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2024-05-05

いわゆる下方婚してもらった男の話

5年前に結婚。子無し。

増田は35歳、妻は26歳だった。

増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立大学と院は奨学金で行った。

妻:文系修士卒。日英蘭語が話せる。年収900万。

出会い友達主催しているボドゲサークル

結婚するまで自分普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。

さら結婚してからは妻の実家の太さに驚嘆すること多し。

 

結婚ときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。

もらった金はNISAとか投資信託で増やしている。

妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。

増田実家結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。

妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。

妻の実家は集まりが多い。盆暮れ正月彼岸に〇周忌とか。

すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。

私大学部卒は低学歴に入る感じだ。修士普通高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)

頑張って博士号を取って良かったと思う。

妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。

妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。

そんな感じで増田勝手に気後れしたり劣等感を覚えるだけで楽しくやっています

匿名を信じて自分身体的なコンプレックス全てかく

  1. 左足の親指が巻き爪になったことがありそれいらい爪のカス臭い
  2. 手首の骨を2回折っており天気の悪い日に違和感があるのと、少し硬い
  3. 背中に良性の腫瘍をとった跡があり、縫い合わせたところを触ると神経がズレてるみたいな感じで少し離れた別の場所がくすぐったい
  4. 仮性包茎、短小、早漏若い頃は結構気にしていた。今でも銭湯では少し恥ずかしい。
  5. 近視がひどい。0.02以下だったと思う。
  6. 鼻が蓄膿症だった。今は酷くないが詰まることは多い。
  7. 歯並びが酷く歯列矯正をした
  8. 目が過敏でダウンライトのある部屋などは1時間ぐらいで頭が痛くなる
  9. ぎっくり腰の癖があり、たまに右の腰に違和感があって怖くて激しく動けないことがある
  10. 全体的に筋肉がない
  11. なで肩である
  12. ほくろが普通の人より多い、顔にも少し大きめのがある
  13. 髪が直毛ですぐにぺたっとなるのでセットがまともにできたことがない
  14. 痩せててもおっぱいが少し出ている(気がする)
  15. 顔がもう少し小さかったら良かったらと思う
  16. 顔にシミができてきている
  17. 顔に3cmほどの傷がある。目立つというほどではない
  18. 太りやすい。お盆正月で数日食べるとすぐに数キロ太る

もっとあると思ってたけど書き出してみたらこんなものかと拍子抜けした。対して重大なものもない。

みんなも気になるところを列挙したらこれぐらいあるものだろうか?

anond:20240505003746

フリーランスはともかく自営は人使ってるとマジで正月しか休みない。遊んでるなどない

2024-04-29

さす九のリアル上京して「お前の地元おかしいよ」と言われるまで〜

「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。

じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。

もちろんこれは、単なる個人体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付け証拠を出せ!と言われても無理である増田から匿名だし。

ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。

小学校

テスト

すごく賢い男の子がいた。

私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気クラスにはあった。

ある時、別の賢い男の子が転校してきた。

そしてその男の子2人は点数を競うようになっていった。

まり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。

ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。

点数を聞かれて、私は自慢げな気持ちを抑えてテストを見せた。

男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。

まさか、女に負けるなんて」

何だか、全部バカバカしくなってしまった。

女の子が産まれたら

私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。

そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。

そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子から!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。

兄弟クズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。

これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。

・私の顔

私は、嫌になるほど祖母に似ていた。

外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。

そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。

私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。

「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」

「えっ?それって」

「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」

ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。

中学校高校

・寮

田舎小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。

から脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。

というわけで、若干遠い学校に通うことになった。

一時期、寮に入っていた。

その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。

下着も干している、プライベート場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」

私の主張は鼻で笑われた。

「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」

私は食い下がった。

「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしプライバシー尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」

男は心底驚いた顔をした。

「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」

周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。

管理人の異様さのせいか、みんな何も言えなかった。

親がおかしいとまで言われ、私は絶句し、泣いた。

どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。

翌年から私は寮を出た。

私も、周りの子も、親や教師相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。

お前達は子供からお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想

・その他

あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢かいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。

一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。

大学

このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分権利を主張するな、という空気しかなかった。

今も変わらない?そうかな……そうかも……

部活

部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。

理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。

今思うと頭おかしいが、当時はせっせと雑用をしていた。

もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。

引退する時、部長(男)が全員を集めてこう言った。

「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」

しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!?!?!(流石にキレる)

感謝気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?

