はてなキーワード: 非常識とは
ごめん、この増田の言ってる場所、特定しちゃったと思う。
自分も近所に住んでる人間で、その猫おばさんと話したことがあるから。
猫が居たので写メ撮ってたら、話しかけられた。
猫の身体に悪いエサ撒くやつが居るらしく、その犯人だとちょっと疑われたw
猫が可愛かったから写真撮ってました、と言うと、猫好き認定したらしく、ボランティアで野良猫去勢させてるとか、里親探ししてるとか、大学寮の猫に毎日自腹でえさやりをしているとかの話を誇らしげにしてた。
冬は勝手に大学寮の敷地内に侵入して段ボール置いてるとか言ってたので、表面上はにこにこしながらも腹の中では
(不法侵入・不法投棄じゃんよ、タチ悪いなー)
と思ってたんだけど、さらにこんなこと言ってた。
1 ●大学(その大学寮の)は大学構内の犬の散歩が禁止。こんなの全国でも珍しい。とても冷たい大学だ。
2 (野良猫たちの縄張りの)空き地と学生寮の敷地を管理しているおじさんは、猫が嫌いで猫の寒さ避けに置いた段ボールを撤去した。悪魔のような男だ。
……というようなことを私にグチってから去っていったけど、これってすごく勝手な言い分なので、呆れた。
まず1ね。
第一に、大学のキャンパス内は公園じゃないので、基本的に「関係者以外立入禁止」。
うるさく言ってないだけで、訪問者は門の所の守衛さんに身分を告げるという規則もある。
ていうか、キャンパス内でペットの散歩を禁止している大学のほうが一般的。
許可されているのはキャンパスそのものが観光地となっている東大とか京大くらいだそうだ。
それから2。これは大学所有の土地なんだから管理人の仕事として当然のこと。
管理人さんが猫嫌いなら、嫌う権利だってあるでしょ。むしろ、保健所呼ばないだけ猫に優しいくらいじゃないかと。
なんというか、私の大嫌いなPETAやシーシェパードに通じる、自分勝手で傲慢な動物愛護精神を感じた。
里親探しや野良猫の去勢とかは、増やさないためにも立派だと思う。自腹でやってるらしいし。
当然、無用な動物虐待もすべきではない。
でも、実際に野良猫に迷惑をかけられている人がいるなら、人間優先にするのが当然。
大学寮だから野良猫に開放すべき、なんて理屈はおかしい。大学の土地は公共のものではない。
おばさんと話したのはけっこう前だし、当時はおばさんの言うとおり「猫はここの学生に迷惑かけてない」って言うのを「そうなのかなあ」と思ってたけど、
増田の言うように迷惑かかってるんなら、野良猫を保護したり飼育(恒常的えさやりは飼育とみなされる)したりする前に、
大学側の許可を取るなり別の場所に移すなりすべきだろう。迷惑かかってるなら許可はおりないだろうけど。
そういう筋を通す前から我が物顔で色々やってるから問題なんだよね。
新卒に対して敬語を使わない第二新卒が職場にいるんだが、って感じで増田=第三者ってことにしとけばまだ角が立たなかっただろうに。
今月から自分の会社に第二新卒の人(新卒で入った会社が去年潰れたらしい)が入ってきたけど、ちょっと無作法なところがある。
会社にいるほかの人にはさん付けなのに入社一年目の僕に対してだけ君付け。
朝の挨拶も他の人には「益田さんおはようございます」というのに僕には「増田君おはよう」。先週昼休みに「増田君昼ごはん食べに行こうよ」とかいわれたんで「こっちのほうが目上なんだから敬語使えよ」といったら「なんでそんなに怒ってるの?私と同期なんだから目上じゃないでしょ」とか非常識な答えが返ってきてうんざりした。
増田を見てる第二新卒の人たちも入社後トラブルを起こさないように第二新卒より新卒のほうが目上だという一般常識を知っておいてほしい。
これって犯罪じゃないか?
