はてなキーワード: 本田透とは
立脚点が違うのかなー。
おっさんでハゲデブチビ言われてた人が、部長になったら急にちやほやされるのと同じ現象のことを言ってるんだけど。
本田透は以前顔を「キモい」とか言われたのも事実であるわけで、
同じ顔を今は「いやキモくないですよ」と言われたことで傷ついているわけでしょ。
そこで自分は、
急に本田透に対して容貌をとやかく言おうとする人たちの出現=ちやほや女の出現
と思うわけ。
だって長年の友達なんかなら、性別問わず今さらキモイだのキモくないだの言わないし。
いきなり相手に対して「いやアナタは気にしてるようだが、私はキモく思いませんよ」ってわざわざ告げるって、どんだけ…。と思うのだがねえ。
本田透の『萌える男』が一部で話題になっている模様。近いうちに読んでみる。
いつの間にか俺は「恋愛至上主義」についてよく考えるようになった。いや、俺がこれをよく考えるようになったのは専門学校に入ってからだった。
俺の高校時代は2年のときに理系を選んでしまった為、女の子とほとんど交流できず(女の子はほとんど文系に行ってしまった)。偏差値はかなり低い高校だった。でも俺はオタクではなかったので、スクールカーストでは中間の位置にいた。サッカー部に入っていたこともあって、周りの友達もどちらかというと体育会系とかちょっと不良っぽい人が多かった。
それが入試に落ちて専門学校に入ってからというもの、その環境が一変。
もともとコンピュータが好きだったので、それを深く学ぼうと思いコンピュータ系学部に入ったのだが、周りにオタクしかおらず強烈なカルチャーショックを受ける。自分の服装はどちらかというとB系とかストリート系なので、オタクしかいないクラスでは浮きまくり。オシャレをしているオタクの人もいるものの、さすがにB系、ストリート系ファッションをしている人はいなかった。
だから俺はアニメも見ないから趣味も合わないし、話してもアニメの話題をされると何を言ってるかわからないので、「あーおれ何てとこに入っちゃったんだろ・・・」と絶望した。でも、だんだんと日にちが経つごとに何人かのオタクの人たちとも話すようになった。特によく話したのは二人。一人は自分よりも4,5歳年上の人。もう一人は同い年の人。後者はオタクの中では珍しく、下ネタが大好きな奴だった。だから下ネタが元で急速に仲良くなった(ゲイって意味じゃないよ)。前者はFラン高校から来た俺に熱心に勉強を教えてくれた恩師のような存在だ。俺はアニメの話題は出来ないものの、授業や勉強の話題、下ネタだったらどうにか話すことができた。
そして彼らと仲良くなるにつれて、あることが見えてきた。
それは彼らが「゛恋愛”という競争からドロップアウトした人」ということだった。
何かしら異性関係などで相当嫌な経験をしているという事でもあった。ここではあえて書かないが、確かに昔の話を聞いてみるとけっこう嫌な思いも体験しているようだった。かくいう自分も、中学高校時代は女子ともご縁が無く、何度かあったそういう事柄も、恋愛至上主義者たちが言うような「美しいもの」ではないことを身を持って知った。素晴らしい部分もあったが、ドロドロとした部分も見てきた。だから彼らのエピソードは全く無縁な話ではなかったのだ。その当時はまだ自分も恋愛至上主義に結構毒されていたので、「彼女がいないのはおかしい」と自分にプレッシャーをかけてしまったりしていた。だが、彼らを見てその考えは徐々に変わっていった。そこから自分も恋愛至上主義の蔓延ぶりに疑問を持つようになった。
テレビなどでは「恋愛は素晴らしい、もっと恋をしよう」と扇動するが、俺は「恋愛は素晴らしい、でも汚い部分も同じくらい多い、だからほどほどに」と付け加えたい。その方が精神も安定すると思うんだ。
最近はその同い年のオタクな友達も「あー彼女できないなぁ・・・」と落ち込んだりしている。
あれだけ趣味に情熱を注いでた奴までもが、深刻そうな顔してそんな事を言うのである。これには俺も心底ショックを受けた。だから、最近の「恋愛至上主義」がマジョリティになっている状況を憂う。「無理やりにでも恋愛しろ」という考えには心底疑問を持つし、無理やり付き合ったりしてる奴は大抵、頭の中がお花畑なバカが多い。それで別れそうになると痴話ゲンカで騒いだり。