最後感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?

葬式

母の父、私から見て祖父が亡くなった。

人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。

食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき台所で食べた。

「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。

唯一疑問を持ったのは、祖父の墓に参れなかったこである

お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。

ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。

最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。

ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。

お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。

完全に行くつもりで玄関に立っていた私に、母から

「やっぱり、お墓参りちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」

と言いにくそうに言われた。

「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????

と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。

何で「やっぱり、お墓参りちょっと」なのか。

兄弟たちは行けるのに、なぜ私はダメなのか。

そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。

・さつまおごじょ

大学は、九州各地から色んな人が来ていた。

そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。

そのうちの一つが、以下に書くような話だ。

「胸が大きいと、同級生先生からセクハラ行為を働かれる。

というか、胸の大小について、男性から公的場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的言葉をかけられる。」

これまで私が受けてきたセクハラは、「性的意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。

でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。

私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。

から余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。

普通じゃないことを知ったのは、上京してからのことだ。

大学

祖母ダブルパンチ

大学院に進んだ。

そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。

父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。

一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。

「女がそげん勉強して、どがんすっ」

翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である

小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。

戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。

荷物持ち

大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。

買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。

男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、

女の子なんだから

と言われた。

雷に打たれたような気持ちだった。

こいつは何を企んでいる?と思った。

どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。

頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。

女の子から、という理由作業免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。

感想

さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。

もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったもの日本の他の地とは違っているからだと思います

普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。

中学生くらいの時から欧米女性自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米女性そもそもお人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。

前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックス相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも1020年前の九州ではそう言われていた。

生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。

【おまけ】トランスジェンダーになりたい少女たちについて

上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代男の子になりたかった。

だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。

男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。

セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。

一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。

ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的気持ちで、男の子になりたかった。

あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。

私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。

けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。

今、私は、身体違和を感じていない。

まれながらの心の問題とは別に社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。

2024-04-27

anond:20240427115700

正月イベントとかフウカとハルナ関係とても好きなんだけど

フウカってお清楚キャラじゃなくて豪傑なんだけど先生の前でだけ自分の中のありったけのメス集めてあの感じを演じるんだよね

から声優ファイルーズあい

2024-04-25

バンドカズサが欲しくてなけなしの石をはたいて100連回したら正月セリカキキョウが来た。猫は嫉妬深い…浮気を許してくれない…。

2024-04-20

週休二日制で毎週二日休みじゃないのは日本語的におかし

気持ちはわかるけど、完全週休二日制ってゆう言葉もあるん出汁日本語としておかしいってのは違うくね?

ついでにゆうと、完全週休二日から祝日正月も出勤だよって罠のほうが李夫人

2024-04-19

の子、私が切ったら友達いなくなるな

って思って付き合ってた友達が居たんだけど

ずっと私を大事にしないし

私は私で心がすり減るばっかりだから最終的に切ってしまった

私もあんまり友達多いわけじゃないけど一人の時間も嫌じゃないし

そういう時間大事にする人とばかり友達なので

たまに集団行動とっても、気を使いすぎることはないし

お金トラブルや機嫌取りの時間が無くなって楽になった

切った友達だった子に対しても、別に私を優先して一番に考えて欲しかったわけじゃなくて、自分下ネタよりの恋愛話を聞きたくないって言ってもするところとか、身体の特徴について「太った?」とか「(胸大きくなったの)揉まれた?」とかそういう発言やめてほしいっても聞いてくれなかったりとか、私と会ってる時に彼氏連れてくるとかしてほしくなかったとか、ときかく私のやめて欲しいと言ったことは聞き入れてくれなくて、親に私が同人書いてるとかコスプレしてるとか口止めしてもバラしちゃったこととか、デリカシーがとにかくなくて、舐められてるなとは思ったんだけど本人に悪気とか一切ないんだよね

これだけ損ねてもいいんだと思ってるつもりもないみたいで本気で友達いないの自分やらかしだと思ってないみたい

これを普通の人にいうと、悪気ないわけないとか言われるけど、ああい人間と接したことない人にはわからない感覚なんだろうけど、何度指摘しても注意してもきょとんとしてるんだよね

