はてなキーワード: ピンポイントとは
そしたら、
というTBをもらった。
どうやら、無知は恥ずかしい、というタイトルにした方が良かったのかもしれない。
サブタイトルが暗に示すように、対話では論理的である必要は必ずしも無い。
その理由を示す。
しかしながら
だから、論理だけを使って何かを証明することができなくもない。
だけどもだっけどー、通常の対話では完全な証明を与える必用は無く
「説得」という形をとるのだ。
じゃあ、説得とはなんなのか?
人間は外部から情報を与えない場合には、「演繹」という論理ステップしか実行できない。
一方で外部から情報を与えると、「帰納」という論理ステップを実行することができるようになる。
ただし、この「帰納」というのは統計的な正しさしか保証しない。
しかしながら、人間が定理だと信じていることは、全て統計的な正しさしか持っていない。
これによって、件の命題の真が統計的に保証されれば、説得が終了したことになる。
つまり、本来は論理的である必要など無く、
外部からの情報を入れれば、あとは各自で演繹してくれればいいのだ。
もちろん、数学のようにピンポイントな仮定と、トリッキーかつ複雑な論理が必用な場合は別である。
だけれど、そんな複雑な論理構造が通常発生することはまずない。
説得が成功するかどうかは、各自の持つ公理系と、各自の持つ論理能力に依存する。
後者は、馬鹿を相手にする気がないので、私にはどうにもできないが、
前者に対してはわかりやすい説明をすることで、
説得力を増すことができる。
従って、これからはこの目的で、説明文を書くのでよろしく。
だけど、これから用事があるので
続きが読みたかったら、TBくださいね。
今女の子にアプローチ中
経過報告
違う大学のサークルと飲み会をやった。(いわゆる合コンに近い?)
そのときに来た数人の女の子の中から一人にピンポイントで話しかけた。
(もちろん自然に。BBQやったんだけど焼けた肉を取ってあげたりしたときに「そういや何年生?」みたいな感じで。)
断続的に2時間くらい二人で話し込んだ。
その中で彼女が携帯をいじり始めたときに「そういや番号教えてよー」と言ってみた。(快くOK)
彼女はまだ地元から出てきてあまり日がたっていないみたいなので、大学周辺の街をあまり知らないらしいことが判明。
そこで「じゃあまた今度案内してあげるよー^^」と言ってみた。
彼女が帰ってから「今日はありがとうー^^楽しかったよ。また来てねー。あ、また暇なとき教えて。街案内してあげるよー^^」
というメールを送った。
「こちらこそありがとう!○○とかあまり知らないから行きたいなー」という返事が来る(好印象?)
よくないとことかこれからのアドバイスとか教えてちょ。
おまえがどんな話をしてるかなんて知ったことか。
「まったくわからない」というからその点をピンポイントで解説したまでだ。
ったく独りよがりなやつだな。
自慰なら誰も見てないとこでやってくれよ。きもいから。
失礼、話的にピンポイントでM持ってくるとは思えなかったので勘違い。
そう思いたいだけだから言ってもしょうがない気もする。そういう奴は、
話を聞いてほしいだけの愚痴(愚痴ってそもそもそういうものなのだが)→レベルが低い
と思っていて、尚且つ俺は後者、だから俺はレベルが高いんだと思い込みたい哀れなバカだから言ったってしかたない。もしくは、自己認識を誤っているバカか。こういう奴は決まって他人に何か言われると「いやでもさぁ」といって結局受け入れようとしない。アドバイスなんか本心じゃ求めてなんかいない。誰もね。
ほとんどの人間がそういう風に出来ている。客観的なアドバイス?そんなもん素直に聞けるくらいなら、その人は初めから相談なんかしちゃいない。結局話を聞いてほしいか、自分が今欲しい一言をピンポイントで欲しがっているだけだ。つうか、そもそもなんで悩んでるかって、客観的に見ればこうなんだけど、でも自分はそうしたくない、とかそう思うからこそ悩む訳だから、第三者が今更何か言ったってほとんど無意味。所詮同じような人間、第三者が突然問われて考えるような事など、結局その問題について悩みまくっている当人はとっくの昔に考えている。当人にとったら「今更」すぎるのだ。それでも悩んでいるのだから意味がない。悩んでいるというか、結局、決めかねているだけ。ほとんど当人の中で選びうる選択肢はほとんど整理されていて、しかしどれもこれも一長一短がある、だから、決めかねている。
だから他人がアドバイスしたところで、大抵当人は「それはわかってるけどさぁ」「いやでもさぁ」「それはでもしにくいし」と言うだけで、ちっとも受け入れたりはしない。結局のところ、本人が答えを出す。出すしかない。他人は結局、ほとんど何もしてやれない。他人の意見(それも居酒屋で突然問われて出てきたような付け焼刃な意見)など、ほとんど相手を動かすことはできない。しかしそれが普通。寧ろポンポン動いちゃう奴は自我が固まってなさ過ぎる。人格形成の途中である子供ならまだしも大人でそれでは困る。
