、うらやましいなとか思った

込み入ったことをしてるはずの本なのに読みやすいんだよ

こういうのを洒脱な文って言うんだろうか

なんか『葉書でドナルド・エヴァンズに』が妙に面白くて、平出隆の才能というか文がうらやましくて、増田に書きなぐっちまった

2020-06-27

国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら

菅木志雄

宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館美術館ではなくて、美術館詐称する展示場なんだが。

川内倫子

いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。

棚田康司

円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。

鴻池朋子

皮緞帳は粗大ごみしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?

田根剛

中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出お仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。

しりあがり寿

おもしろパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。

皆川明

印象うすい

横尾忠則

さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。

古典の方は見応えあるよ。念のため。

追記

古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。

仙厓×菅木志雄

仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性宇宙全体などと宗教的歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。

洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああい作品を見たなあと。

それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?

花鳥画×川内倫子

川内写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃん選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。

花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。

円空×棚田康司

棚田作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。

いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。

刀剣×鴻池朋子

mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが

刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの

今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。

ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。

会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。

そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典作品としっかり向き合おうよって思う。

仏像×田根剛

前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。

他の作家と違って、この人は作品制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。

立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日ロダン地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。

から今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。

正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだからしかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。

まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明スピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。

さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。

北斎×しりあがり寿

出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。

もう1つは、冨嶽三十六景のパロディちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品元ネタ北斎作と並べて展示していた。

北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしま現代っぽさの対比が興味深い。

それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。

でもね、「和紙インクジェットプリンタ」なんだよ。実物見意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。

乾山×皆川明

ツイッターで見かけた感想なんだけど

伝統×現代アートという切り口から伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました

ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。

このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。

もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分ターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。

乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入りモダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。

https://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=267439&data_id=20219

蕭白×横尾忠則

この展覧会に行った理由蕭白蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。

新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的蕭白と言えばこうのって作品で大好き。

宣伝動画のなかで横尾は、人間本質・魂の表現蕭白作品の中にこめられた重要メッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。

そのほか

kei_ex 増田近代美術館のドイグ展とか行くとどう思うのか気になる(コンテンポラリーだけど、手法比較古典

行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。

yama_bousi 現代美術自分好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング藤城清治氏、あとドール世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。

おお、ありがとう積極的に見に行くことはしないだろうけど、いちおう名前は覚えとくわ。

2020-02-12

苦しいものには価値がない、という時代がきたのかなと感じる。

「俺が若いとき毎日残業接待で---」「今の若モンは苦労を知らない」というのはあまりステレオタイプ昭和の勤め人像だが、確かに洒脱でないなと感じる言い分だ。

こういう、旧来の感性と180°反転して、現代20代は「自分楽しいと思える形で努力し、それを認められる環境で生きていくのがクール」「辛い努力ルールに従って泥臭くやるのは恰好悪い」とされる。少なくとも20代半ばの私はそう感じている。

個人的意見だが、私は上記つの対局にある感性両方に疑問をもつ

もちろん、空気を読めだとか、いくら無能でも年上を敬えだとか、女はこういうもんだとか、男が大黒柱であるべきだとか、そういった時代遅れの考えに同調するわけではないし、個人能力に応じて自由選択を選び取れることが幸せなのだろうと思う。

一方で、今日大学生たちがあまり個人主義に傾倒し、大学をでて就活をして大手企業に入ろうとするといういわゆる「人生のレール」を毛嫌いしていることに違和感を覚える。

現実に、私の同期や後輩のうち10名以上が大学を辞めるか、一般的就職活動を行わずにいわば変則的ルートで進路を決定している。

私は彼らを心から応援しているが、少なからず、その決定に伴うリスク合理性を問いたい。

彼らは決まって、一見大胆に見える進路を選択した後にSNS上に『なぜ大学を辞めたのか』という旨の投稿を行い、それに他の学生は熱烈なエールを送るのだが、私はそのやり取りを一抹の恐怖に似た感情をもって見つめている。