言葉が通じない感覚というか

自分にも悪いところは無いわけではないけど、それでもどっちもどっちの度をこえてることがあるのを指摘すると私の自分勝手とか我儘に付き合うみたいに言われるのもつらくて連絡とってない。

地元友達で、超田舎なので親戚でもあるから盆と正月法事は顔合わせる事があって来月法事なのすごく憂鬱

でもこの法事を乗り越えたら数年会うタイミング無さそうで頑張りたいと思う

2024-04-16

anond:20240415184728

一点だけ補足。

未就学児つれていくのなら、親が有給休暇とろう。

子ども幼稚園保育園休もう。

そして1月の平日に行こう。

秋のシルバーウィークに始まり連休ハロウィンボーナス戦線クリスマス、お正月成人式

一連でお金を使い果たしているので、一番空いているぞ。

2月になると大陸から旧正月休みあおりを食らう。

ブルアカアニメの謎の心地よさ

ゲームやってない完全初見

会話聞いてても何も情報が頭に入ってこない(前提知識なさすぎて集中できない)

でもなんか正月の集まりで親戚同士がしゃべってるのをぼーっと聞いてるみたいなリラックス感がある

ブルアカ自体日常系ではないんだろうけど、日常系アニメにハマる人の気持ちが初めて理解できた

2024-04-13

おじさんの話を誰が聞いてくれるだろう

おじさんにだって、誰かに話を聞いてほしいことがある。

今日の出来事趣味の話、愚痴、困り事。

仕事のことだったり、プライベートだったり、自分自身のことだったり。

でも誰が聞いてくれるだろう。

身の回りを振り返ってみると、話を聞いてくれそうな人がいないことに気づいた。多分これは、コロナ禍でより一層、いなくなったと言えそうだ。

話をするだけで、少しでも気分が晴れることもある。でしょう?

もちろん解決を求めて相談することだってあると思いつつ、そんな深刻な話はそう多く発生しない。

結婚している人だったら、パートナーに話せばいいじゃないかという人もいるだろう。

良好な関係を築けていれば、パートナーに聞いてもらえるかも知れんけど、あいにく、そういう感じではない。あちらさんの話を聞くことはあっても。

仕事をしているなら、職場というコミュニティもあるっちゃあるけど、

業種や職場雰囲気によりけりだろう。コロナ禍以降、雑談をする機会がめっきり減った。

増田のおじさんの場合プライベートの友人も大半が家庭を持っているので、話を聞いてくれ、ということにはならず。

縁が遠くなりつつあって、コロナ禍がそれに輪をかけた。年賀状がお正月にきて、あとは散発的にLINEする程度だ。

そういう状況に置かれていることに気づいた。そう、誰もおじさんの話なんて聞いてくれない。

だったら、話を聞いてくれる人を開拓するしかないのだ。

まず、重たい話を聞いてくれる人を探していくうちに、いわゆる電話相談サービスが世の中には結構あると気づいた。

相談したいカテゴリ別にいろいろあるし、有料のものもあれば、無料のものもある。

重たい相談事は、電話相談をすることにした。その場で解決しなくても、相手が見当はずれなことを言わない限り、かなり気持ちも楽になる。

続いて、既存の限られた人間関係で、少しずつ雑談の機会を増やしていくことを模索しようと思った。

それをやっているうちに、徐々に、雑談をする相手が見つかってきたので、お互いに話して聞いて、というのは、好都合だ。

あと、試してみたいと思いつつ、まだ試していないのは、いわゆる「夜に営業する、お姉さんが接客する飲食店」。

増田のおじさんは、おじさんになるまで、この手のお店に行く機会が全くなかった。

聞き上手なお姉さんがいるのかもしれないが、いくらお金がかかるかもわからんし、そこはまた未知数だ。

ここまで書いていると、方向性が見えつつあることに気づいた。

世の中がガラッと好転するわけではないから、少しずつやるしか、ないわけだ。

anond:20240413002705

○年の正月はどちらの家で過ごすか、○年の夏休みはどちらの家で過ごすか、どこの高校に行くかなど事細かく決めるものでしょ。そんなん予測できるか!