昨年11月、東京都港区のワンルームマンションで、48歳の独居男性が吐血して病死しているのが見つかった。死後約3週間。連絡を受けてその日のうちに郷里の新潟から上京した実妹は、マンションを管理する不動産会社の担当者からこう告げられた。「家賃を値引きしなければ、次の借り手がつかない。家賃の半額を10年分請求することになる」
賃料は月約14万円。請求額は合計800万円以上になった。別途、床のフローリングや壁のクロスを交換するリフォーム費用約50万円も請求するという。「とても払えない。新潟の老いた両親は首をくくるしかない」。打ちのめされた様子の実妹を見かねて、遺品整理と部屋の清掃を請け負った「あんしんネット」(東京都大田区)の担当者は「法外な額なので弁護士を入れて交渉すべきだ」と助言した。
足立区で昨年暮れ、3DKの賃貸マンションで70代の独居男性が孤独死した際には、離婚した元妻が家主から最低2年間の賃料を支払うよう求められた。
そのマンションは2人が離婚前に住んでいた場所。月額8万円、2年間で200万円近くを元妻は支払うことにした。顔見知りの家主からは「部屋は空けておくので住んでもいい」と言われたが、住む気にはなれず、空き室のままだという。
元妻の長女は「『払う必要はない』と言っても、母は『孤独死で大家さんに迷惑をかけたので』と聞かない。口約束で書面も交わしていない。2年以上払わされるのではないでしょうか」と不安な表情を見せた。
宅地建物取引業法では、家主や不動産会社は部屋を貸す際、借り手の判断に影響を与える重要事項を事前に説明することが義務づけられている。ただし、孤独死は同法上の重要事項に当たらないという。
東京都の不動産業課は「自殺は借り主に説明するよう指導しているが、孤独死については家主や不動産会社の判断。賃料減額分の請求は民事的な問題で、行政は何も言えない」。
都内の不動産会社社長は「病死は自然現象で、うちは孤独死を次の借り手に説明しないし、遺族にも請求しない。請求するところがあるのは知っているが、800万円というのは非常識だ」と話す。ただし、リフォーム費用については契約で借り手による原状回復を求めており、遺族や保証人に請求するという。
・バリバリ働いて即戦力になります!と入社する直前に結婚、そのまま長期休暇取得で海外へ旅行。当然新人研修ブッチ。
・残業アリ前提で、入社してから「子供を保育園に迎えに行く」と毎日定時退社
こういう人引いちゃうと、面接時に聞いとかなかったんか!言っとんかったのか!ってビックリしてた。
当人にすれば「新婚旅行くらい当たり前でしょ」「子供を迎えに行くのは義務でしょ」だと思うし、
まったくもって、それ自体には異論はない。
けど、面接時に入社するためにはできない事を言うvs聞きたい事を聞けない面接じゃ、
そりゃ、仕方ないわな…
仕事をする上で、影響があるなら、最初から「条件」として言って欲しい、聞いてほしい…。
一旦取っちゃったら、「面接時の話と違うよね?」って首切る訳にもいかないのが現実なんだから。
(っていうか、だから言わないんだろうけど…)
ひがみじゃないでしょ。相手が非常識すぎるし子供をアクセサリー程度にしか思ってないよ。きっと。
本人にしてみれば一年間も妊婦+母やって息抜きしたかったんだろうけど、
息抜きの仕方がへたくそ。だからといって増田達に迷惑をかけていいわけじゃない。超身勝手。
多分そのお友達はお受験とか熱心にやっちゃって子供と仲悪くなるタイプ。
2ヶ月で子供の行く末までわかっちゃうなんて凄いよね!つかず離れず面白おかしく見守るといいよ。
あと、増田は僻みとかいう感情さえ持たなければ、何も悪いことはない。そんな事はそれぞれなんだからあせらなくていーんだよ。
30歳は大人か子供か:NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20081210/179742/?P=1