アドバイスをしていい気になるほうがおかしい。アドバイスなんて基本的に無意味だという事を分かってないといけない。相談する側も、される側も。アドバイスしている奴ってのは結局、その人の事を思ってしているわけじゃない。困っている奴に、正論ぶちまけるのが楽しいだけだ。かなり悪趣味。そしてそいつがその意見を聞かなければ、また正論ぶって「人に話も止めておいて全然きかねーじゃん」といえるから、更に楽しい、っていう寸法。そういう奴は自分も含めて人間ってものを知らなさ過ぎるバカ。勿論本質的に愚痴なのに相談の皮を被る奴もどうか。相談のプロ、いわゆるカウンセラー、精神科医、そういう人は相談といっても単純にアドバイスを返せば言い訳じゃ無い事を知っているから彼らにならそれでもいいが、所詮素人で自分と同レベルの人間にそんな事をして「本当は相談じゃなくて、聞いてほしいだけ、後押ししてほしいだけなんだな」という事を読み取ってもらおうだなんて無理だ。素直に愚痴だと宣言しておくべし。愚痴をアドバイスを求めるものだと勘違いしている奴は、相談やら何やら以前に言語能力に問題がある真性のアホなので、間違っても何も言ってはならない。
もう、これほどか!とよばれるほど流通している漢方ってなんだろう。
「うこん」あたりかな。
歴史上うこんを服用した人の数は数かぎりしれないだろう。
それをもって君はうこんはテストが充分だから統計的に安全といいたいのかな?
なるほど確かにうこんは統計的に充分な母数があると思う。
例えば精力剤で比較してみよう。
すっぽんを食べたことがある人の数は相応に多いだろう。
これは実際に効果があるか否かは別として食物としての安全性テストは充分といっていい。
実際に効用もあるのかもしれない。
他の例で見てみよう。
おっとせいの・・・あの部分も精力漢方として名高い。
だが歴史上にいったいどれほどの服用者数がいただろうか。
果たして希少価値と偽薬以上の効果があるのだろうか?
そもそも統計サンプルとして充分か?
過去に皇帝や貴族が愛用したからという論拠で流行しただけではないか?
(当時)希少な動物のあれだからあれに効くというイメージにより同意形成されただけの漢方薬ではないのか?
亜鉛剤というものがある。
バイアグラというものがある。
君が言うテスト数は充分なものではないのかもしれないが、
薬剤は特定の症状に効くものをピンポイントで抜き出しているために効果が期待できる。
ただ、もちろん亜鉛がそちらに有効だからといって亜鉛をそのまま摂取するわけではないし、
いくら効果があるといってもバイアグラの容量を過剰に摂取すると偉いことになる。
安全だとか効くだとか完全に担保されたものはない。
ただ効果については再現性があり、効用は理論的に裏付けることができる。
他の人もいっているが安全性と効くは別問題。
たけくま氏は、反対の機運を盛り上げるために、意図的に誇張していると思ってて、
はてブされ具合を見てると、うまくいったなと思ってて、
多様性は善だと思うので、二次創作が萎縮するような法律改正は良くないと思うけど。
法律改正の目的は、海賊版の規制にあって、海賊版とは、一般には同人誌とは異なる、
違法コピーのものを指すのであって、仮に法律改正されるならば、この違法コピーが
ピンポイントで対象になるように(同人誌は対象にならないように)条文の立て方を
すると予想するのだけれど(現時点では、審議会答申すらで出ておらず、ましてや、
改正案など姿形もない)。
たけくま氏は、著作権の侵害行為は、すべて(同人活動を含む)非親告罪になる旨を
主張しておられるのが誇張だと思う。
ま、改正案が出ていない以上、たけくま氏が懸念する方向の改正案が出る可能性も、
ないことはないとは思うので、私はこの件については様子見です。
「カッターナイフで指先を切って血が出た」「金槌で親指を打ちつけた」「タンスの角に小指をぶつけた」
ならば経験があるので感覚を想像できます。が、経験しようが無い「心を切り刻まれた」という、
「心」なんておよそ実体の無いものに一々傷ついた傷つけられたと言う人間の感覚がよくわからないのです。
言葉が単なる文字の羅列では無く実在の凶器にも勝ると考えている人の意見を多々聞いてきましたが、それは
特定の人種、信条、性別、社会的身分の人間をピンポイントで殺せる道具が有り得ると考えているわけで、
その昔、俺はいろんな人と付き合える人間になろうと思った。
だからその為にはいろんな経験や知識が欲しいと思って、いろんなことをやった。
で、結局出来上がったのは浅く広い人間である。
その結果どうだ。確かに色んな話に食いつけるようにはなった。
だが食いつく程度でお終い。話が続かない。
自信が無いのだ。その先の話をする自信が。浅い知識だから話がつまらないんだ。
そう言う意味では、何か深い経験をひとつ持っていた方が自信が付く気がする。
そのピンポイントの自信が影響して、他のネタにも上手に聞くことが出来るのでは。