例えば、大学研究意味を見出せず、浪人と休学を含めて6年間を投じた大学生活を途中退出してコネクションを使ってエンタメ業界へ。

賞賛応援の嵐、夢を摘み取ったことへの羨望がコメント欄滾々と沸き立っている。

なんだかなぁ、と私は思う。

大学を出てからでもよかったんじゃないのか? 全く触れもしなかった卒業研究からも、得られるものがあったんじゃないのか? などと考えてしまうのは私がもはやロートル化しているからなのか。

繰り返しになるが、私はこの判断否定する気などさらさらないし、そんなことをできるほど大した人間ではない。

私は単に、大学生たちに、人生のレールがダサいものなどではないことを知ってほしいと思っている。

研究をまじめに行って、大きな企業で世の中にインパクトのあるものを、優秀な同僚とともに生み出していくことが、恥ずかしい事であるはずがないのだ。

学業就活は総じて苦痛を伴うだろう。私も大変に苦しんだし、大学院をやめようと思ったのも1度や2度ではない。

それでも徹底して競争に身を投じ、苦しんで苦しんで戦い抜いた結果、私は今作りたいものを自らの手で生み出せる仕事をしている。

研究以外で何もクリエイティブことなどできないが、こういう人生もアリだろうな、と自分では感じている。

何も研究勉強がいつも楽しかったわけではない。苦しい事が9割5分だった。

それでも逃げ出さずに戦いぬいたことを私は誇りに思うし、この経験が私にとって有益ものをもたらした。

こういうと古臭いのだが、苦しいことも、まったく無駄ではない。

苦しくとも自分が信じる目標を成すこと。それが一番格好いい事なんじゃないのかなと思う。

2019-09-16

杉田智和as塩基球@はたらく細胞がすごく良い。

こういう演技の杉田が好きだ。

軽妙洒脱な演技のイメージが強い杉田だが、

つり球アキラガルカール山田とかガルガンのチェインバーとかみたいな実直?な喋りがとても合っている。

この好塩基球はさながらベルセルクナレーターの様で最高だ。

こういう役をもっとやって欲しい。

カム見てても思ったけど、カメレオン声優だよなwww素晴らしいよ杉田

2018-09-05

アイナナと大正ロマン韓国ユーザーについて思った事

 アイドリッシュセブン公式ツイッターへのリプライが今、ハングル文字で溢れています(9/4現在)。

 今回(発端は二年前ですが)、再燃しているアイナナの大正ロマン問題

 大正ロマンをやめろというタグが出回り、あまつさえ運営公式ツイッターにまで書きこまれ事態が起きました。

 すべてを読んだわけではないですが、『#大正ロマンじゃない』『#アイナナ大正ロマン使わないで』『#アイナナ9月花鳥風月イベント特効カード大正ロマン解明しろ』等々のハッシュタグ使用してのリプライ及び発言では、過去戦争で着用された衣装を着ていることが不謹慎であり、植民地支配をうけたとされる韓国への配慮がなされていないという内容がほとんどでした。

 これは果たして、アイナナの大正ロマンカードに対して、適切な認識をしていると言えるでしょうか?

 大正ロマンカードは、アイナナのアプリゲーム上で行われた『アイナナロマン』というイベントカードでした。イベントテーマパークオープンプロモーションを兼ねた脱出バラエティ番組を模したもので、モチーフ大正ロマンというだけあって衣装も書生、探偵紳士花魁(?)、貴族など、文明が開けた大正時代瀟洒ハイカラものばかりです。それをアイドリッシュセブンTRIGGERRe:valeが着用していました。

 それだけです。

 確かに軍服戦争時にも着ていたかもしれません。

 けれど、アイナナがイベント衣装モチーフとして切り取ったのは「戦争をしていた大正時代」ではなく、「文化が花開いた大正時代」の側面です。そこに戦争を含む意図はなく、ましてや他国侵略した際に着用していた衣服だという含みなどありはしません。