いつもの如く、〓デモ主人公と狂った洋子節を珍聴できるかと思い、目を皿のようにして読んだ。
今回は、登場人物が全員マトモだった。まっとうな行動をしている。きわめて珍しい。
だもんで、褒めてやろうとコメントを書いてやった。
(この人の記事は、常にケチョンケチョンに貶されているから)
コメント始まる
『
よくある不義理を伴う独立のゴタゴタ話なのですが、他の業界ということもあり興味深く拝読しました。最初から最後まで目をこらして読みましたが、突飛な行動を取る人間が現れなかったことがたいへん印象深かったです。エッセイの主題〓「30歳の大人」とその家族〓にあるように、謙虚さと感謝の気持ちを持たないまま年齢を重ねてしまうことへの恐怖を感じました。
彼らに対して、「非常識な人間だ」と一蹴することもできますが、永年にわたる安定成長のなかで、緊張感と謙虚さを」を持たないまま、ぼんやりと過ごすことができてしまった時代にも原因を求めることができるかもしれません。そして、私もそのような世代の人間です。
記事にあるように(ry と (ry 引き締める良い記事をありがとうございました。
』
コメント終わり ※(ry部分は忘れた。ヨイショ内容だったと思う。
何がいけなかったのだろうか?考えられる原因は、以下のどれだろう?
・コメントが嫌み、特に冒頭
・「損」だと切り出すまで引っ込まなかった父子への言及がない
・結論の「親の眼力が問われている」ことへの言及がない
新聞の投書欄を見たら老人が立っているのに、若い奴が誰一人席譲らないと怒っている人がいた。
俺は、今、人に席を譲ることはまずない。
結構経験者多いと思うんだけど、席譲ろうとしても断られて嫌な気持ちになることが多いんだよ。
なんで人に親切しようと思ったのに、大勢乗っている電車の中で恥かいて不愉快な思いしなきゃいけないんだよ。
俺には、席譲らない奴より、席譲られて断る奴のほうがよほど非常識だと思う。
人がプレゼントとかお土産持ってきたら喜んで受け取るのが常識じゃないの?
人のプレゼントやお土産を、「それいらね。」って断わるのって物凄く失礼でしょ?
「こんなのいらね。」と思っても、笑顔で喜んでいるふりして受け取るのがマナーでしょ?
でもなぜか、譲られた席には素直に座るというマナーは世の中にないらしい。
調べると、断るほうにも理由がある。
「席譲られるほど年取っていない。」
「そんなに疲れていない。」
「もうすぐ降りる駅だから」
まあ、断るほうにもそれなりの理由があるわけだ。
考えてみれば、老人だから電車で立っているのが大変な身体弱者って思い込みは失礼な気がする。
逆に8時間以上立ち仕事した人間は、若者であろうとその時点においては身体弱者だよ。
世の中、席譲って欲しいって奴より、どうぞお構いなくって奴のほうが多いんじゃねぇの?
だったらこういう意見もあるし、「席譲る」って、善意の押し付けをマナーにするのもうやめようよ。
席を譲らなかった若者
http://rakudaj.seesaa.net/article/3130212.html
念のため言うけど、俺は人に席譲るのをやめようと提案しているんじゃないよ。
そうした奴はそうすればいい。素直に良いことだと思うよ。
ただ、老人とかに席譲らない奴に、マナー違反というレッテルを貼りをやめようと提案している。
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みんな同じ料金払って、同等の電車・バスに乗る権利また席に座る権利を得ています。
だから、みんな平等に席に座る権利ありますし、他人に席を譲る義務はありません。
もちろん、あなたが、自分の席の権利を人に譲るのは自由です。
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これでよくね?