2024-04-12

妻が水瀬いのりに泣かされた日。

水瀬いのりという、声優がいる。この人に妻を泣かされた日のことは、忘れられない。

私は水瀬いのり氏と同年代だ。いわゆるZ世代

勉強のよくできる大学を経て、お利口な人たちが集う、そこはかとなく大きな企業で働く、平凡なビジネスパーソン

特に水瀬氏に思い入れがあるわけでもないが、そこまで知らず。

たまに、Apple Musicシャッフル再生で流れてくるのを聞いて、なんだか落ち着く歌手がいるなあ、くらいの感覚

転機が訪れたのは、本社に配属されてから

多少規模の大きい会社の勤め人ならわかるだろうけど、本社の中枢の経営のあたりに投げ込まれると、

それはもう、胃が痛くなることが多くなる。辺境の支社ののんびりびよりが懐かしいことこの上ない。

じきに水瀬いのり氏の音楽の落ち着く効能に縋って、通勤時は「モーツアルト」「水瀬いのり」のヘビロテであった。

同氏のおかげか、はたまた私の才によるものか、お作法にうるさい経営対応も、ちょっと神経質な霞ヶ関対応も、

朝飯前とは行かずとも、まあなんとかなるようになった頃、今の妻と出会った。

妻はアニメジャニーズもわからぬ箱入り娘であったが、私が運転中にやたら水瀬氏の曲を流すものから

自然と当たり前のように、やはり水瀬氏の音楽聴くようになるのである

じきに妻は身籠り、さて人生も実に順調と言ったときに、またもや転機が訪れる。

私が肺がんになってしまったのだ。

タイミングが悪いと言えなくもないが、今考えると、良かったとも言える。

とにかく、クリスマスから正月にかけて肺を摘出するために、入院することとなった。

絶賛コロナ禍で面会もできず、妻は出産直前だし、何より手術日は妻と初めて出会った記念日クリスマス

実に申し訳ないことをした。

同期の医者の計らいで用意してもらった、病院VIPフロアの個室で、皮肉にも美しい夜景を見ながら、

年末で他の患者も家に帰ってしまい、あるいは静かな沈黙病棟で、

水瀬氏のバラードが鳴り響いていたが、文句を言う人すらおらず(年末から

私はむしろ、どんどんと平静さを取り戻していった。

日も上らぬ早朝から叩き起こされ、手術の仕込みをされることとなるも、実に私は幸せな気分でいられた。

とにかく手術は成功し、かなり異例の速さの回復具合だったようで、病院のいろんな医師が物珍しそうに見に来たのが印象的である

モーツアルト水瀬いのり氏の曲がずっとそばにあったことは言うまでもない。

(ちなみに大きな手術するとき患者は好きなCDを流せることが多い。私は「CDで」と言う記載を見逃していたので

主治医趣味デスメタルを聴きながら手術台に上がる羽目になった。覚えておいて損はないはず)