自分の話になったときに、他人にとって知らない情報を提供することが出来る。
興味を惹き付けることが出来る。羨ましいことだ。
これからでも…間に合うだろうか。
前に一人いたんだよそういう子が。
すぐ好きになったよ。あっちもオレに興味を示してきたし。
で結構仲良くなったけど結局玉砕。
しかもその好みの年齢が数年間変わんないのな。
頭おかしいんじゃねえの?って思うけどそういうところが好きだったんだよ。
こりゃ恋人できねえよ。オレも。あっちも。
http://anond.hatelabo.jp/20070409192150
http://anond.hatelabo.jp/20070409192314
男は勝手に寄ってくる。
http://anond.hatelabo.jp/20070409192352
顔はほんとにほとんど気にしない。
玉砕した子はお世辞にも奇麗とか可愛いとか言えない見た目だった。
そこまでひどいわけでは無かったけども。
この現代語訳の初出がどこなのかわからないんだが、自分用に転載。
2,3歳の幼女が走って来る途中に地面のゴミを見つけて、ちっちゃいおててで「はいっ」と見せるのモエス。
おかっぱの前髪をかき上げないで、首を斜めにして向こうを見ようとしてるのもアホカワイイ。
ちっちゃいお坊ちゃんがスーツ着せられて歩いたり、幼女が遊んでいるうちに腕の中でくーくー寝るのもスゲェ萌える。
しがみついてんだぜコンチクショー。
まぁ、ままごとの道具や水草の葉っぱとか、小さいものはみんなかわいいといえるな。
二歳くらいの子供が服の裾を引きずって部屋から出てくるのはタマラン。
袖が長すぎて指先だけちょっと出ているってのもピンポイント萌え。
10歳前後の男の子が、学校の授業で教科書読んでるのもけっこう萌えるシチュエーションだな。
http://anond.hatelabo.jp/20070217000103
相手に変わってくれるのを期待する事は、間違ってるんだろうか。
まずは経験則。「嫌なら別れればいい」ってのは短絡的ではあるけれど、一方で皆がなんとなく持っている経験則の現われでもあると思う。つまり、相手の中身を変えるより相手自体を替えたほうが楽ってこと。この世に人間は他にもたくさんいるのさ、というお気楽な台詞は結構真実でもある。
それから、そもそも相手の中身をこっちから変えてやるのはオオゴトだ。それは本来カリスマとか英雄が持ってるスキルだから。例え全ての面においてカリスマでなくても、その変えてやりたいピンポイントでだけでも、相手を上回る何かを持ってないと土台無理な話だよ。自分が今弱い側に立ってるのに、能動的に相手を変えるなんてできるとは思えない。
とすると、今度は受動的に変える、って話になる。でもそれは所詮、相手の側に変わろうとする動機が無いと成り立たない。弱い者はせいぜい切っ掛けになれるのが関の山だし、そしてそもそも、もし「貴方」が切っ掛けになり得るのなら、今まででとっくに「他の誰か」で変わっている可能性の方が高い。まあ「最初の犠牲者として頑張る」って方向が無くもないだろうけど。
「相手側が変わってくれることを期待してはいけない」というより、「相手側を変えるきっかけに自分がなれるなどと夢想してはいけない」という方が合ってるかも。
http://anond.hatelabo.jp/20070215133411
非モテの人が求めてるのはお付き合いする女性じゃなくて、自分の存在を肯定してくれる都合の良い存在だからね。
それって非モテだけに限定できるんかいな。
恋人を求める行為の中には、そういう自己肯定を求める心というか、自分を無碍に否定しない安住の地を求める心って少なかれあると思うんだけどなあ。「好きになる何かを持っている人」を「他人」じゃなく「恋人というポジション」に置く/置きたくなるのは、恋人ならではの言動をぶつけても自分を(少なくとも簡単には)否定しない、っていう相互認証みたいなもんだろうし。そこを「非モテだから」と切り捨てるのはちょっと哀れだ。
「内面を見てくれ!」に走ってしまう理由は、単純に途中のステップを知らない/踏むのが面倒/怖いからではなかろうか。自分が欲しい欲しい欲しいと思ってるポジションにまっしぐらになってしまうというか。
あとさ、非モテのみならず俺らの使うコミュニケーション方法に、ブログとかその他コテハン系の掲示板等があるけど、これって対象の周囲人格全てじゃなくて、コミュニケーションしたい部分=欲しい部分だけをピンポイントで話せるっていう面があるよね。増田好き同士なら増田の話だけをすればよく、相手の日常の人格なんて見なくていいし、見えないし。増田好きが集まってる場所にいるという一点だけでお互いが認証されている。
そういう世界に慣れきってると、その相手の日常人格を一つ一つ攻略して信頼関係を築き、それから目指す欲しい部分に手を伸ばす(伸ばしても良いという相互認証を構築する)って感覚が薄れてしまうのかもしれない。その薄れ度合いが、確かに非モテな人は高いのかもしれない。ま、この辺りは完全に憶測なのだけど。