譲ってくれと声かけられたら、自分が特に切羽詰った状況にある場合は別として、そうでない普通の状態だったら譲るけどなあ。そのまま席に座ってても落ち着かないし。実際増田もモヤモヤしたわけだし、その後の気分悪い時間が勿体ないし、自分ならこういうときはさっと譲ってそれ以上自分の中で引きずらないようにする。別に他人に優しくしようってわけじゃなくて、純粋に自分の快適さだけを考えてそうする。
それは別として、
「つまりその人は、それだけ非常識な振る舞いをしなければならない程追い詰められていたのだから
尚更優しくしてあげなきゃ」
こういう人に対しては、無理を吹っ掛けて、それが常識的に無理であればあるほど、「そんな無理を言うほどこの人は切羽詰まってるんだわ」と解釈して従ってしまうという攻撃パターンが成立するので、充分に注意してあげてください。公共交通で席を譲るとか寄付くらいかわいいもんで、もっと取り返しのつかない罠に掴まる可能性があるので。
行きはまず座れないんだけど、帰りは運が良ければ座れることもある。
この日も目の前の人がいきなり降りてくれたおかげで、久々に座って帰れることになり
とりあえず読書をしようと本を取り出したら、斜め前に立ってた若い男が話しかけてきた。
「どうしても仕事をしなければいけないので、席を替わってくれませんか?」
男は小脇に大きなノートパソコンを抱えていて、どうやらそれを使いたいらしい。
お互い社会人だから、仕事が大変なときがあることは十分理解できる。
でも、だからと言ってここまでしてやる義理はないし、俺だって仕事してきて疲れてるんだから
当然のように断った。
男はそれでも食い下がったが、俺は何も言わずに無視したので
俺に席を替わってもらうのはあきらめたようだ。
しかし、その次にその男は自分の正面に、つまり俺の横に座っている老人に同じことを言い出した。
老人はどう見ても70歳を過ぎてそうな感じで、どこに立っていても無条件で席を譲って貰えるであろう風情の
まさに老人の中の老人だ。
その老人相手になんという勝手なことを言い出すんだろうとあきれていたところ、
なんとその老人は何も言わずに立ち上がり、その男に席をゆずってしまった。
男は軽く会釈すると席に座ると同時にノートパソコンを開き、そしてバッグから本を取り出して
それを見ながらぎこちない手で作業を開始した。
関係ないけどちなみにその本は「はじめてのVisio」みたいな感じだった。
俺はその男に席は譲る気はなかったが、目の前に立っている老人には席を譲らないといけないわけで
結果的に俺がそいつに席を譲ったのと同じことになってしまった。
俺も電車で座れるならノートパソコン持ち帰って仕事したいとは思うけど、
どんなに切羽詰まっても、他人の着席権をうばってまではしないけどなあ。
帰って釈然としない旨を妻に愚痴ると、
「つまりその人は、それだけ非常識な振る舞いをしなければならない程追い詰められていたのだから
尚更優しくしてあげなきゃ」と
諭されてしまった。
俺の優しさが足りないのか・・・。
ちなみに妻は亜菜瑠ちゃんを救う会みたいな奴に、10万円寄付したりするような人だから
それに比べたらフォボスとダイモスくらい優しさ力が違うけどね。
いやごめん、フォボスとダイモスがどのくらい違うかよく知らないけどふと頭に浮かんだから書いただけなんだ。
例として不適切なら他の適例に置き換えてくれ。
そのときは、世帯年収400万なのにそこまでする?と口論になったのも嫌な想い出だ。
まあ何が言いたいかと言うと、でかいノートパソコンもいいけど
今はD4とかLooxとか立ったままでも使える便利なモバイル機器があるから
そういうのを有効活用してねってことだ。
いや違うかもしれないが。
元記事を書いた人の本心は、「知らない人にみられるのが恥ずかしい」ことと「知らない人に茶化しや冷やかしを入れられるのが耐えられない」ということだと思う。
ただ、そういう感覚があることは別におかしくも何ともないはずだ。むしろそういう感覚は大事なはずだ。恥じらい大事だと思うんだよ本当に。
うん、それはまったくその通りだと思うよ。羞じらわない文化より羞じらう文化の方が俺も好きだ。いやむしろさ、そういう感覚が大事だと思ったから件の記事にブコメしたんだけど。