もう本当にこういう状況をなんとかしてほしい。「恋愛しなきゃおかしい!」みたいな風潮は消えてなくなってほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20080223093706
16歳から22歳という年齢は、青春真っ盛りとされる高校生・大学生の年齢とドンピシャだなぁ。
当時恋愛がうまく行かなかった人は、自分に自信を無くした。自分が劣っているのだと思った。周りの人もそう思った。世間も「顔が悪い」事はわかっていたけど、それがどの程度なのか把握している人は殆ど居るわけ無くて、もちろん生涯未婚率がどんな事になっているのかを知らない人も多かった。上の世代にも下の世代にも、恋愛できない駄目な奴という視線を浴びせられた。ほんの少し顔の作りが違っただけで、同程度の努力をした人でも就職できたのに、今この年齢を過ぎてしまった人たちは当時恋愛できなかった。そして世間は高齢童貞・処女を軽蔑するので、最初のタイミングで躓いた人はもう結婚の希望はほぼ途絶える。
やっと今になって、今この年齢をすぎた人たちが受けた心の傷にも注目が行くようになった。恋愛をするという事へのトラウマーです。異性にコミットするという事へのトラウマーです。すこし注目されたとしても、助け舟は出ません。政府の対応もままなりません。殆どの人には関係の無い話、ひとごとですからね。ホームレス対策で段ポールハウスを撤去するかのように、風俗への規制を強めるぐらいしか対応できません。
恋愛できない。周りからは「努力不足」と切り捨てられる。そんな人たちにとって生きる方法の一つがはてな村で、他のブログを炎上させてでも居坐ることでした。ある意味でたくましく生きていると言えると思います。
他の人たちが受けられた社会的恩恵よりも、ずっと淡泊な生活を覚悟すれば、楽しみは無いわけではありません。しかし、上の世代と比べても、下の世代と比べても、同程度のレベルの人が正社員で暖かい家庭やマイホームを築けていても、同じぐらい、いや、それ以上に努力しても、こういう非モテの人たちにはそんな暖かい暮らしはなかった。ネットでアダルトサイトを巡回して狭い部屋で独りで性欲処理をするか、風俗で金を払って玄人に処理してもらうか、そういう選択だったのです。
孤独と性欲を抑え込むというのは、精神的に苦痛を伴う難しい事です。もちろん、そうしてしっかり生きている人もたくさん居ます。そうできなかった人もたくさん居ます。それが非モテが極端にこのはてな村に集中しているという事です。
程度の低い暮らしをしていると、他の世代からは、その程度の人間だったのだなと見られます。年齢を確認して、未婚率の数値を把握して、しかたの無かった世代なのだなと考えてくれる人は少ないと思います。非モテに対する目線もそんなもんです。
世間は厳しい。特に今16歳から22歳という年齢を過ぎてしまった人に対して厳しかった。今も厳しい。世間は容赦なく駄目人間を見下す。この世代もひっくるめて駄目人間を見下す。それがどれだけ苦痛でつらい心の傷になっているかなんて、他の世代にはわからない。戦中世代であれば同情もされただろうに、この短い期間に起きた出来事は、ほかの世代には実感としてわかりようが無い。新聞でアキバの状況を目にして「困ったわねぇ」とつぶやくぐらいにしか関心は無い。
当時インターネットが家庭に急速に普及した時期でもありました。お互いの心の痛みを癒しあえる仲間と繋がれるインターネットに皆逃げ込みました。インターネットを使った就職活動をしても、何を遊んでいるんだという目でしか見られなかった。
非モテでなくても、非童貞になれないで素人童貞が多いのもこの年齢の人たちです。オタク文化の隆盛梁でエロゲーが急に増えました(*1)。女性はオタクを避けるようにしたので、あぶれた人たちの受け皿として役に立ちました。近年報じられるように、萌え文化の実態は単なるポルノです。うたい文句は新しいライフスタイル、自由の選択、そういった物でした。
同世代に恋愛に失敗した人が多いと、ちゃんと恋愛できた人が居ても、同窓会も盛り上がりません。
どうしたらいいの? おしえて、ダンコーガイ!