退院してまもない頃、これまた妻の陣痛が始まった。これまた妻を抱えるようにしてのせて、東京の真ん中あたりの病院に車を転がした。

妻は私の手術の話を聞いて、何を思ったか知れぬが、こどもが生まれる時は、水瀬いのり氏の「Happy Birthday」がいいと言うから

私の娘は生まれたと同時に、水瀬いのり氏の歌声を聞くこととなる。

さて、色々と落ち着いた頃合いに、Apple CarPlayから水瀬氏の新曲「While We Walk」が流れた。

その瞬間、東京の車の喧騒ピタリと止み、娘すら泣き止み、静寂が私たちを覆った。

「生まれた日のことを・・・何か憶えている・・・

神様の目を潜り抜け・・・宇宙内緒口付けを」

参考:https://www.uta-net.com/song/343412/ 

妻は大泣きしてしまった。それは、水瀬いのりに泣かされたように。

水瀬いのり氏には、本当に感謝を伝えたい。

・・・

本当に、ありがとうございますあなたのことばで、しあわせに近づけました。

これまでも、これからも、よろしくお願いします。

・・・

全く関係はありませんが、娘には「いのり」と名付けました。

2024-04-07

春休みなので妹に会ってきた

妹は今大学生で、都内一人暮らしをしている。

俺は社会人二年目で未だに実家暮らし

もう既に子供部屋おじさんと呼べるのかもしれない。

数日前。久しぶりに妹から電話があった。

妹と話をしているとなんだか懐かしくなって、会いたくなったんだ。

それで今度の土日、遊びに行っていい?と聞くと妹は二つ返事で了承した。

当日。俺は寝坊してしまって家を出るのが遅れた。

から妹のマンションに着くと既に夕方で、妹は苦笑するように笑って俺を出迎えた。

リビングは清潔で掃除が行き届いており、実家の部屋とは大違いだった。

妹は料理テーブルに広げ、すべて手作りだというので俺は驚いた。

実家にいるときには全然料理なんてしなかったのに。

独り暮らしをするようになって、自然とできるようになったのだと妹は言う。

身バレを防ぐために料理の詳細は伏せるけれど、どれも美味しかったのは確かだ。

そして一緒に晩酌した。妹は21になったばかりだった。

妹は正月にも帰っては来なかった。

こうやって一緒にお酒を飲むのは初めてだった。

それからはお互いの近況なんかを話したり。

毎日楽しいよ」と妹は笑って言い、それを聞いて俺は安心した。

次第に夜も更けてくるとそろそろ寝ようかという話になり、その前にお風呂に入ってくると妹。

先にいい?と聞くので俺は首肯し、周りに目をやりぼぉーっと待っていると妹が風呂から出てきた。

ラフな白シャツに丈がごく短いショートパンツという格好で、「あーいいお湯だった」と言いながら俺の隣に座る。

いい匂いがした。

前より、胸が大きくなっているように見えた。

妹のこういった姿はこれまで何百回と目にしてきた格好だった。

しかしここは実家ではない。

その事実が、見慣れないこの周りの光景と酔いが俺を惑わせたのだと思う。

かに勃起し、それを隠すように立ち上がるとトイレへ向かった。

それから風呂に入ると妙に緊張した。

風呂から出るとお茶を飲みながら軽く談笑し、それから寝ることにした。

妹は寝室で、俺はリビングで。

予備の布団と毛布で床に着き、それでもなかなか寝付けなかった。

眠れないまま刻々と時間が過ぎていき、すると足音が聞こえた。ひたひたと、ゆっくりリビングの方へと向かってくる足音が。

足音リビングに入るとそこで止まり、俺は目を開けなかった。

次第に、すすり泣く声が聞こえてきた。

その声を聞いて、俺は昔を思い出した。

中学の頃、妹は俺の部屋に入ってくると戸口でいきなり泣き出すことがあった。

妹を宥め、理由を尋ねると、たいていは大したことではなく、友達喧嘩したとか、テストの点が凄く悪かったとか、そういう類のことが原因だった。

そういう行為は妹が高校生になってからもたまにあり、妹は俺の部屋に入ると突然泣き出すことがあった。

俺は妹の悩みを親身になって聞き、アドバイスをして、協力することもあった。

悩みが解決すると「ありがとう、お兄ちゃん」と妹は小さな子供みたいな笑顔で俺に言う。

その顔が、俺は大好きだった。

頼ってくれることも正直嬉しかった。

寝たふりを続け、すすり泣く声を聞きながら俺は当時のことを思い出していた。

泣いているのはきっと妹だ。それでも俺は目を開けない。

妹はもう21だ。子供じゃない。

俺は寝返りを打つ振りをして背を向けた。

すすり泣く声はしばらく続き、それから諦めたようにゆっくり遠のいていく足音を聞いた。

翌日。もう朝だよと妹にたたき起こされるとパンを焼くいい匂い

既に朝食は出来ていて、手作りの朝食もまた美味しく、妹はご機嫌だ。

昨夜は何もなかったかのように。

食べながら「今日はどうするの?」と聞かれ、どうしようかなと言うと「せっかくなんだし観光していけば?」と妹。

でも一人で回るのもなぁ、そうつぶやくと「私も一緒に行くよ?」と言ってくれた。

俺はインドア派で出不精なこともあって、なにかイベントないと遠出することはあまりない。

そう言う意味では今回はいい機会だし、じゃあ頼むよと俺は妹にお願いした。

妹は満面の笑みを見せた。

テレビSNSで見るような場所を二人で回り、妹は楽しそうだった。

大学には友達がたくさんいて、毎日とても忙しくて、とっても楽しいのだと、妹は口癖のように言っていた。

観光地巡りは最終的に妹に振り回されるような形となって時間が遅くなり、結局その日も泊まっていくことになった。

その夜、俺は妹と結ばれた。

2024-04-06

日経つのは早いな。

昨日正月を迎えたばかりだと思ってたのにもう年の瀬

しばらくしたら2028年だよ。

2024-04-05

正月実家帰省したときスーパーポテトチップス九州しょうゆを二袋買ってこっそりスーツケースに入れてきた

我慢できなくてもう片方食べちゃったけど、あと一袋はちゃんとなんかいい日に食べようと決めてる

正月実家帰省したときスーパーポテトチップス九州しょうゆを二袋買ってこっそりスーツケースに入れてきた

我慢できなくてもう片方食べちゃったけど、あと一袋はちゃんとなんかいい日に食べようと決めてる

2024-04-01

まもって守護月天!を読み終えた その1


当方40代であるはてなユーザーでは平均ほどか。

数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである家族が俺一人になったので、土地建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである

相続が終わってから遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。

その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。

何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。

実家本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶脳裏から消えてしまったのだ……。

ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。

そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画

家族食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。

弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。

確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオ再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。

さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックス漫画を読むことはなかった。守護月天漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああい精緻な絵柄のエログロが好きだった。

とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。

読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。

ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。

その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである

~ブックライブから引用