「はてな民の総意」を代表してるつもりもないんで「俺は」って先に断わりを入れておくけど、件の記事にコメント付けたときには「そんなことは恥ずかしいうちには入らん、俺が見たいと言ってるんだから見せろ」なんて言ったつもりはさらさらなくて、「恥ずかしいんならみんなに見せなきゃいいし、みんなに見せるんなら恥ずかしいことを書かなきゃいいんじゃない。知り合いとしか話したくないなら知り合いだけしかいないところに行けばいいし、みんなのいるところに来たならみんなと話せばいいんじゃない」って言ったつもりだったんだけど。
ていうかさ、「知らない人にみられるのが恥ずかしい」ようなことを「全世界で見られる場所」でやってる人ってそっちのがどう考えても露出狂だよね。全裸で外に出て「見ないで下さい!訴えますよ!」って言ってるみたいに見えるんだけどね。
日中の大通りを自ら素っ裸で歩いてる人が「羞じらい」や「礼儀」や「一般常識」を誇らしげに語ってたら、「外に出るときは服を着る、裸になるのは見せてもいい人の前でだけ」って信念の俺は、ここはひとつ「大人のマナー」とやらを教えてやろうかこの変態、と思ってしまうこともある(いやま、大概は「関わりたくねーなー」と思って目を逸らしてそそくさと通り過ぎるけど、あんまり目障りならそういう風に思うこともある)のだけど、それってそんなに「上から目線で押し付けがましくて非常識」なことだったのかな。その人が「私が裸で外にいるときに近くを通った人は目隠しをして歩きなさい」と(勇気を出して)呼びかけてても、「馬鹿も休み休み言え」じゃなくて「(優しく)そんな格好でいたら風邪をひきますよ」って言ってあげなきゃいけないのかなぁ。
嫌だな、そんなの。
ああ、違うな。まぁ正直なところ、羞じらっていようがいまいが俺の知ったことじゃないし、俺自身はやらないけどその人が好きで裸に近い格好で外に出るのは俺の知ったことではないな。目隠しをしろとか、見たら訴えるぞとか言いださなきゃ、それでいいかな。でも、本当は裸で外に出たくないのに気付かずそうしてしまってる人がいたら「それは馬鹿なことだからやめときなさい」って言うし、本人は好きでやってるけど通りがかりの人に絡んでくるようだったらやっぱり「この馬鹿、変態、自己中!」くらいは言うかもな。それが「最低」で「無意味」なことなのかぁ。いやぁ、そいつはまいるね。
と、まぁこういう話をしてたつもりだったんだけど、ここまでの流れでなんかTwitterとかはてなとか出てきたっけ?
(ついったらー)「俺は私生活の全てを見せるぜ、みんな見てくれ、そして見せろ!」(はてな民)「ブコメで群れてあげてるんだから感謝しなさいよね!」(普通の人)「いやーやめてー怖いー」みたいな流れ、どっかにあった?俺はあのブコメからはそんなやりとり見つけられなかったんだけど、どこにあるんだろ。どこで初々しさを出せばよかったんだろうなー、全然わかんないや。
タイトルが長すぎたのでちょっと縮めた。
本当のタイトルは
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html
一般常識ブログマナーを訴える人と、全く話がかみ合わないたった一つの理由
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-550.html
http://anond.hatelabo.jp/20081123222911
一番上のが問題の発端となった記事ですね。
一番上のアホみたいな記事を読んだ人のなかで、
頭に大きな「?」マークが浮かぶと同時に呆れにも近い不快感を覚えた人は
僕だけではないはずだ。
一番上の記事の著者への問題指摘だとか、
「なんでこんなアホなこといってるの?」というある意味分析に近い記事はもう結構でまわってるし、
自分もおおむねそういった人たちの主張と一致している。
皆が言うように、問題のヤフーブログの著者はとりあえずインターネット、しいてはブログというものを大きく勘違いしている。
(一応僕の意見も下のほうにメモ書き程度に書いておいたので興味のある人は読んでほしい)
さて、ここで僕が問題にしたいのは
「大人のマナー」とか「一般常識」とかいう言葉を隠れ蓑に使った議論の進め方はそろそろやめにしないか?