1、実家寄生で貯まる
2、食生活が貧困で貯まる(カップめんとか)
5、全部複製品と共有で済ませてきたから貯まる
6、リアル女と付き合わない、かつ風俗行かない(聖コスプレ学園除く)から貯まる
という、オタク金回る幻想がありますが(なんとか総研のオタクによる市場の大きさを称える馬鹿データが元凶)、オタク系統の消費性はここ数年落ちてますよ。その市場にいる人なら実感してると思いますが。(自分とこが悪くなくても周りで潰れた会社とかたくさんあるでしょ?)
アニメDVDだってエロゲーだって減産している。漫画の初版も平均したら落ちている。
お客さんも、1から6で安心していた人たちが経済の悪化で失職してるから、使えるお金が減ってる。親もそう。
もちろん売れてるものは売れてるよ。見た目は商品数も減ってない。全体で見たときの市場ね。減売分を点数増で補ったり、コストを下げたりの見えない努力でなんとか持たせてる。それでも、実際のところ売り場面積も減少してる、アキバは原宿化し、路上は自称アイドルのパフォーマンスによりアイドル本人の個人写真集(音楽でいうCDの代わりにネットで販売されている)を売るためのショーケース化。
最近ふと気付いたのですが、僕は、相当男くさい系の映画が好きなんですね。映画『ゴッドファーザー』は、男は、父親は、どう在るべきか、どう生きるべきかと全編を通して強迫的なまでに問いかけていると思います。
メジャーで公開される戦争映画は、かなりの割合でちゃんと見ています。『ブラザーフッド』『男たちの大和』『硫黄島』『父親たちの星条旗』も見ました。古代スパルタ王国に材を取った『300』でも、筋肉美を誇示するかのような男たちの勇壮な戦いぶりを楽しんできました。アメリカ沿岸警備隊の『守護神』も良かったです。
その一方、青年期前期の女性を描いたコミックやアニメも好きです。『プリキュア』『ローゼンメイデン』『らき☆すた』『ハヤテのごとく!』はとても有名だから、取り立てて言うほどではないかも知れませんが。
「青年期前期の女性」というのも徒らに硬い言い方ですね。ええ、「目の大きい可愛い女の子が沢山出て来る系」と言えばその通りです。心無い人はすぐにロリコン呼ばわりするかも知れませんが。ただ、基本的にはあまり「萌え」ていないと思うし、「萌え」は良く分かりません。むしろ、英語で言うところの interesting(興味深い)というニュアンスに近いのではないかと思っています。
両極端ですが、現実ではどうあっても自分が生きられない世界に触れて、補おうとしているのでしょうか(表面的に軽く自己分析)。ちなみに、少年誌的な世界にはあまり惹かれません。
本田透『喪男(モダン)の哲学史』という本は面白かったです。古代から現代に至るまでの思想を総覧しながら、著者の主張はぶれることがありません。現実への絶望・失望が文化を形成してきたのであると。ただ、やや希望を持った解釈をすれば、3次元(現実)の世界のみならず、2次元(脳内)の世界は必要であり、2次元の暗部を現実に漏らさない自我の強さを持ちながら良い部分を投影していくことで現実は豊かなものになるであろう、という主張も同時に行われていると思います。
…さて、『らき☆すた』を1篇見てから寝ることとしましょうか。
みんながそんなことをホイホイと難なくできるのであれば、
この世に非モテなどいない。
難なく?できるわけないじゃん。逆上がりと一緒。もちろんコツをつかむのがうまくて最初からほいほい回れる人もいれば、いくら練習してもダメな人もいた。ただ、元々出来ない人が練習せずにできるようになった例はない。アドバイスや練習方法が万人に向かないのも一緒。本当は個別に向き合えればいいんだが、うまくいくかもしれない方法の一つとして自分は、純情なんて役に立たないから捨てろ、と言った。