 そこにあるのは、華やかなりし文化への憧憬だけです。

 戦争は確かにいけないことです。けれど、古い教えや聖書にもあります

 『罪を憎んで人を憎まず』

 既に戦争は終わり、その時代に生きていた人々も数を減らしています。私達は戦争経験している世代でなく、伝え聞いた世代です。

 戦争はいけない、平和こそ未来に繋げるべきものだと教えられました。だからこそ、戦争という罪は憎みます。許されない行為だと思います

 けれど、憎みあった相手の子々孫々にまで、その感情をぶつけるのはおかしくはありませんか。

 それでは同じことを繰り返してしまう種火を、遺恨ないはずの未来にまで持ち越す行為だとは思いませんか。

 戦争時代の側面です。時代の負の面です。けれどその中だけで人間は生きているわけではありません。

 くりかえしますが、文化という側面を切り取ったのが、大正ロマンとされるものです。

 戦争を賛辞し、推奨するための表現ではありません。

 ハイカラ洒脱雰囲気に浸って、その時代の華やかさに心を馳せたいだけなのです。

 今、アイナナ(他のソシャゲジャンルもですが)に関わっている韓国の方々は二分されていると思います

 ハッシュタグ使用して大正ロマン転覆させようとしている人に関しては、もう一度カードイベントの背景に「戦争の美化や正当化」があるかどうかを確認して欲しいです。 

 ハッシュタグの件で恐縮してしまっている、純粋にアイナナを楽しんでいる人は、今とても肩身の狭い思いをしていると思います韓国人が全員、そんなふうに怒っていると思わないでと悲しんでいる人がいるのも見ました。その声は届いています。これからも、感情論だけでなくクリア視野でいて欲しいと願います。そして、ツイッターであっても、その声を発信してくれてありがとうと伝えたいです。

 その他になってしまますが、韓国人はアイナナを辞めろと言う方々もいらっしゃいますが、その差別はきっと、アイドルは喜ばないと思うのです。

 アイドリッシュセブンにはナギがいます。彼はハーフです。外国人から、という牙は彼をも害します。

 人を見てください。他国の人だという大きすぎる括りはあまりにも大雑把です。

 長々と取り留めなく書き散らかしたようにも思いますが、わかってほしいのはただ一つ、戦争意図などなく、運営公式は誰を害するつもりもないということです。

 過去は変えられませんが、未来はどうとでもなります

 どうとでもなる未来に、いつまでも争いの種火を持ち越し続けるか、もう犯してはならないことだという決意のみを伝え続けるか、どちらが有意義でしょうか。

 発端はゲーム衣装の事ですが、いま一度、ハッシュタグ運営公式批判し続ける方々には思い返していただきたいです。

2018-05-09

かっこいい四字熟語はかっこいい四字熟語から作れるはず

かっこいい四字熟語を作りたい。そのために、字面がよさそうなかっこいい四字熟語を集めてみた。これらから漢字を選べばそれなりの四字熟語になるのではないか

山紫水明、色即是空疾風迅雷、諸行無常

人海戦術森羅万象、秋霜烈日、権謀術数

天衣無縫酔生夢死、快刀乱麻、花鳥風月

光学迷彩前人未踏、神出鬼没、泰然自若

臥竜鳳雛、燕雀鴻鵠、危急存亡、起死回生

変幻自在、軽妙洒脱一騎当千一刀両断

比翼連理極悪非道疑心暗鬼、行雲流水

運否天賦生殺与奪堅忍不抜明鏡止水

2017-10-20

秋葉原であった立憲民主党の街宣を見てきた

秋葉原会社の近所なので、帰るついでに寄ってきた。自分立場現実主義左派で、護憲よりも生活派(社民党を出て民主党に来た辻元清美阿部知子を支持する派)で、「枝野立て」とTwitterで期待してた責任もあるし、と思って見てきた。

開始時刻の19時ギリギリに着いたら、かなりの人混みで、どちらに候補が来るのかまったく分からなくて、とりあえずみんなが向いてる方を向いてみた。本日東京は厳しい冷え込みと雨で、途中止むこともあるけれどみんな傘はさしていて、ただでさえ苦手な人混みに加えて隣の人の傘が不快だったので、傘をさすのをやめて濡れながら見始めた。透湿防水生地はい所詮ユニクロ寒い