ということだ。
「現実世界ではこれが一般常識でしょ?だからインターネットでも大人のマナーじゃない?」
とか言っている。
僕が思うにこの「一般常識」とか「大人のマナー」だとか「最低限のモラル」とかそういう言葉を使って、
たとえば、なんでも良いのだが、
自分は特に問題だとも思わずにとっていた行動が、実はある特定の人の中ではそれが許されない行為で、
その人に注意されたあげくとどめの一言に「それはないだろJK」とか「それが常識じゃないの?もっと大人になれよ。」とか言われると、
『え?!自分ってそんなに常識ない人間だったのかなぁ・・・。』とちょっとショックを受けたりする。
でもこういうことにかぎって他の周りの人に意見を聞いたりすると、
むしろ反対意見のほうがおおかったりすることもある。
みなさんもある程度『大人』ならこういう経験は少なからずあるのではないか?
(ここでいう『大人』とは僕のようにもうそこそこいい歳をとって数十年くらい生きていると、という意味としてあえて使った)
ちょっと話が特殊になるかもしれないが、
僕もIT(SI)畑で仕事をする人間で、はてなーにもこういう人が多いと思うのであえてもう一個例を出すと、
お客さんが色々と要求を言ってくるときに、ちょっとでも曖昧な部分とか『暗黙の了解』として残しておくと
後跡になってそれが問題の火種になることがある。
これも両者の常識(みたいなもの)がずれてた例だろう。
ここで言いたいのは、結局「一般常識」とか「最低限のマナー」とかいうのは人それぞれなのだ。
その人の生まれ育った環境などにおいて勝手に構築されるものである。
その人の中で勝手に構築された「一般常識」や「大人のマナー」をやぶると
こういう言葉を使われると強制リセットを受けたような気になる。
さも、
そんな非常識人間さんとはこれ以上議論の余地はありまえん、じゃーね」
と言われたかのようだ。
大切なことなのでもう一度言う。
「常識」なんて人それぞれです。
あなたが「こんなの一般常識でしょ」と思っていることでも、実は「常識」という言葉通りみんなが認識しているものではないかもしれません。
だから意見を主張するときに「こんなの常識だと思います」とかいう言葉を使って、いかにもまともそうに見せるのはやめましょう。
ふぅ、とりあえず言いたいことはこんな感じ。
とりあえず問題のブログの著者はこれだけ批判を浴びたんだから少しは自分の中での『常識』が
みんなの中での、すくなくともインターネットにおける『常識』ではなかったということを認めるべきだろう。
皆もご存知のようにインターネットはコンピュータ間の通信から始まり、
その通信網がどんどん広がり誰でも利用できるようになった。
特に情報発信のツールとしては重宝され、世界のどこにいても情報の取得・発信が可能になり、
このようなインターネットという世界において、現実世界におけるまったくもって的外れな例を持ち出しては
「一般社会でのマナーですよ。だからインターネットの世界でもそうするのが当然でしょ?」と言っている。
例えるなら日本人が言葉も文化も違うアメリカに行って、なおかつ日本の常識をアメリカにあてはめようとしているしか思えない。
インターネットとわれわれが日々生活する現実社会は思想も文化も発展した経緯もすべて違う。
郷に入っては郷に従えである。インターネットの世界にはインターネットの世界のルールがあるのだ。
それを彼女は
「ブログは自分の家と同じだ。コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え。」
とか言ったかと思えば
「ブログの記事は図書館の本と同じだ。かってにしおり(ブックマーク)をはさまないで。」
とか言ってる。
いったい彼女にとってブログは家なのか店なのか、はたまた図書館に置いてある本なのかいったい何なんだろうか。