これも逆上がりと一緒なんだが、こんなものできたって人生大して変わらないかもしれない。そして、大して変わらないと思うのなら、恋愛に何かを期待することはやめたほうがいい。実際今の恋愛なんて本田透の言うとおり資本主義の一部に組み込まれているのかもしれないし。そう思うなら2次元の世界に行くかどうかは別にしても、食事に誘うなんて面倒なこと、考えるのはやめな。
あー、同意同意。
もっと凄いこと主張してるんかと思ったら、
結局根はモテる奴らへの(そうなれないという)ルサンチマンオンリーで、ガッカリした。
そもそも、彼の脳内の三次元の人間は二次元よりバリエーションが少ないらしく
それで世界をどういう目で見てるのか分からないけど
奇怪な見方で見るとイケメンと女が得をしていて喪男は何もしてないのに
ワリを食ってるように見える、らしい。だから気に食わないとな。
そんでなぜか、喪男ってのはただちょっと顔が悪いだけで、心は純真だし、
女に対してイケメンとかよりよっぽどマジメだプンプン!てなことになってる。
もうどこから突っ込めばいいのかわからん。喪男が純真?
なんか金持ちは悪!貧乏人は皆いい人!的な、もろルサンチマン的欲望じゃねーか。
なんか仮想敵を勝手に作って喚いてるような感じ。もうね、意味が分からん。
勝手に自分にとって嫌な存在を作っておいてそれを叩いてるんだから世話無いよな
いや、実際迷惑ではあるんだけどw
そもそもなんでそんなにモテたいんだ?
好きな人と付き合いたい、じゃなく多数の人間にチヤホヤされたい、なんて
欲望、そりゃーちょっとやそっとじゃ叶えられねえに決まってる。
そんでモテないってことになったら何故そこで即人間として終わった、みたいに
落ち込んで見せたりするんだ?そんなに恋愛を人生の主軸に置いているのか。
恋愛至上主義者なのか?もっと他の事にも目を向けろや。
何が一番あの手合いでムカつくって
三次元を(一応)捨てるとか言ってるのはいいんだけど
(でもわざわざ宣言とかせず勝手に捨てたければ捨てればいいし
既に最初からひっそりそうしてる奴はいるのに、わざわざ言う辺りに
あ、今更とめたっておそいからね!バーカバーカ」って感じがして
すげえアホらしいのだが)
だからといって二次元への愛とやらがどうかっていうと
これがまた別に全然純真じゃない。妻が○○ってキャラで、愛人が○○ってキャラで、
妹が○○ってキャラで??とか言ってる。ハァ?と。しかもそれ、結構コロコロ変わるのな。
彼らのいってる純愛とかいうのは一体何なわけよ
結局二次元で何をしてるかっていうと、三次元でのイケメンのような事をしてる。
つまりやっぱり憧れてるわけだ。三次元で得してる男らに。
でもそれが叶わないから二次元で代わりに欲望満たしんだ。
その事自体はいいよ。手に入らないから代わりに、てのは人間の知恵だし
そういう事はままある。でも、それを誤魔化すんじゃねえよ。最初からそう言えよ。
ちっぽけなプライド守ってるんじゃねえよ。
そういうことを書いてあるんなら同調できると思って読んだけど
似てるようで中身は真逆だったよ。
外から見ると、「オリをパーティに呼んでくれない世間に災いと呪いを」っていう
眠り姫の魔女的復讐感にしか見えないけどね。本田透の主張って。
結局パーティに呼んでほしいんだろ?ん?みたいな。
二次元の恋愛で満たされてないの丸わかりだし。満たされてる人間は他人を叩かない。
そういう素直じゃないとこ、嫌いじゃないけどね。
本田透の「電波男」に代表される、恋愛資本主義への反発から三次元恋愛を忌避するのって、格好良く言えば
だと思う。
待遇改善なくば恋愛市場を潤す事には協力してやらんぞ、という。
ただ、喪男が恋愛ストを決行したところで、社会は全然痛がりもかゆがりもしないので、ストライキの意味がないのかもしれないが。