一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天美少女とのファンタジーラブストーリー一人暮らし中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。


まり主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助シャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である

では、さっそく始める。



【第1巻】

読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。

まり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。

なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。

シャオリンが「この平和時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン

太助様…」

「…え……」

「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」


シャオ歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和現代でそんな行為需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。

ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。



【第2巻】

このあたりは、まだだるかった。物語登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。

別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代ラブコメ高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。

ルーアンの計略によりシャオ太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける

「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」

「…いいえ… ………あの 私…… 太助様がここに来てくれるの 待ってたかもしれないです」


ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオ現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。

この場面は気に入っている。シャオ気持ちも、太助気持ちリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。



【第3巻】

このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助シャオ愛情意識する場面が出てくる。

ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。

以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。

シャオ山野辺が一緒に温泉に入っているシーン

「なあ シャオ…」

「…………」

シャオ?」

はい?」

「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」

翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」 

(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)


うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写リアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。

なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。



【第4巻】

この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件イベントが起こって、太助シャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである

基本は、太助シャオ関係性がメインだ。この作品うまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情ガッツリ描いてる。

この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である

④-1太助高速道路自転車走行中にタイヤバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン

「………え 太助様!? 太助太助様!! 太…助様あ… ……う…」

「あ…あの小璘さん…」

「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」

「あ…いや まさかそんなあ」

「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対さない!!」

「…………」

太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」

「小璘…………あんた」

④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン

「なあ…ルーアン

はい!?」

「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」

「………… あんたあのおじょちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」

「――…」

「小璘が人間じゃないから?」

「…………」

「………俺とシャオって絶対結ばれないのかなって…」

「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」


気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞ひとつである



心か



みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。

漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。

俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスたか記録を付けるとか……同じ会社女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。

でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。



【第5巻】

20年以上前漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。

しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品創作とかしたこといからわかんないけどさ。

⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン

「なんだかね………私 太助様ととってもお話たかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」

「……シャオ

だってお話してるってことは 一緒にいるってことでしょ? だから…」

(だから… きっとこんなに 安心できるのね)


太助シャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまり絶望的な事情なのだ

あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会かぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。

この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。

大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアン台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である

ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。



文量の都合で2分割。

次に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20240401122023

3カ月ぶりに実家に行ってきた

正月以来の実家

ご近所との境界トラブルが表面化して、とうとう怒鳴りあう状態になった話を聞いてきた

火種昭和の頃からずっとあった

実家の両親は打って出るタイプではないが、攻撃されると返り討ちまでやる系

案の定かなりの勢いでやり返したらしい

過剰防衛は新しい火種しかならないのでほどほどで止めて欲しいと思ったが昨日時点でもう焼野原だった

息子世代まで出張らず済んだのだけが幸い

2024-03-30

親、家族というしがらみが面倒くさい

もう一人でなんとか生きていけるようになった今、あなたたちのことなんて知らないっ!と言って縁をぷっちんこしたい気分

だけどそんなんじゃダメだよなと思う。人間として(嫌いな言葉だ)いけないなと思う

日本じゃどうかわからないけど海外だと家族の繋がりが最も大事だって言う風土も少なくないみたいじゃん

からやっぱり大事なんだなと思うし

それから親も家族もいままで自分を支えてくれた実績っつうか、人生の中にかけがえのない過去があってさ

その恩を感じていないわけではない。から、恩返しをしなきゃなんない、とは思う。順当にはそうなるんじゃないかなって、純粋に感じる

でもさ、面倒くさいんだなあ

毎年正月と盆には顔を見せている

それでいいのかな自分、とも思う

2024-03-28

食べ残すことと無理に食べること

うちの旦那食事を食べ残す人が大嫌いで、子供に「無理にでも食え」と言う。食材農家さん、作ってくれた人にも失礼だからだ。

それはまあ分かる。

一方私は学校給食を無理に食べさせられたトラウマで極端な小食になった経験があるからご飯を残すからって怒ったり罰を与えるのは逆効果だと思っている。食べて吐くくらいなら「もったいないけどごめんなさい」の気持ちで残して構わない。

もちろん、いただきます・ごちそうさまを言う意味も教えた。

で、腑に落ちないことがある。

旦那実家は、盆正月に親戚一同集合して山ほどご飯を作って連日宴会するタイプ

そうやってご馳走することがおばあさん達の生き甲斐になってるんだと思う。

胃薬飲んで、食べたくもないご馳走をムリやり食べる。旦那は後片付けをしないかあんまり知らないかもしれないけど、残飯もそれなりに出てる。

旦那義実家人間が「吐きそ〜」と言いながらご飯を食べるのには驚いた。

お腹いっぱいで残す子供より、そっちの方がよほど食材に失礼だし下品じゃないか

義実家から大量に送りつけられた餅は我が家冷凍庫にクソほど残っている。今まで、もったいないからって私が苦労して消費してたけど、バカバカしくなってきた。

食材感謝するって、何なんだろう?

anond:20240328013807

誰もヨドバシ.comの電子書籍サービスを使っていなくて驚いた。

どの本、どのマンガを購入しても20ポイント還元だぞ(盆とか正月には30%還元になることもある)。

最近AmazonKindleポイント26%還元とかやっていることもあるけど全部じゃないし、基本的にずっと2割引で本やらマンガやらが買えるのは強い。

ただ、読むための公式アプリのDolyが本当にクソなので、そこだけはなんとかして欲しい……。

2024-03-27

私が生まれた時祖父は52歳だった

祖父は7人兄弟長男だ。

祖父農家林業をしていた。

私は3歳の頃、弟が産まれから半年ほど祖父の家に預けられた。祖父のことも祖母のことも好きだったので嬉しかった。

祖父民謡を流しながらトラックに私を乗せて苗を買いに行ったり田に連れて行ってトラクターコンバインに一緒に乗せてくれた。

スーパーに一緒に行って買い物をしたり、祖父知り合いの家にこれがオレの孫だと連れて行かれたりしていた。

当時はおじいちゃんってすごくお年寄りなのに私のこと大好きでアクティブですごいって思っていたけれど当時55歳だったんだよね、若かったんだなーって。

その後も盆正月におじいちゃんの家に行くとおじさんたちが集まって、私や弟、従兄弟たちと花火したりバーベキューしたり川にカニ取りに行ったり、かまくら作ったり雪合戦したりとかまってくれたんだけど、若いおじさんたちってまだ50歳なってなかったんだなーって。

それだけなんだけどさ。

私が今36歳で、結婚して住んでるとこから飛行機2回乗り継いで、今日5歳と3歳の子ども連れて実家に来てるんだけど、88歳になるおじいちゃんは今もすごく元気で、私と私の子どもたちに会えたことをすごく喜んでくれて。

ほんとありがたいことだわ、何に感謝してるのかわかんないけどほんとありがたいわありがとう

anond:20240326211907

正月に餅を食べる

→なんでこんなおいしいものをお正月しか食べないんだろう?いつも食べよう!と思う

→忘れる

→次のお正月に餅を食べる

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