それにコミュニケーションとは自分の意見に対する賛否両論の意見を交えつつ、
堂々とブログで「批判は自分の見えないところでやってね」と主張するとは
これまたこのご時世にずいぶん面白い意見だ。
彼女は「コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え」と唱えている。
ある人が「私は〓〓だと思う!」と情報を発信すれば、
当然「私もその意見に賛成だ!」という意見もあれば「いや、私は反対だ。なぜなら〓〓だからだ!」という批判もあびる。
そりゃ匿名性が高いインターネットだと「うるさい、氏ね」とか平気でぬかす輩がいるがそんなのは無視だ。
このようにして数多くの意見を交換し合い、その中から自分なりの理論を構築できるのがインターネットの世界だ。
だからインターネットにおいて論理性というのは非常に重要だし、
インターネットの世界を渡り歩くための唯一にして最大の武器、というかツールというか言語にも近い。
僕もこのような記事を、特に増田なんかに書いた日には色々言われそうだが、
批判意見は真摯に受け止める。
批判意見の理論のほうが正しいと思ったなら、自分の理論を改める。
そのようにしてインターネットも、それを利用する個人も成長していくべきだと考えている。
まさかこんなに長くなるとは・・・。
ここまで読んでくれた人はありがとう。
俺はこういう「女嫌いの女」と仲良くなることが多いが
みんな決まって「女子集団的空気が嫌い」と言ってるな。
同性集団が嫌い(後述)という点で意気投合するんだろうか。
女子のコミュニティだといくつものゲージのことに気を遣い続けなければならない。今日増田で話題にあがってた、体重がなくても気にしてるようにふるまわないといけないとかもその一端。いろんなことが、自分では常識(もちろん自分の思い込みの常識ではあるが)の範囲内で行動していても属するコミュニティ内での非常識に該当するととたんに気まずい空気に包まれる。男子のコミュニティだとそういうことがない。
もっとも、男子コミュニティにも同様の同性的空気嫁圧力があるわけだが。
俺はこうした男性的・オス的空気が嫌いだから、女子集団の中にいるほうがかえって落ち着く。
男子のコミュニティにいる場合、恋愛フラグを立てられることだけはウザいという人もいるかも知れないが、ああいうのは恋愛フラグでもなんでもなくただの発情フラグである。ヤラせるかヤラせないか決め、バッサリとそのことを伝えればサバサバした関係を維持できる。
男子のコミュニティ内にいると外見というゲージだけある一定レベル以上にしておくことにさえ気を遣っていれば、まず疎まれることはない。
つまり残りの余力を全て自分が本当にやりたいことのためにつぎ込めるのだ。
女子のコミュニティだといくつものゲージのことに気を遣い続けなければならない。今日増田で話題にあがってた、体重がなくても気にしてるようにふるまわないといけないとかもその一端。いろんなことが、自分では常識(もちろん自分の思い込みの常識ではあるが)の範囲内で行動していても属するコミュニティ内での非常識に該当するととたんに気まずい空気に包まれる。男子のコミュニティだとそういうことがない。
例えば極端な話だが、デブの前で口が滑ってデブを茶化すようなことを言ってしまった場合、それが女子コミュニティだと大変気まずいが、男子コミュニティであれば笑い話に転化してくれる(これは別に私が女子だから大目にみてもらえてるのではなく、男子だった場合でも同じではないだろうか)。
男子のコミュニティにいる場合、恋愛フラグを立てられることだけはウザいという人もいるかも知れないが、ああいうのは恋愛フラグでもなんでもなくただの発情フラグである。ヤラせるかヤラせないか決め、バッサリとそのことを伝えればサバサバした関係を維持できる。