ここは少子化に対するパニック意識を逆手に取って脅すのが効果的だろうか。こういう風に。
「待遇改善なくば結婚をボイコットするし、子供を作るなんてもっての他! 日本を滅ぼしたくなかったらもっと待遇を改善しろ!」と。
しかし、非モテのDNAが滅んで我々みたいにマシなDNAが生き残るべきだと考える人の前では、こういう主張をしたところで無意味かもしれないが……
もうちょっと読書量を増やそうね……。
こういうだけだとあまりに嫌味なので、具体的にオススメ本を書いときます。「オタク」と「ルサンチマン」で何かを書こうと思うなら、せめて本田透の『電波男』『喪男の哲学史』と、滝本竜彦の『超人計画』くらいは目を通しましょう。あなたのエントリの書きぶりから推察するに、これらの著作の存在すら知らないんじゃないかと思うんだけども。いずれもあなたよりはるかに徹底して「オタク」とニーチェの思想を結び付けて考察しているよ。文章もはるかに上手い(まあ、本田さんも滝本さんもプロなんだから当たり前だけど)。
たとえば競馬やパチンコなんかで「一度や二度負けたくらいで何だ! 勝つまでやるさ!」などと言う者はダメ人間の謗りを免れまい。が、対人関係、こと恋愛に関してはむしろそんな態度が推奨されるのは、な??んでか。
本田透ではないが、「参加して勝利する自信がないので、はじめから参加しないでおく」というのも、それはそれでスマートな解ではないのだろうか。逃げている、というが、逃げてはいけないのか。告れば断られる。つきあえばフられる。もうそれどころか、最近は「結婚」でさえゴールではない。
そう。これでいい、これでいいんだ……。確かに、あえて困難な道を選び、そして勝利する格好よさは理解できるし、自分もそうなりたいと思う。電車男のように。だがやはり、全員がそうなれるわけではないのだ。
でも、それでも、やっぱり、ああ、寂しい、んだよね……。誰か僕のgoogle:ラマント野を切除してください。
■「安倍さんには芸がない。日本人は時々狂ったように抽象的なことを言い出す」(塩野七生、日経インタビュー)‥‥女史この他にも名言を大連発!
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20070104113125/index.html
「美しい国」というスローガンは,抽象的で困るな。なんとでも好きなように解釈できる言葉だ。安倍首相のホントの狙いは「美しい日本を守るために既得権者を守りましょう」ということではないか。もしくは「美しい日本を守るために現状をいじらず何もしないで寝ている総理がいい総理なのです」ということか。
単に重箱の隅をつついているような内容はどうでも良いのだけれども、「『美しい国』というスローガンは失敗」というのは同感。要するに、「美しい国だから国を愛して欲しい(愛国心を持って欲しい)」とか、そういう意味も含んでるんでしょう、よく分からないけど。でもさ、「恋愛は精神病の一種(by涼宮ハルヒ)」な訳ですよ。打倒恋愛至上主義(by本田透)な訳ですよ。それならば、『親しみの国、日本』を目指した方が良くね?夫婦愛も、「恋愛」から「親しみ」に変わるのが科学的常識になっている訳じゃないですか。愛にロマンを感じるのは自由ですが、情緒性より、実効性圧力(by草薙素子)を重視して欲しい訳です、一般庶民としては。安倍さんには、実直的理念が向いていると思うし、『美しい国』なんていうどれくらいの人間が共感するのか分からない高邁な理念よりも、私としては、もっと日本という国に「親しみ」を持ちたいし、みんなにも持ってもらいたい。日本に親しみを持って欲しいことに対して、反対する人はまずいないんじゃないですかね?