しばらくして街宣車に人が登り演説が始まった。東京2区松尾さん、枝野代表東京1区の海江田さんの順に演説は行われた。向いた方向は正解で前の人のビニール傘越しに候補が見える。松尾さんは、TwitterYoutubeで見てきた枝野演説エッセンスを短いセンテンスにして繰り返し、聴衆の一部からレスポンスがあった。今までの枝野演説と似た内容なのに、正直あまり響いてこない。立憲民主への追い風がなかったから厳しそうだ。ということを思っているうちに終わった。

次に枝野代表松尾さんの演説が終わってすぐから聴衆のボルテージが広がっていくのが分かり、登場と共に最高潮になった。演説が始まる。ハナから引き込まれた。松尾さんが単調に主張を繰り返したのに対し、枝野さんの演説には聴衆とのちょうどいい間があった。聴衆に対する投げかけが浸透する時間を丁寧に待つ。マスとのコミュニケーションが非常にうまくなっていた。実は民進党代表選とき有楽町であった街頭演説会を見ていたのだが、その頃と比べて人が違うのか?というレベル大衆とのコミュニケーション改善していた。立憲民主党が出来てからすぐの演説Youtubeで見ていたが、そこと比べても明らかに改善していて、この選挙戦で一気に良くなったのだろう。

演説の内容については生活左派(今テキトーに作った)としては取り上げて欲しい話ばかりだが、それに加えて安易約束しない、言い切らないところ、あくまでその方向性でやっていくよという言い方にするところに政権担当した経験と、出来得る限りの改善を目指す誠実さを感じた。(これは直前の松尾さんが言い切り型だった分余計に感じたところではあるので松尾さんの言い方は直したほうがいいと思う)

その誠実さがあるからこそ、「サービス残業」という言葉いかにひどい言葉であるか、と枝野さんが言ったときに、自分の中に深い共感が生まれたし、聴衆の反応もすごかった。今、政治家与党野党も強い言葉を使いたがっていて、ただ強い言葉を言われてもリップサービス感が強く、薄ら寒ささえ感じる。そんな中で普段から強い言葉を使わず、誠実に対応をする枝野さんが強い言葉を使ってサービス残業否定することにようやく安心する、そんな感覚だ。

演説全体から、こんなにまともな人が政治家をやっている……そして代表政党がある……ということが初めてなので、マジかよ……みたいな感動があった。

その後は最近の流れ、みなさんが作った立憲民主党というところになり、演説を終えた。枝野コールがあったが、あんまりコールが好きではないのでう〜んという顔で帰るかどうか迷っていた。海江田さんの選挙区自分選挙区なのだ

迷っているうちに海江田さんの演説が始まる。しわがれ声で正直不安になる……おじいちゃん大丈夫?と思っていたらジジイギャグを出してきて笑いを取ってくる。前の二人が笑いとかないタイプだったので、ちょうどいいバランスベテランテレビ経験もたくさんあるから、聴衆とのやり取りも手慣れた物だ。軽妙洒脱なやり取り。しかし、このコミュニケーション強者感が枝野さんの普通の人っぽさを引き出し、ああ代表がこういう人ではなく枝野さんでありがたいな、という気分があった。海江田さんが悪いのではなく、ただリーダーコミュニケーション力に長けた人ではなく実務を回し、嘘を言わない誠実な人であって欲しいということが確認出来たのである。今回の選挙の主要な党の代表はみな海江田タイプで、安倍首相小池代表前原代表もみなコミュニケーション力が優れているが誠実さに劣るタイプ(全体での整合性よりもその時々の場での整合性を重視してしまタイプ。本人に悪気がないことが多い)で、実生活でもさんざんそういうタイプが上に立つ弊害を味わってきたので、余計に枝野さんのようなタイプが上に立つことへの渇望じみた欲求がある。そして枝野さんが代表から、海江田さんみたいなタイプも使いみちがあるから安心して票を入れられるなと思った。

さて、ものの見事に枝野さんを別々の方向から引き立てる候補者で、全部聞いて良かったが今後に不安も残る変なバランスの街宣だった。生活左派としては、撤退戦のこの選挙ではなく次の選挙とそれまでの間の方が重要で、つまり代表以外の候補が育たないと、ということなので少し不安だ。

 
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