もう一つ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_3032.html
どのくらいの人がちゃんと読んでいるのか分かりませんけど、私も5分くらい流し読みしました。が、まあ、そこそこ妥当な机上の空論が書いてあるんでしょうね、といった感じ。でも、スローガンの『希望の国、日本』は失敗だと思います。まあ、経団連の年寄りのセンスなんて期待するな、ということなんでしょうが。『希望の国』という言語センスは情緒性に富む文学な表現としてすばらしいのかも知れません。でも、実態は、「さっぱり分からねえ(by孫悟空)」な訳です。
具体的に言うと、13ページから。
「希望の国」の国柄は以下に説明する3点に要約できる。
1.精神面を含めより豊かな生活
3.世界から親しみをもたれる社会
2は、「公平だからみんなにチャンスがある」みたいなニュアンスにおいて、『希望の国』となんとなく関係ありそうな気はするんですが、1と3は『希望の国』とどういうつながりがあるのよ?無理矢理結びつけてんじゃないの?みたいな感じ。本当に『希望の国』を要約したのかよ?みたいな。
私だったら、もう少し分かりやすく、『可能性の国、日本』とでもしますよ。まあ、ニュアンス的にはほとんど一緒ような感じですが、日本に希望を感じない理由というのは、日本の可能性のなさに閉塞感を感じ、絶望しているからでしょう?winny裁判のように、テクノロジーの可能性を否定されたり、怪しげなネット財閥が潰されたりするから、「既得権益には勝てない、働いたら負けだ」という絶望を生むんでしょう?労働者の鼻面に「希望」という幻想のニンジンをぶら下げて、死ぬまでこき使い、労働者の流動性は認めても、社会階層を事実上固定させようと経団連が考えていると誰もが邪推するとか私は思いますが。実力主義をうたいながら、下克上を認めないシステムな訳ですね。で、日本では暴力革命は起こらないと踏んでいる。
違うというなら、「あなた達には、こういう可能性がある。今のところ、大体、成功率は50%くらいだ。しかし、その可能性を上げるための法案が提出される予定がある。また、そのことを説明する文書をサイトに載せた。そこには、経団連のポータルサイトのリンクから行ける」みたいな現実的な提案や客観的な話を聞きたい訳ですよ。政治的な都合で、無理矢理整合性を合わせたような話はどうでも良いんですよ。
つまり、「我々にはどういう可能性がどれくらいあるのか。どこにベット(賭ける)すべきなのか。その可能性を広げるためにどういうことをやるべきなのか」が知りたい訳ですよ。リストラされて浮浪者になったオジサンにしても、30過ぎて焦っている女性にしても、同級生の少ない子供達にしても。大体、「希望」って、主観的なものですが、必要なのは、客観的な数値でしょう。『可能性の国、日本』というキーワードからトップダウン式に考えていけば、優秀な人ばかりでしょうから、日本にはどのくらい可能性があるのか、ある程度、客観性のある数字を出して、国民の目から見てもそれなりに説得力のあり、それなりに希望の持てるビジョンを具体的に示していけると思うんですが、甘いでしょうか。
・・・いずれにしても、偉い人が年寄りの文系しかいないから、情緒的で美麗美句のゴニョゴニョした、中身があるのかないのか分からない政治的に調整されたような文章になるとしか思えないんですが。権威なんてどうでもいいから、私のような馬鹿にでも分かる(納得できる)スローガンを分かりやすく提示して欲しいですよ(もちろん、「分かりやすさの罠」もあるし、その辺はある程度割り切る必要があると思いますが)。小泉さんは、私のような馬鹿でも分かることしか言わなかったから、人気が出た訳でしょうし。中二病じゃあるまいし、背伸びする必要はないと思います。もちろん、政治はそれほど単純なものではないんでしょうが、訳の分からないものを出されても、訳が分からないとしか答えようがありません。